【第26回】 慢性期医療リレーインタビュー 矢野諭氏

インタビュー 役員メッセージ

矢野諭先生(南小樽病院院長)

 「95歳でも100歳でも『助かりたい、長生きしたい』と思う人はいます。1分でも1秒でも長く生きたいという価値観もあります。『不要な医療』と簡単に言う人がいますが、誰にとって不要なのでしょうか?」──。こう問いかけるのは、北海道小樽市にある南小樽病院の病院長で、日本慢性期医療協会(日慢協)理事・「診療の質委員会」委員長の矢野諭先生。約20年間、外科・救急に携わった後、慢性期医療の道に進みました。「個人の判断を尊重してあげるのがまさに慢性期医療。いろいろなニーズに応じる。本人が何を望み、何を望まないかが重要ではないでしょうか」と話します。
 

■ 医師を目指した動機
 

 私は小樽で生まれました。昭和4年、祖父が外科部長として小樽の病院に呼ばれ、昭和8年に小樽市内で「矢野外科」を開業しました。多くの先生方と同じように、私も医者の息子で11代目です。私の家系はずっと医者で、遡れば三河・岡崎藩の藩主である本多忠直の侍医をしていたと聞いています。

 昭和30年に父が跡を継ぎ、私がその後ですから、小樽では3代目になります。跡継ぎはすべて次男。祖父も父も次男、そして私も次男です。兄は「医者なんかやらないよ」という感じで、ソニーに勤めていました。長男が跡を継がず次男が継ぐのが続いていましたので、医師という職業を漠然と意識していました。

 兄は完全な理系の技術屋でしたが、私には特別な技術はありませんので、勉強だけはきちんとしました。父は外科の開業医でしたので、深夜に「酔っぱらって転んでけがをした」という患者さんがたくさん来ていました。子どものころから、そういう環境に慣れ親しんでいましたし、祖父も父も外科でしたので、私も外科に進みました。

 大学に入った当時は内科が好きで、外科は技術屋みたいで嫌だったのですが、知らず知らずのうちに外科に関心が向くようになりました。大学5、6年ごろ、「外科のほうが全身管理ができるのでいいかな」と思いました。父が北大の第二外科(現・消化器外科Ⅱ)でしたので、「息子さんも」という感じになり、また魅力ある先生方がたくさんいましたので、そこに入局しました。当時の第二外科は、「首から下は全部みなさい」という科でしたので、循環器、呼吸器、消化器と全部ローテーションで回りました。

 その後、隣町の余市にある病院に外科医長として赴任。ニッカウィスキーの蒸溜所がある町です。平成元年から小樽協会病院に7年間勤めた後、NTT東日本札幌病院でずっと外科医をしていました。同院は救急医療にものすごく力を入れていましたので、救命救急もずっとしていました。やりがいもありましたが、札幌市で救急医療をやるのはとても大変でした。「うまくいって当たり前」という意識がありました。

 私の上司である外科部長らは特に優秀で、「ちょっとこういうレベルにはなれんな」って、そういうことは自分でも分かります。「ああ、このレベルまでいかなきゃダメなのか、自分にはちょっと無理だ」と(笑)。そんな事がいろいろ重なりまして、「外科をいつまでも続けるのはどうなのか」、「体力的にも厳しいのではないか」ということを考えるようになりました。

 昭和58年に大学を卒業してからずっと外科で、救急もやったし、夜も寝ないで働いていたような時期もたくさんありました。それでもう、いわゆる「立ち去り型サボタージュ」みたいなものですね(笑)。「燃え尽きた」というか……。平成14年10月、医局に「外科を辞めさせてくれ」と申し出ました。その時、すぐに慢性期医療や老人医療を考えたわけではありません。少しゆっくり考える時間が欲しかったし、教えることが好きでしたので、看護学校の講師などもしました。

 妻は北大の同級生で内科医です。慢性期医療については妻のほうが先輩です。妻が勤務していた病院の関連病院に勤めることになり、小樽からちょっと離れた地方に手伝いに行くという感じの時期が1、2カ月ありました。

 人の縁というのは本当に分からないものです。講師をしていた看護学校で、ある病院の看護部長にバッタリ会いました。「先生、いま何をしているの?」ときかれたので、「外科医を辞めて、高齢者医療などをちょっとやりたいと思っている」と答えました。ちょうどその時、現在勤めている病院で医師を募集していたらしく、「先生、帰りにうちに寄ってよ」ということになり、その場ですぐに会議を開いて、「先生をぜひお呼びしましょう」ということになりました。それが今いる南小樽病院です。中心静脈栄養管理も簡単な手術もやる。全身管理もある。外科でしてきた事を生かせるわけです。私は、「ちょっと行ってみるか。今までの経験を生かせればいいな」という軽い気持ちで応じました。

 入職した2003年は、最初の介護報酬改定が行われた年です。私は介護保険のことは全く分かりませんでしたが、病院に北大時代の同門の先輩が2人いましたので、すぐになじむことができました。外科や救急を通じて、ほとんどの臓器を診ていましたし、患者さんの全身管理をしていましたので、「なんとかなるだろうな」という感じはありました。「メスを置いて内科的なことでもいいな、総合医みたいなのでいいな」という気持ちがあり、全身管理のできる「総合医」のような医師を目指しました。今の病院で介護保険のこともいろいろ知り、幅広く対応できるようになりました。高齢者は若者より多くの病気を抱えているわけですから、「この診療科、あの診療科」という臓器別の専門制ではなく、全身を診るということが、まさに自分がやりたいことだと分かりました。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 95歳でも100歳でも「助かりたい」「長生きしたい」と思う人はいます。1分でも1秒でも長く生きたいという価値観もあります。「不要な医療」と簡単に言う人がいますが、誰にとって不要なのでしょうか? 必要な医療が、それを必要とする人に提供されていない。あるいは不必要な人に対して、不必要な医療が行われている。そういう点をとらえて批判しているのではないでしょうか。でも、「不必要」とか「必要」とか、果たして誰が判断するのですか? そんなことは個人の生き方です。「1分でも1秒でも」という患者さんやご家族がいる。私は救急にいたからよく分かります。

 逆に、「自分にとって嫌な事はしてほしくない」という医療もあるわけです。「あんな事までして生きて」と言うのは第三者です。当事者の気持ちはまた別です。胃ろうのおかげで「ああ、よかったな」って涙を流して喜ぶ患者さんはたくさんいます。そういう個人の気持ちや事情を無視して、「胃ろうは悪だ」と言う人もいます。しかし、個人の価値観、好き嫌い、生き方というものを尊重すべきであると思います。

 医療とは、その人の価値観や基準に照らして不都合だと思った時に、そこで提供される支援の在り方の1つであると考えています。「早く死んでもいいから、たばこを吸う」という価値観もあるでしょう。もし、「やめたいけれどやめられないので、何とかしてください」って言われたら助ければいい。これは終末期の問題にも全部当てはまります。その人にとって不都合があった時、それを助けてあげればいい。

 最近、医療に対する過度の期待を感じます。幻想みたいなものです。なぜ、たばこが悪者扱いされるのでしょう。確かに病気になるリスクは高まる。そんなことはみんな知っている。では、肥満のリスクはどうか。肥満の人が「たばこなんて吸っている人はとんでもない」と言う。自分はバイクに乗るのに、たばこは許さない人もいます。リスクのことばかり考えていたら、電車にも乗れません。他人に危害を及ぼす受動喫煙の問題がクリアーされたら、度合は違ってもリスクという点ではタバコも、肥満もバイクも共通です。医療も同じです。手術を受けてもやっぱり助かりたい。ただ、手術で死ぬかもしれない。人それぞれの判断があります。それを尊重してあげる。これがまさに慢性期医療だろうと思います。

 結局、個人の好き嫌い、価値観です。「正しいか正しくないか」ということではない。まさに慢性期医療の神髄はそこにある。「少しでも在宅で」と望めば、在宅で医療を継続できるように支援する。いろいろなニーズに応じる。皆それぞれ違うわけです。35歳の人が心筋梗塞で倒れた、「あ、大変だ」となる。その判断はさほど迷わないかもしれない。人によってあまり違わないでしょう。では、80歳はどうか。ある程度まで生きたら、「もういいか」と思うかもしれません。25歳の若者に、「お前、ここまで生きたからいいだろう」とは言いません。しかし、80歳でも蘇生する人はたくさんいます。そうすると、何を基準に判断すべきでしょうか。年齢だけではないでしょう。高齢者医療では、まさにここが問われます。「平均寿命まで生きたから、もう延命処置をしないでいい」と判断するのでしょうか。そうではなく、本人が何を望み、何を望まないかが重要ではないでしょうか。

 最近、特に「健康至上主義」みたいな考え方があります。いつまでも元気なご老人、それはそれで良いことです。でも、そうでない人がたくさんいます。そういう視点が欠けていませんか。障害があっても、幸せな人はいます。絶対に病気にならないことが果たしてどれほど重要であるのか。健康であること、病気にならないことがすべてではない。これを追求するのが慢性期医療だと思います。

 元に戻らない障害といかに付き合っていくか。たとえ本人の意識がなくても、ご家族が一緒に過ごせるためにどうすればいいか。急性期は治す視点で考えますが、慢性期では、今あるものをそのまま受け止めて、どうすれば少しでも良くできるかを考える。ですから、もちろん「治す」という要素も慢性期医療にはありますが、むしろそれ以外の要素とのバランスを考慮することが重要になります。いずれを主体にして考えていくのか、という視点が慢性期医療では必要です。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 ある程度、学術性を持たないといけません。病院経営の視点も必要ですが、慢性期医療がどの程度のことまでやっているかについて、エビデンスベースで示していく必要があると思います。そうした観点から生まれたのが、「慢性期病態別診療報酬体系(試案)」です。これをつくるに当たり、これまでの経験が生かされています。

 私が急性期病院から慢性期病院に移った10年前は、「老人収容所」のような雰囲気が慢性期病院にありました。急性期病院とは全く別物という印象です。しかし、1年ぐらい経ってからでしょうか、「なんだ、結局これは急性期医療と同じだな」と感じました。医療は、どの場に行って何をしても、やらなきゃならない事は同じ。比重が違うだけです。外科医として、救急医として、やらなきゃならない部分はいつまでたってもある。心理的なものも同じだし、ものの考え方も技術も同じです。急性期でも慢性期でも、やっぱり病院は病院です。

 しかし、現在の診療報酬体系はそうなっていません。患者さんの病態が類似しているのに、異なった診療報酬の算定方式になっています。具体的に言いますと、長期入院の患者さんがいる「一般病床」の13対1や15対1と、「療養病床」に入院している患者さんの入院料が大きく違います。「一般病床」は出来高払い、「療養病床」は包括払いです。しかし、同じ診療機能であれば、同じ評価にするのが公平ではないでしょうか。

 そこで、これを何とか是正しなければいけないという発想から、新しい診療報酬体系に向けた検討がスタートしました。平成20年、武久先生が会長にご就任され、「15の委員会を立ち上げる」と言いました。その時、「ぼくは診療の質の委員会かな?」と思いました。その予想どおり、「診療の質委員会」に入りました。初代の委員長は武久会長です。委員会で、会員病院に調査協力を求めることになり、武久会長から「依頼文を作ってくれんか?」と頼まれました。その際、「副委員長として矢野先生の名前も入れてよ」と言われて、いつの間にか「矢野先生、委員長になってください。どうですか? 皆さん」ということになったのです(笑)。

 現在、療養病床の入院料は、「医療区分」などで点数格差が付けられています。重度の患者さんを8割以上入院させて、20対1の看護配置で運営していれば経営的には悪くないでしょう。しかし、このままでは病棟が確実に足りなくなります。急性期病院の平均在日数がどんどん短縮されて、死亡者数が現在の1.5倍に増えるわけですから、入院患者さんの多くを慢性期病院で診なければならない。その時、どういう診療報酬体系にすればいいのか。

 当院は療養病床しかありませんが、中小病院の中にはいわゆる「ケアミックス型」と言われる病院もあります。13対1か15対1の「一般病床」を持っていて、医療療養病床もある。介護療養も持っている。入院患者さんが肺炎になったら、どの病床に入院させたら一番儲かるか、その病院の医事課長や事務長は計算しているはずです。もちろん出来高払いの病床が一番儲かるに決まっている。しかし、それを責められませんね。同じ病院の敷地内ですから、わざわざ診療報酬の安いほうを選択するはずがないでしょう。

 われわれが提案している「病態別診療報酬体系(試案)」は、現在の「医療区分」の考え方をベースにしながら、急性疾患への対応も考慮していますが、慢性期病院の多くはまだ急性疾患に十分対応できていません。急性期病院に比べて医師や看護師の数が少ないので、急性期的な対応を前提とする「病態別診療報酬体系」にすると、収益が下がってしまう病院もある。そのため、「一般病床」「療養病床」に代わる病床区分を新たにつくらないと、「病態別診療報酬体系」では経営が成り立ちません。

 従って、この体系をそのまま診療報酬に反映するのはまだ難しい状況です。もし診療報酬につなげていくとしたら、病床機能の明確化がまず必要となります。現在、医療法の改正に向けて厚生労働省医政局が検討していると聞いていますので、その状況を見据えたうえでわれわれも検討を進めていきたいと考えています。すなわち、当該病院はどの程度の急性期機能を有しているのか、どのような慢性期機能か、ターミナルはどうするかという機能をきちんと整理し、病床区分の明確化を進めることと並行して、「病態別診療報酬体系」の検討をさらに進めていきたいと考えています。

 われわれ「診療の質委員会」の策定した「慢性期医療の臨床指標(クリニカルインディケーター)」では、アウトカム評価もプロセス評価も入れていますので、少し先を進んでいる気がしますが、現在の病院経営の実情に合っていない面があります。われわれは「診療の質」と呼んでいますが、厳密には「診療の質」と「医療の質」とは違います。「医療の質」には「経営の質」が含まれますが、協会の「診療の質」に経営的な視点は入りません。「診療の質」を高めようとすれば、「経営の質」は低くなることもあります。特に包括性ではこのジレンマが大きくなるでしょう。在宅復帰率などを除けば、「診療の質」を測るクリニカル・インディケーターを診療報酬につなげていくことは、現段階では難しいのです。

 もし私が、療養病床を併設する「ケアミックス型」の病院管理者だったらどうするか。やはり「経営の質」を考えてしまう。結局、「急性期」と言われる病院でも、「ケアミックス型」であれば、病棟間を患者さんが行ったり来たりする「キャッチボール」をしてしまう場合が多い。しかし、「社会保障と税の一体改革」で示された2025年モデルに従って今後の病床数などを試算しますと、13対1や15対1の「一般病床」が慢性期に移行しないと病床は絶対に足りない。そうすると、高度急性期病院の後方を担う「長期急性期」の病床が必要となります。そこで、高度急性期の後方を担う「長期急性期」病床の診療報酬に協会の提唱する「慢性期DPC」を適用する。「慢性期DPC」は厚労省の中央社会保険医療協議会・DPC評価分科会委員である美原盤先生(財団法人美原記念病院院長・当協会常任理事)が中心となり、当協会のワーキンググループで検討を進めています。一方、「長期慢性期」の病床群には「病態別診療報酬体系」を使う。つまり、現在の「一般病床」や「療養病床」の区分が変わり、診療機能に応じた病床群に分かれる。そのうえで、診療報酬体系を変えていくという流れになるでしょう。

 現在、在宅医療における「診療の質」も検討しています。基本的な項目は病院と同じですが、在宅特有の項目があります。その1つが「患者満足度」です。私は、急性期病院での経験から、「患者満足度」という言葉があまり好きではありませんが、在宅医療ならば「患者満足度」をアウトカム指標として導入してもいいのではないかと考えています。

 「患者満足度」については、さまざまな考え方があります。はたして、「診療の質」を測る指標になり得るのか。例えば、急性期病院に入院した高齢者の肺炎を治したとします。すぐに治るので早期退院ですが、患者さんが「追い出された」と思ったら満足度は高くなりません。治療について満足度が高くても、入院環境や退院のタイミングなどで満足度は変化します。つまり、治療成績に関するアウトカム指標にはなり得ない。「診療の質」と「患者満足度」がうまく相関しないのです。

 慢性期病院でも同様です。「医療区分」の問題があります。このままずっと入院していたいのに、病状が改善して入院料が一番安い「医療区分1」になったら病院は退院を勧めるわけです。医学的に考えて適切な方法を選択したとしても、それが患者さん本人の満足度を高めるかどうかは別問題です。在宅では不安なので入院を継続したい患者さんもいるでしょう。「もっと入院できると思っていたのに」と、ブツブツ言いながら帰る患者さんが満足するはずないので、治癒しても患者満足度が上がらない。

 しかし、入院医療と違って、在宅医療には「退院」という要素がありません。帰る所、帰す所がない。「入院せずに自宅で看取るか」、「最期は病院か」というご家族の思いも含めた「患者満足度」が重要になります。満足度が高くなければ、在宅医療をやってはいけないと思います。在宅医療の目標を分かりやすく言えば、「一生懸命やったかどうか」です。

 入院でも在宅でも、お亡くなりになって、霊柩車を見送る時に評価が決まる。急変してお亡くなりになった時、ご遺族の納得が得られない場合もあるでしょう。逆に、「ありがとう」と感謝されることもあります。医療側の気持ちが患者さんやご家族にきちんと伝わっているか。そういう点を「患者満足度」で評価すべきと考えます。

 急性期段階を終えてから在宅医療に至るまで、慢性期医療が関わる期間は長い。そこには、いろいろな価値観が介在します。「生きる」「治す」だけではない、「それ以外」の部分が重要となります。目指すところは急性期医療と違いますが、患者さんを助ける・支援するという視点は常に同じです。少しでも質の高い医療を提供する。慢性期医療に限らず、これからの医療はさらなる質の向上を目指していくべきと考えています。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 「一生外科医」という考え方もあるかもしれませんが、ある程度の年齢になったら常に高齢者を診るという視点で勉強したほうがいいと思います。なるべく引き出しを多くして、いろいろな勉強をして、「総合医」のような視点を早くから持ってほしい。ただ、若い時から全部やるのは難しいので、まずは自分の専門性を磨く。それを10年でやめてもいい。もちろん一生外科医でもいい。ただし、高齢者を診るという視点をどこかで持つ。自分が50歳になったら80歳の人を診る。そういう時代が来ているわけですから、医者としての人生や生活設計を長期的なスパンで考えてほしいと思います。

 かつて、個人の自由にならない「医局制度」がありました。年老いても、「あの病院に行け」、「今度はこの病院だ」という仕組みがありました。最近は、昔のように封建的ではありませんので、自分の医者としてのプランを描けます。外科医と内科医は育ってきた環境が違いますし、発想も違います。でも、自分のやってきた事を生かす場は慢性期医療に必ずあります。若いうちから計算高くなることを勧めるわけではないけれど、将来の自分が医者としてどうあるべきかを常に考えておく必要があると思います。

 これから高齢者が圧倒的に多くなります。高齢者を診る力をとにかく早いうちに身に付けてほしい。高齢者の全身管理には特別な経験が求められますし、死に対する考え方も自分なりに持っておく必要があります。

 私は外科を20年やりました。今年、卒後30周年になります。年をとったせいか、必ず人間は年をとるということを本当に実感しています。人の生き方はそれぞれ本当に違うものです。私は救命救急ばかりしてきて、たくさんの人を救ってきましたが、それは本当に正しかったのかと振り返ることがあります。とてもかわいそうな死に方もあれば、「ああ良かったな」って言える死に方もあって、両者がはっきりと分かれます。

 慢性期医療では、がん、老衰、認知症などいろいろな亡くなり方がありますので、急性期医療よりも、亡くなり方に対する意識が強くなります。治すだけではなく支える、癒す、支援する、そういう部分のバランス感覚が医者として一番必要になる。もちろん急性期病院にもバランスを考えてみている医師はたくさんいるでしょう。ただ、慢性期医療では特にバランスを考えないとやっていけない、そういう難しさがあります。

 「サイエンスとアート」という言い方をする人もいますが、言いたいことはみな一緒で、結局のところ救命できないときにどうするか。延命や救命についても若い時から考えたほうがいい。昔は延命処置について、今日ほど考えていませんでした。「心臓が止まったらこうする」、「がんの人にはこうする」ということで、そういう意味では本当に幼稚な医療だったと思います。

 また、日本の医療提供体制がどうなっているのか、医療を取り巻く周辺環境も含め幅広く知っておかないと、道を誤ってしまう恐れがあります。入院医療に求められているものは何か、在宅医療へのシフトについてどのような政策が進められているのか、そうしたことを知らずに病院の中に閉じこもって、「とにかく治すんだ、治すんだ」と頑張る、これはもちろん大切ですが、それだけではない方向にも視野を広げてほしい。

 ローテーションでいろいろな診療科を回りながら、死に対する考え方、医者に対する考え方を知る。そして、最も重要なのがコミュニケーションスキルを磨くことです。人とうまく話すだけでなく、頼まれた事は積極的にやる。他人と仲良くできる力がなかったら、たとえどんな診療科に進んでも絶対に乗り切れません。コミュニケーションスキルがないと、ものすごく不利です。

 医療技術が訓練で向上するように、コミュニケーションスキルもトレーニングで磨ける。誰でも磨けるのだから、鍛錬したほうがいい。「ぼくは生まれつき口べただから」とか、そんなのは許されない。勉強すれば、ある程度は補えます。論文を書くために夜中まで勉強するのはもちろん結構なこと。私もやります。だけど、コミュニケーションスキルを磨くための努力はなかなかやらない。しかし、それを怠ったらダメです。

 先述したように医療とは、患者さんに不都合が生じた時に手助けすることですが、患者さんの不都合が何かが分からなければ、手助けできません。そこはコミュニケーションです。対話です。急性期医療でも終末期医療でも、どんな医療を行うにしても対話です。相手が何を言いたいか、何を求めているかを察知する能力が医師には絶対に必要です。

 特に慢性期医療では対話能力が求められます。救急患者さんの場合は、運ばれてきたらすぐに対話する間もなく助けますが、慢性期病院では、例えば糖尿病の患者さんに「食事療法でいきますか?」とか、いろいろとその人によって対応が違う。生活習慣を改善するのか、すぐにお薬を出すのか。「痛風だけどビールだけはやめたくない」という人に対して、ビールを飲みながら痛風を治していく方法を一緒に考えてあげる。「じゃあ薬のほうがいいな」って言う患者さんもいます。大事な商談があるので酒を飲まなきゃいけないとか、いろいろな事情があるでしょう。患者さんとじっくり対話すると、実現可能な治療法が患者さんごとに変わってくる。

 イギリスのことわざに、「患者を診るな、病気を診ろ」というのがあります。普通は「患者を診なさい、病気だけを診るな」と言うでしょう? 違うんです。患者を先に診てしまったら、正しい判断ができないということを言っているわけです。とにかく先に病気を診る。それから、「患者さんはどうしたいですか?」と考える。つまり、まず病気についての情報を与え、生き方ではなくて、病気についてのアドバイスをすればよい。そのうえで患者さんの希望・価値観・意思を尊重した対応をする。「医学的に正しいか、正しくないか」ということのみにとらわれないことが重要だと思います。

 「95歳の人工呼吸器は是か非か」ではなく、「あなたならどうしますか?」だと思います。高齢者医療や慢性期医療は目標がさまざまです。現在の医学では、さまざまな選択肢が用意されていますから、患者さんにどれだけ説明できるかによって、全く違うと思います。「コミュニケーション能力」と言いましたが、実はもっと広い意味でとらえる必要があります。

 ある政治家が、「お医者さんには良識の欠けた人が多い」と言いましたが、簡単な漢字を読めない彼が言ったから問題になったのであって、彼が言ったこと自体は正しいですよ(笑)。なるべく私はそう言われないように心掛けています。「医者らしくないですね」と言われたら、すごい褒め言葉です。私たちは他の業界についても勉強しなければなりません。

 医療以外の雑学などもたくさん知ってほしい。当院では、デイサービスで月に1回、いろいろな歌を歌います。80歳のお年寄りが喜ぶ青春時代の歌を知っておくことも必要です。70歳のお年寄りならば、何が好きなのか、そういう知識も必要かもしれません。サイエンスはもちろん大事ですが、それ以外の部分を知ることも大切です。内視鏡の技術を磨くのと同じように、コミュニケーションのスキルを磨くために頑張ってほしいと思います。やっぱり、最後は人と人ですからね。

 私もかつては急性期にどっぷり浸かっていましたので、若い人たちの気持ちはよく分かります。「ほかの診療科のことは分からなくてもいい」とか、そういう気持ちはあるでしょう。しかし私の場合は、病院を管理する立場になってから大きく変わりました。

 亡き父が現役時代に「最近の医者は半端者ばかりだ」とよく言っていました。「○○専門医と言うのは専門バカみたいだ」と。ただ、それは時代の流れでしたから、悪い事ではないんです。ただ、どんどん臓器別の専門性に行ってしまうと、心臓外科に進んだ医師は虫垂炎の診断ができないわけです。研修でいろいろな診療科をローテーションしても、専門に進んだら忘れちゃう。若いころは難しい手術ができる外科医などを目指してバリバリやるのもいいですが、50歳、60歳になった時にどうするのかということまで考えて研修することが大事です。特に今の研修医はそうですね。高齢の患者さんがものすごく増えるわけですから、「治す医療」だけではない方向にも目を向けてほしいと思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 当協会の名称が「日本療養病床協会」だった平成19年に開催された「第15回日本療養病床協会全国研究会神戸大会」の会場で、武久洋三会長と知り合いました。シンポジウムで自分の意見をいろいろ述べましたら、終了後にポンポンと肩を叩かれて、「インパクトあったよ」と声をかけてくれました。それが出会いです。

 協会に来るたびに新しい発見があります。日慢協ブログや協会のホームページなどで、会長がどんな意見を発信したのか、他の先生方がどんなことをおっしゃっているのかを全部チェックして、何か自分に役立てる事はないかと思っています。

 近年、若い人たちもたくさん参加してきて、協会の活動がますます活発になっています。私はまだ理事になったばかりですが、他にも若い方々がどんどん入ってきて、すごく楽しい。大きな方向性はみな一致していますので、みんながそれぞれの得意分野で、それぞれの役割を果たしているのはすごいことだと思っています。

 協会で会員病院のデータを集めて、また何か新しい事が1つ分かる。そして発信していく。みんながそういう方向を目指していますし、何よりも武久会長の発信力がすごい。私は先頭に立つよりも二番手で誰かを支援するほうが向いていますので、会長をできる限りサポートしていきたいと思っています。リーダーシップのある人は得意分野を生かし、さらにもっともっと発信していってほしいと思います。

 今後、急性期病院に対しても一般の国民に対しても、慢性期医療というものを分かりやすく伝え、われわれの活動を見せていく必要があります。会員の先生方が全国から集まっていますので、それぞれの地域特性を出し合って議論していく。全国的な学会をはじめ、認定講座や研修など、いろいろな機会がありますので、ぜひ1人でも多くの人に参加してほしいと思います。

 協会内部だけの議論では、どうしても視野が狭くなってしまう。やはり内輪の集まりですし、医療界全体から考えても特殊な分野の医師が集まっている面は否定できません。ですから、医療者以外の方々にもどんどん発信してほしい。いかんせん医療者の視点というのは偏りがちです。自分たちは良かれと思ってやっていても、外部から指摘されないと気付かないことが多々あります。素朴な疑問をどんどん協会にぶつけていただいて、相互に高め合っていけたらいいと思います。私たちは、協会以外の方々との交流を常に考えています。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
 矢野 諭(やの さとし)
 
 昭和30年  北海道小樽市に生まれる。
 昭和58年  北海道大学医学部卒業、同第二外科入局
        呼吸器外科学・腫瘍外科学の診療・研究に従事
 平成5年   医学博士号取得
 平成8年  NTT東日本札幌病院外科医長・救急部医長(兼任)
 平成15年1月  南小樽病院入職
 平成21年4月  病院の法人化にともない、医療法人社団 青優会
          南小樽病院 病院長に就任
 平成22年4月  日本慢性期医療協会「診療の質委員会」委員長
 平成24年6月  日本慢性期医療協会理事
 

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