【第27回】 慢性期医療リレーインタビュー 吉尾雅春氏

インタビュー 会員・現場の声

吉尾雅春氏(千里リハビリテーション病院副院長)

 「最近は機能分化が進んでいるため、急性期病院のスタッフたちは、患者さんが半年後、1年後にどうなるのか、全く分からない状況にある」と話すのは、大阪府の千里リハビリテーション病院の副院長で理学療法士の吉尾雅春氏。医療費を抑制するために長期入院の是正が進められている状況を指摘し、「機能分化は決して良い医療になっていない。お金のために犠牲になっている患者さんがいる」と訴え、社会的弱者を救うため日本慢性期医療協会の取り組みに期待を寄せます。
 

■ 理学療法士を目指した動機
 

 私は、「1ダース」のいちばん下です。12人兄弟の末っ子です。一番上の姉が、「雅久」という名の内科医と結婚しました。私の名前の「雅春」の「雅」は義兄の名前から頂いたものです。父は義兄のことがすごく好きだったようで、私が生まれた時、「あなたの字をこの子に1字くれないか」ということで付けたのが私の名前だと聞いています。私は2月生まれ、季節としては春ですよね。それで「雅春」になった。そんなこともあり、私は常に義理の兄を意識して育つことになったわけです。

 私は12番目ですので、両親が相当高齢になってからの子です。私を産んで間もなく、父も母も亡くなりました。3歳の時に父を、小学校2年生の時に母を亡くしました。死因は2人とも脳卒中。そのため、「両親を脳卒中で失った」という思いが子どものころからずっと心の片隅にありました。高校を卒業するころ、義兄が「こういう仕事もあるんだよ」という話をしてくれました。「最近、日本でも理学療法士という仕事ができて、これからの高齢社会で重要性を増すだろう」という話をしてくれたのが、理学療法士を目指したきっかけです。

 ただ、それ以前は違いました。高校生のころは、生物研究部の部長として野菊の研究などに没頭していました。私の田舎の鹿児島本線沿いに、20㎞近くあったでしょうか、野菊が群生していました。その野菊の花と葉を採取して歩いたのです。その両端はそれぞれ白色の花だけと黄色の花だけでしたが、中間辺りに行くと花の色も中間色になり、花びらや葉の形状も変わっていたのです。調査は大変でしたけど、列車によって織り成すその遺伝現象を知ったとき、すごい満足感があったことを今でも覚えています。

 そのほか、蝶々を追いかけたりして、昆虫の生態にも関心がありました。大学受験を意識するようになって、最初は獣医を目指して勉強していました。そんなある日、義兄から「理学療法士があるぞ」という話を聴きました。その時、義兄の説明の端々に「脳卒中」という言葉が出て、心がざわつきました。「脳卒中の患者さんたちを対象にする仕事」という言葉がすごく気になり、理学療法士の仕事内容をほとんど知らないまま、この道に進みました。

 当時はまだリハビリテーションというものが広く知られていませんでした。当然、私もよく分かりません。ただ、脳卒中の人たちを相手にするということ、そして脳卒中の人たちの状態を改善してあげて、社会に帰していくということは理解できました。動機としてはあまり明確ではなく、ちょっと漠然としていますが、「脳卒中の患者さんたちを救いたい」という思いが、理学療法士を志した動機です。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 昭和49年に理学療法士の資格を取得して、最初に勤務したのは今で言う三次救急の病院です。当時はまだ、現在のような機能分化は進んでいませんでした。急性期から慢性期まで、1つの病院でずっと診るようなシステムでしたので、1日に30人も担当して大変な時代でした。ガス爆発で重傷を負った患者さんから、慢性疾患を抱えた長期入院の患者さんまで一貫して担当していましたので、大変ではありましたがやりがいもありました。患者さんを長期間にわたって診ることができるからです。脳卒中の患者さんが、どのように改善していくのかをずっと見届けることができる。これは私にとってすごく貴重な経験でした。

 しかし、最近は機能分化が進んでいるため、急性期病院のスタッフたちは、患者さんが半年後、1年後にどうなるのか、全く分からない状況にあると思います。これは非常に不幸なことです。私たち専門家も不幸ですが、何よりも患者さんたちが不幸です。ストーリーが細切れになる。いわば「continued, continued」という医療のつぎはぎになっています。

 機能分化が進むと、顔の見えない関係が生まれます。国の施策として、急性期病院に長く入院させないようにして医療費を抑制しようという考えがあります。機能分化を進める最大の理由は医療費の抑制ですが、それは決して良い医療になっていません。お金のために犠牲になっている患者さんがいます。これは今後改善していく必要があると思います。

 一方、地域連携が進んでいるのかと言えば、全くできていません。一部の地域ではそれなりに連携できているかもしれませんが、多くの地域ではほとんどできていないのではないでしょうか。急性期病院から回復期病院に患者さんをご紹介する仕組みはあっても、それが本当の意味での連携と言えるかどうかは疑問です。例えば、回復期病院のスタッフたちは、その患者さんが急性期病院でどのような経過だったのかをしっかり把握しているでしょうか。

 また、回復期病院できちんとリハビリをして在宅復帰ができるまで改善しても、在宅での生活がどうなるかをきちんと把握できているでしょうか。回復期病院でかなり改善したのに、ご自宅に戻ってから急激に悪化することがあります。「続く、続く」という医療のバトンタッチがうまくできればいいのですが、現状はまだそこまで至っていません。急性期から在宅に至るまでのストーリーをみるという教育が不十分ですので、患者さんにとって辛い状況にあると思います。

 さらに、機能分化した病院経営によって平等性が保たれていません。すべての患者さんにとってベストな医療を提供してあげることが平等な医療だと思いますが、最近の医療は「金太郎飴」のような平等になっています。「入院期限が来たので、ここで打ち切ります」という医療です。しかし、患者さん1人ひとりの状態はそれぞれ違います。急性期病院でどのような治療を受けたか、身体にどんなトラブルを持っているのか、そういう事情を考慮せず、みな等しく「3ヵ月で退院」という医療は患者さんにとって不幸です。

 例えば、アナフィラキシー・ショックを起こしてかなり重度の患者さんがいます。回復するまでに時間が掛かりますが、意外と良くなっていきます。ところが、このような患者さんは回復期リハビリテーション病棟には2ヵ月までに入院しなければならず、しかも「廃用症候群」として3ヵ月しか診ることができません。「期限が来たからあなたはもう退院してください」と言われてしまいます。慢性期病院でそういう患者さんをしっかりと診るシステムがあればいいのですが、現在は十分ではありません。患者さんには何の責任もなく、たまたま不幸にもそういう状況を背負ってしまっただけなのに、救われない。日本国憲法が基本的人権を保障しているのに、そうした患者さんの人権は完全に蹂躙されています。現在の状況は明らかに憲法違反だと思っています。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 平成6年から人体解剖の世界に入りました。理由は、理学療法士をしている途中で、科学的ではないと思うことがたくさんあったからです。なぜ脳卒中の方々があのように歩かれるのか、なぜ肩が痛くなるのかが分からない。しかし、この仕事は成り立っている。これが自分の中で整理できず、ほかの職業に移ろうと考えた時期もありました。自分がやっているのは医療ではない、自然科学ではないと思うようになりました。そんな時、子どもに恵まれました。「この子に見せられる背中は何か」と考えた時、それはやはり医療だと思った。「自分に今、足りないものは何か」ということを突き詰めて考えた時、人間の身体の動きについて基礎からきちんと勉強しないといけないと思ったのです。それで、解剖の世界に入りました。

 解剖の教授が、「PTは動きをみる仕事だから、ホルマリンで固定したご遺体よりも、新鮮なご遺体でやりましょう」とおっしゃって、新鮮なご遺体での解剖を許してくれました。そこで見えてきたものはすごく大きかったです。私たち理学療法士や作業療法士は、人間の身体についてほとんど何も知らないまま患者さんを診ていると気付きました。その後も、人間の身体について自分なりにいろいろと勉強して、「こういうことなんだ」と自信を持って言えるようになりました。そして、「自己実現をしているな」ってすごく感じるようになりました。
 医療に限らず、私たちが仕事をしている目的は自己実現のためだと思います。リハビリテーションの目的は、人間としての復権です。人間とは、生活を営む社会的動物ですから、生活を営む社会的動物に戻していく。これがリハビリテーションです。日々の営みは、自分で決めて自分でやるということです。社会的とは、独りではないということです。毎日、玄関のドアを開けて、外へ出てくださいということです。そして動物としての部分がある。私たちが患者さんたちにアプローチしていく時、人間の身体の構造をよく知らなければ、私たちの仕事をきちんと展開できません。生活を営む社会的動物にするため、自分が何をしなければいけないかが分かってから、ようやく自己実現ができるようになったような気がします。

 マズローの欲求階層説に従って考えますと、患者さんにアプローチしていく時、まず生理的欲求を満たすことは当然です。次に安全の欲求を満たしていく。歩くのはまだ怖いという患者さんを支えてあげる。自力で歩ける力を付けてあげる。それから、愛や所属の欲求を満たしていく。例えば、「家族の一員である」という所属の欲求を満たす。次に、尊敬の欲求です。

 そして何よりも大事なのは、自己実現の欲求を満たしてあげることです。私たちは、患者さんの欲求が満たせるように努め、そして私たち自身も自己実現できるようにしないといけません。理学療法士として、自己実現する。単にメシを食うために仕事をしているのではない。患者さんが自己実現を果たせるような関わり方をしていくことが大切だと思います。自分の自己実現が満たされれば、きっと患者さんの欲求も満たせる。そう考えられるような存在になることが、これからの慢性期医療に必要であると思っています。

 かつて、「やればやっただけ、ガボガボお金が稼げる」という時代がありました。効果があろうとなかろうと、診療報酬が支払われるのです。もちろん、身体機能を維持するための医療もありますので一概には言えませんが、「患者さんの状態が改善したので支払う」という後払い請求の仕組みがあってもいいと思います。大して良くもならないのに、ダラダラとリハビリをやっていればお金になるという時代ではありません。診療報酬というのは本来、単に医療行為に対して支払われるのではなく、治療効果のある治療に対して支払われるべきものであると思っています。慢性期医療に携わる私たちが、いかに襟を正していくかが重要です。
 

■ 若手スタッフへのメッセージ
 

 自分がどうありたいのか、常に自分に問いかけて頑張ってほしいと思います。問いかけてみて、「こうありたい」と思った時には、やったらいい。でも、やらない人が多い。思っていてもやらなかったら、思っていないのと一緒です。ゼロはどこまで重ねてもゼロでしかない。具現化することが一番大事なことだと思います。

 私は解剖の世界に入るまで課長で、給料もそれなりに頂いていましたが、解剖の世界に入ったら給料は3分の1ほど減りました。でも、自分にとって解剖は大事なことだと思いましたし、妻も納得してくれました。やはり自分でこうありたいと思うものを持たなければ、患者さんには響かない。患者さんたちは、しっかりとした意志を持って治そうとする。社会に思い切って飛び出していこうとする。そんな時、背中をドーンと押してあげられるような存在になってほしい。そのためには、自分自身が主体的に取り組む姿勢を日ごろから持っていないといけないと思います。

 患者さんが主体的に自己決定していくために、私たちも主体的でありたい。自分の価値観を堂々と患者さんに見せてあげられるような存在でありたい。自分の存在が患者さんにどう影響したかを確認できた時、自己実現した達成感があります。自分の存在を感じ取り、自分の欲求も満たされていく。さらに、「こういう人間になりたい、もっとこうなりたい」という意欲が出てきます。ですから、幅広く、幅広く、生きてほしいと思います。

 松下幸之助さんの名言があります。「どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである」。本当にそのとおりだと思います。「自分は今これがやりたいという時に、がむしゃらにやってごらんよ」と思います。スタッフの皆に問いたい。「本当にあなたはその患者さんにベストを尽くしていますか?」と。さらに、「あなたはこの患者さんの脳のどこが障害されているかを知ってやっていますか?」と。それを知らずにやっている人が多いと思います。今、目の前にいる患者さんのために、一生懸命になってほしいと思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 私たちが患者さんたちに関わっていくことは、とても重いものだと思います。自分たちの存在が、その人にどういう意味を持つのかを常に問いかけてほしい。それを見事に実践されている方々はたくさんいると思います。医療だけではなく、例えば介護施設でのレクリエーションはどうか、そういうことも全部含めて、慢性期の患者さんたちに関わっていける、一個の人間として見ていけるようなシステムを構築してほしいと思います。

 そして、本来救われるべき人が救われていない現状を変えてほしい。医療は科学だと思います。科学に携わる人間として、そういう人たちにどう関わっていくかということにも真剣に取り組んでほしいと思います。基本的人権の尊重という日本国憲法の基本原理を考えた時、本当に今の国民が保障されているかどうか。疾病を持ったがゆえに、人権が十分に保障されていない状況が生じています。社会的弱者を救うために、この日本慢性期医療協会が弱者の声を代弁できるような活動をしてほしいと思います。科学者の集団として、そうした取り組みをぜひ進めてほしいと思っています。

                           (取材・執筆=新井裕充)

【プロフィール】

 吉尾雅春(よしおまさはる) 60歳 
 
 千里リハビリテーション病院副院長。医学博士。理学療法士。

 1974年九州リハビリテーション大学校理学療法学科を卒業後、
     中国労災病院勤務。その後、兵庫・大阪の病院で理学療法士として勤務
 1988年~1995年兵庫医科大学第一生理学教室研究生
 1994年札幌医科大学保健医療学部講師
 1994年大阪学院大学商学部卒業
 1995年~2006年札幌医科大学解剖学第二講座研究員
 2002年に博士(医学)の学位を取得
 2003年同大学教授
 2006年より千里リハビリテーション病院副院長に就任
 2007年厚生労働大臣より死体解剖資格認定
 
 日本理学療法士協会神経理学療法研究部 部会長
     および脳卒中理学療法ガイドライン班長
 理学療法ジャーナル編集委員
 著書は神経理学療法学(医学書院)、
 運動療法学総論第3版および各論第3版(医学書院)など多数
 

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