【第25回】 慢性期医療リレーインタビュー 服部紀美子氏

インタビュー

服部紀美子氏(定山渓病院副院長兼看護部長)

 「急性期病院ではできないケアがあります」。看護の道を歩んで30余年。急性期病院で20年の経験を積んだ後、札幌市の定山渓病院で慢性期医療に携わっている同院副院長兼看護部長の服部紀美子氏は、慢性期病院では特に「見極める力」が求められ、チームでの取り組みが重要であると指摘。「急性期病院を超えるようなケアを提供しなければ、慢性期病院は生き残れないのではないか。助けるケアと思いやりのあるケアを提供できるのが慢性期医療」と話します。
 

■ 看護師を目指した動機
 

 子どものころ、身体があまり丈夫ではありませんでした。運動会や遠足の翌日には、必ず寝込んでしまいました。病院に行くことが多く、病院ではお医者さんよりも看護婦さんの存在を強く感じていました。看護婦さんは、私が病院に行くといつも優しくしてくれて、私も病院に行くのがとても好きでした。注射が終わると必ず「おりこうだったね」とほめてくれましたので、注射で泣いたことはありません。「看護婦さんっていいな」と、ずっと思っていました。

 そんなある日、今でも時折、思い出すような事がありました。小学校5年生の時です。近所で、おじいちゃんが列車にひかれました。辺りは真っ白な雪一面です。その雪の中にうずまるように、おじいちゃんが横たわっていた。そのおじいちゃんを見た時、私は不思議にも「怖い」という気持ちはなく、「何かしなくちゃ!」と思いました。しかし、親や周りの人たちは、「事故だから、警察が来るまで触っちゃいけない」と言います。列車にひかれた人がすぐ目の前にいるのに、みんな何もしないでじっと見ているだけ。高校生ぐらいのお孫さんが、おじいちゃんの背中を一生懸命にさすっていますが、私はそばに立って見ているだけです。

 小学5年生の私にはそれが全く理解できなかった。何かしてあげたいのに、何もできない。「みんな、どうして助けてあげないのだろう?」と納得できません。私は今でも、その光景を思い出し、夢に出てくることさえあります。そして思うのです。「なぜあの時、誰も、何もできなかったのだろう」と。私は病弱でしたので、私と同じように弱い人たちがたくさんいるのではないか、そういう人たちのそばに寄り添えないか、と次第に思うようになりました。これが看護師を目指した動機です。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 看護師になった後、助産師になろうと考え学費を貯めて都立の助産師学校を受験しました。しかし合格発表の日、残念ながら私の名前はありませんでしたので、入学金で、私はすぐに友人と九州旅行に出かけてしまいました。

 ところが、旅行から帰ってきましたら、1通のはがきが届いている。「何だろう?」と思いながら見てみると、補欠合格の知らせでした。補欠は合格者欄には載らず、下のほうの「補欠」の欄に載っていたらしいのですが、気付きませんでした。届いたはがきには、「○○日までに入学手続きをしてください」と書いてあります。すでに締め切りを過ぎていました。その時、「助産師には縁がないのかな」って思いました。

 でも、子どもが好きだったので、小児科の看護師になりました。急性期病院です。看護婦の免許を取ったのが昭和51年で、それからずっと急性期病院に勤務していました。平成11年に慢性期病院に異動して驚いたのは、看護師さんが少ないことです。逆に、「介護職さんはなんて働のだろう」と思いました。看護師の数が少ないから介護職がそれを補っている。慢性期の病院では当たり前のことなのですが、こういうことを急性期病院の看護師さんは知らないのではないかと思いました。

 急性期病院から転院してくる重症の患者さんがたくさんいました。それなのに、少ない人数で対応していることに驚きました。ケアを介護職が行い、ケアの質も介護職が上げている。看護師が少ないからリハスタッフも協力するし、みんながチームになって行っている。看護だけではできない事はチームで対応する。そういうことを慢性期病院に移って感じました。

 当時は、慢性期病院に来る看護師は、急性期医療に疲れた人や、「急性期病院で振り落とされた人」と言うと、ちょっと言い方は悪いかもしれませんが、例えば「コンピューターが苦手」とか、「パッパッと仕事ができない」とか、なぜかそういう人たちがいるような誤解があった気がします。急性期病院の方から「急性期に関わっていない人」という言葉と冷めた視線を感じた時、すごくショックでした。

 でも、急性期病院よりも、いろんなことを勉強しなくてはいけないのが慢性期医療だと思います。急性期病院の看護師と話していると、「あなたも慢性期にいらっしゃい。いろいろ勉強できますよ」と言いたくなります。慢性期医療はすごく奥深い。急性期病院では、疾患を治すことに専念する。しかも、関わりはほんの一時のことが多い。患者さんやご家族との関係はずっと継続しません。

 急性期病院では患者さんと向き合うことが第一になります。例えば、がんだったら、「告知するかどうか」という判断も患者さんを相手に考えます。でも、慢性期や小児科では、ご本人の判断能力が十分でないケースが多いため、ご家族との関係から始まります。患者さんと同様にご家族の意向を確認して、ご家族の思いをつかむことが重要になります。これは、私が長年携わってきた小児医療と共通しています。小児では、最初からお母さんです。そこで、チームの力がとても大事になってきます。

 「この家族と接したMSWはどうとらえた」とか、「リハ訓練の時はどんな感じだったか」という情報を共有して、家族の意向をくみ取っていく。武久会長が言う「良質な慢性期医療がなければ日本の医療は成り立たない」は、本当にその通りだと思います。慢性期医療におけるチーム医療や情報共有の在り方は、日本の医療全体の質を向上させていく原動力になると思います。

 慢性期医療では、患者さんの背景にあるさまざまな情報を集めて、今後の対応を見極める力が必要になります。急性期病院では、「治ったからもういいよ」、「退院していいよ」と言うことが多いと思いますが、慢性期病院では、「在宅か、施設か」ということを見極めて選ぶ。「この家族には在宅介護は無理だ」とか、「この人は施設のほうがいいのではないか」など、そういう判断や見極めが必要ですので、慢性期に移ってとても勉強になりました。

 私が慢性期医療に違和感なくなじめたのは、きっと小児科での経験があったからだと思います。そうでなければ、途中で挫折していたかもしれません。急性期病院の冷めた目の人たちを見た時に、「違うよ」って思います。私は、急性期病院の方々にもっと伝えたい。急性期病院から移ってきた看護師から「すごい勉強になります」と言われると、すごく嬉しいです。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 助けるケアと思いやりのケアです。慢性期医療では、急性期病院や在宅で行うケアを超えなければいけないと思っています。急性期病院では命を助ける。それに対して、慢性期病院では、例えば褥瘡を治す、終末期の問題もある、いろいろなことに対応しなければいけない。急性期病院ではできないケアがあります。

 急性期病院におけるケアは、やっぱり医師が中心。もちろん看護師はケアをしますが、慢性期病院における看護師のケアとはかなり違うと思います。もし、急性期病院と同じようなケアを提供するのなら、慢性期病院を選ばないでしょう。もし、慢性期医療がだめになってしまったら、日本の医療もだめになるかもしれません。在宅医療を支える力も少なくなり、急性期病院の受け皿もなくなる。多くの患者さんは行き場を失うかもしれません。ですから、急性期病院を超えるようなケアを提供しなければ、慢性期病院は生き残れないのではないかと思います。

 例えば、「安らかに亡くなることができた」とか、「最期がこの病院で良かった」と思えるような病院を目指したい。看護師も介護職もみんな親身になってくれて、心配りがすごくいい病院。気持ちが行き届いている病院。患者さんやご家族の思いを助けてあげられる病院。つまり、助けるケアと思いやりのあるケア、この2つができるのが慢性期医療かなと思っています。

 助けて、そして心を込める。やっぱり看護は心なのだと思います。人と人との触れあい。そういう看護が慢性期医療では求められているし、できる。在宅に戻った後も、「何かあったら私たちが看てあげるよ」とか、何らかの応援メッセージを出してあげる。これが慢性期病院に必要な在宅支援だと思います。在宅の患者さんが救急車で病院に運ばれて来たら、「もう大丈夫よ」とか、「じゃあ1日泊まっていく?」とか、そういう感じで支えてあげる。「しばらくここにいて、また良くなったら帰ればいい」って、そんな気軽な感じもいいのではないかと思っています。

 それは決して、「ホテルみたいに使って」という意味ではありません。患者さんはなんらかの疾患を持っていて、大変な状態にあるのは確かですから、そうした患者さんを受け止められるだけの質の担保が必要です。では、慢性期病院における質とは何でしょうか。私は、第一にチーム力だと思います。そして、看護師をはじめ、それぞれのスタッフが患者さん個人を見極める力を持っていることだと思っています。

 当院の職員にもよく言うのですが、見極める力を持っていれば、その人の欲しているものが分かるのではないか。提供するのが自院でなくても、患者さんに何を援助すればいいのかを判断できれば、最適なケアができる。それが看護師の役割ではないかと思います。患者さんが何を望むのか、その人にとって何がいいのかをよく話し合って、見極める。この力を高めていくことが、これからの慢性期医療にとってますます必要であると考えています。
 

■ 若手スタッフへのメッセージ
 

 人を好きでいてほしいと思います、少なくとも嫌いにならないでほしい。例えば、性格的に合わない患者さんがいて、「この人は嫌だ」と思ったとしても、それを決して口に出してはいけません。人と接する仕事に就いたのだから、その患者さんが不快になるようなことは言わないでほしい。自分の心の中にとどめておいて、患者さんの行動を「どうしてするのだろうか、何か良い方法はないのだろうか」と考えてあげるべきだと思います。

 ご家族の方が、患者さんのことを「困ったね」と言うかもしれませんが、温かく受け止めてあげてほしいと思います。職員の中には、ちょっと仕事の進みが遅い人もいるかもしれませんが、その人も決して嫌いにならない気持ちでいてほしいと思います。お給料のためだけにやっている職種ではないという自覚が必要です。認知症で徘徊していて、とても困っている。でも、そんな認知症の患者さんを「かわいい」と思えるようになってほしい。

 私が慢性期病院に来た時、やはり認知症の患者さんに身体抑制を外す時に、「できない、この人は難しい」と思いました。でも、抑制を外す過程や、他者へいろいろとアドバイスをしていくことで、認知症のことが分かってきました。当時の看護師長が、「このおじいちゃん、すごくかわいい」と言うことや、看護師たちの患者さんを見る目が変わり、「どうすればできるのだろうか」とか、「この人に何をすれば改善するのだろうか」と考えられるようになる。それを認知症の患者さんから私たち職員が学んだと言えます。

 「できない」とか「無理だ」と言わないこと。医療はサービス業です。ホテルとは違うサービスを提供しなくてはいけない。ホテルは一時だけですが、慢性期の病院は継続的に患者さんやご家族とお付き合いします。家族がお見舞いに来たくなくなるとか、看護師や介護職が嫌いだから退院することは、患者さんの改善に影響します。患者さんの近くでケアをするのは、看護職と介護職です。医師は治療ですが、日常的に関わるのは私たちスタッフです。ケアの力で病気を治していく。ですから、若い人たちはぜひ人を好きでいてほしい。患者さんだけでなく、ご家族に対しても他のスタッフに対しても、思いやりの心を持って接してほしいと思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 たくさんありますが、特に、データが持つ力をこれからも大切にしてほしいと思います。日本慢性期医療協会では、会員病院に対して調査をして、いろいろなデータを集めています。私は、そのデータが素晴らしいと思います。データには現場の取り組みが凝縮されている。そして、そのデータは日々動いている。生きている。今後、日本の医療がもっと質を高めていくためには客観視できるデータが重要となり、慢性期医療の質の向上にも必要であると思っています。

 それから、チーム医療への取り組みもさらに積極的に進めてほしいと思います。慢性期病院の医師は、看護職や介護職をすごく大事にしてくれます。勉強会も数多く開催されています。他の団体よりも先進的で、常に先手を打っていると思います。そうした活動をもっとPRすべきだと思っています。

 武久会長は、良質な慢性期医療のための50ヶ条を提言しています。その50ヶ条をすべてクリアするのはとても難しいことですが、理想を掲げて、その理想に近づけることはとても大事なことだと思います。標準というのは、低くても高くても標準になり得るものです。問題は、どこを標準とするかです。高い目標を標準にするのはかなりきついのですが、一度上がったレベルは簡単には低下しません。ですから、その50ヶ条が全国の慢性期病院の標準となって、さらに高い目標に向かって進んでいけたらいいと思います。

 良質な慢性期医療は、医師だけでも看護師だけでも実現できません。急性期医療は医師次第のことが多いのでしょうが、慢性期医療は違います。看護師も介護職もみんなが一体になってやれるのが慢性期医療です。長期的にお付き合いする慢性期だからこそ、ご家族も一緒に参加できる。そういう慢性期医療の良さをこれからも伸ばしていきたいと思います。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
定山渓病院 副院長兼看護部長(認定看護管理者)

昭和51年  東京都立看護専門学校卒業
       武蔵野赤十字病院、練馬総合病院、北海道大学医学部付属病院
平成4年   医療法人渓仁会 手稲渓仁会病院
平成11年  医療法人渓仁会 定山渓病院に副看護部長として異動
平成17年  医療法人渓仁会 定山渓病院 看護部長
平成21年  公立大学法人札幌市立大学地域連携研究センター
       看護管理者制度サードレベル教育課程修了
平成23年  医療法人渓仁会 定山渓病院 副院長兼看護部長
 

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