【第11回】 慢性期医療リレーインタビュー 林光輝氏
「医療には、『生きるための治療を施す』という重要な役割がありますが、慢性期の領域では、『死を受け入れなければいけない』という、医療本来の役割とは正反対の側面に労力を使います」──。日本慢性期医療協会に発足当時から関わっている医療法人・橘光葉会理事長の林光輝先生にお話を聞きました。
■ 医師を目指した動機
「父が医師だった」という先生が多いのですが、私は医療関係の家系ではなく、父は会社を経営していました。兄弟が8人もいまして、私は末っ子でした。父はもうかなり前に亡くなり、身長が190センチ、体重が100キロ以上もありました。今の言葉で言えば、いわゆるメタボリックですね。そのため高血圧や狭心症、糖尿病など多くの病気を抱えていました。
父は仕事をバリバリやる人でしたが、50歳ぐらいから持病の影響が出てきて、いろいろな病院の先生方とお付き合いがありました。私はまだ幼かったのですが、父とお医者さんとの宴席によく連れて行かれました。父と医師との会話をそばで聴いている中で、医師という職業を意識していたのかもしれません。
父は自分が病気がちだったことや、子どもが8人もいたこともあり、「1人ぐらいは医療の道に進ませたい」と考えていたようです。ところが私の兄たちは、「俺は血を見るのが苦手だ!」などと逃げ回って、会社員になりました。残ったのは末っ子の私です。「誰も医師になる者がいない」ということで、なんとなく矛先が私に向かいました。
ある時、父が「医者というのは命を扱う職業だ。大変な仕事だと思うが、どんな時代でも必要とされる」と私に言いました。父はいろいろな修羅場をくぐってきたのでしょう。「医者は食いっぱぐれることはないぞ」とか、「お金をお支払いただいてお礼を言われる職業はそんなにあるものではないぞ」と言いました。当時は、お医者さんが訴えられるような時代ではありませんでしたからね。
兄弟はみな会社勤めをしており、私は将来を自由に決められる環境にありました。親しくしていた高校の同級生が医師を目指しており、「一緒に医学部に行こう」ということになりました。そんなことがいろいろ重なって医師になったというのが本当のところです。ですから、「こんな動機があったんだ」と、胸を張って言えるようなものはないのです。
父は、私が大学2年生の時に脳卒中で急死しました。私が医師になった時は既に他界していましたので、医師として父に恩返しができませんでした。あれからもう40年近くが経過しました。当時は、まさか医療界がこんなふうになるとは想像もしませんでした。「お医者様」と感謝されるような時代でしたので、医師という職業を勧めたのでしょう。父の言葉がなかったら、医師にならなかったかもしれません。
■ 慢性期医療に携わって思うこと
精神科に入局して、その後もしばらく精神医療に携わっていましたが、精神医療だけでは何となく足りないような気がしました。「ジェネラルな一般内科を勉強しなければいけない」と思ったのです。そこで、教授に頼み込んで5年ぐらい内科に出向して、内科の勉強をさせてもらいました。大学医局に戻ってからは精神科と内科領域が重なるような分野での診療を行っておりましたが、大学を去る時には「これから高齢者が多くなる」と思い、それからずっと高齢者医療に携わっています。
「慢性期医療」はものすごく、とてつもなく範囲が広いです。現場で日々、痛感しています。当院は240床ぐらい療養病床があるのですが、9割以上の患者さんは、他の病院や介護施設からのご紹介で入院されています。総合病院はもちろん、脳外科の専門病院から来る患者さんもいます。そのほか、さまざまな施設から来ます。ですから、対応しなければいけない範囲がものすごく広く、そして多いんですね。
「慢性期医療に携わって思うこと」を率直に申しますと、「守備範囲が広くて大変な分野だな」というのが正直なところです。「心臓だけ」とか「肺だけ」ということではなくて、身体の状態がいろいろと変化しますから本当に大変です。急性期病院は、例えば臓器を対象に治療して、「はい終わりました」という所です。医療の目的が比較的明確です。「病気を治療する」ということを本業として、それに注力すればいいのですが、慢性期医療は違います。
慢性期医療の大きな特徴は、期間が長いということです。回復して自宅に戻れればいいのですが、それが難しい場合には他の施設を探します。たとえ自宅に帰れたとしても、どのように在宅医療をフォローしようかという問題が発生します。入院期間が長ければ患者さんにもいろいろな問題が出てきます。ストレスもあるでしょう。わがままになることもあります。そういうことをすべて受け入れ、吸収してあげるということは本当に大変なことです。慢性期医療は、患者さんの身体的な面だけではなく、精神的な面も社会的な面も、365度の角度から見渡して対応していかなければいけない、そういう分野だと思います。
医療には、「生きるための治療を施す」という重要な役割がありますが、慢性期の領域では、「死を受け入れなければいけない」という、医療本来の役割とは正反対の側面に労力を使います。240床の当院で、多い時で月に10人ぐらいの患者さんがお亡くなりになります。ですから、治療して、さらに治療して、「ああ、駄目だった……」ということではなく、この患者さんをどのような形で看取ってあげるかということも、「病院」という存在でありながら考えていかなくてはなりません。
そうした事情もあり、慢性期医療というのは急性期医療の何倍もの労力が必要になる領域かもしれません。かつては、リタイアした先生が「ちょっと高齢者を診ようか」という感じで対応していた時代もあるのでしょうが、今はもう無理だと思います。すべての職種が絡んだ形で対応していかないといけません。医者だけで支えることはできません。
■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
「これが慢性期医療だ」という棲み分けが明確ではありません。「急性期以外は慢性期医療」という考え方もあるように、範囲がとても広いのが慢性期医療ですので、さまざまなニーズに対応していく必要があります。
当院は、地域に密着した医療・介護づくりをテーマに取り組んでいます。遠くの病院に時間をかけて通うのではなく、できるだけ自宅の近くに必要な施設やサービスがあることが望ましいと思います。高齢化が急速に進んでいますので、医療や介護サービスなどについて、いろいろな相談事が増えています。当院では、できる限りすべてのニーズに対応できるよう、施設機能の充実を目指しています。
しばしば外来などで、ご高齢の方に大きな総合病院を紹介することがあります。ところが、「20年もここに通っているんだから、ここでいい」と断られることが少なくありません。当院にできないような検査などもありますので、できればもっと大きな病院で詳しく診断してもらおうと思うのですが、首を横に振る患者さんが多いのです。「また戻ってくればいい」と説得するのですが、通い慣れた病院がいいという気持ちが強いのかもしれません。これからの慢性期医療を考えるとき、「治療目的の積極的な医療」ではない部分の役割や、その重要性というものを強く感じます。
現在の医療療養病床は、医療行為によって診療報酬が区分けされています。例えば、気管切開しているような重度の患者さんは、高い区分の診療報酬になっています。逆に、医療スタッフの手間が少ない軽度の患者さんは低い区分の診療報酬です。かつて高齢者の入院医療について、「検査漬け」「薬漬け」と批判された時代がありました。現在の「医療区分」は、やればやるだけ診療報酬が増える「出来高払い」に近い考え方であるような気がします。
DPCの導入によって、救急病院の平均在院日数が短くなっていますので、退院先の確保が重要になっています。一方、慢性期病院の側は、気管切開した患者さんや中心静脈栄養の患者さんらを受け入れれば、高い診療報酬を得ることができます。つまり、救急病院にとっては受け入れ先が見つかりやすくなり、慢性期病院にとっては高い診療報酬が得られるという関係にあります。ですから、現在のままでは「老人病院」と言われた昔の医療に逆戻りする恐れがあります。現在の「医療区分」は、そうした危険性をはらんでいます。
高齢の患者さんにとっては医療も介護も福祉もほとんど一緒で、それぞれ重複しています。医療、介護、福祉は、明確に切り分けられません。身体を3つに分けることはできませんから、医療も介護も福祉も同時に対応できるようにする必要があると思います。すべてを救急病院が担うのは無理でしょうし、慢性期病院の「医療区分」だけでは対応できません。ですから、高齢の方がゆったりと安心して長期療養できるような場が、今後ますます必要になってくると思います。
高齢者医療はかつて、診療報酬が高いほうへ流されていく傾向がありました。もう、そういう時代に逆戻りしてはいけません。医療療養病床の入院料を定める「医療区分」という制度は、非常によく練られた仕組みだとは思いますが、高齢者のあらゆる疾患などにすべて対応することは不可能です。ですから、これ以上「医療区分」を細かく分けていくのではなく、むしろトータルに見ていくような方向もあっていいと思います。医療、介護、福祉を一体化したような病床が必要ではないかと考えています。
■ 若手医師へのメッセージ
最近はかなり専門性に特化している傾向がありますが、臓器を対象とするのではなく、患者さんのQOLを考えた医療行為を目指してほしいと思います。例えば、85歳で呼吸状態が悪いので気管切開したほうが安全だろうというケースがあります。この場合、気管切開した後、この患者さんがどういう方向に進むのかということにも目を向けてほしいと思います。
気管切開しても、若い人なら1~2週間後に改善してリカバーすることがよくありますが、高齢者の方は一度開けてしまうとなかなか戻せないことが多いのです。そうしますと、声を奪うことにもなりますし、痰を吸引してもらわないといけない。チューブを入れられますので、とてもつらいですよね。
また、「食べられないから胃瘻を入れよう」ということになれば、食事をするための機能も衰えます。急性期病院の中には、そうしたことまで考えずに治療を進める先生もいますので、その医療行為の先まで考える姿勢を持ってほしいと思います。病気を見るのではなく、病人に目を向けてほしいと思います。
■ 日本慢性期医療協会への期待
日本慢性期医療協会の始まりは「介護力強化病院連絡協議会」で、これを改称した後に「日本療養病床協会」となり、そして4年前に「日本慢性期医療協会」になりました。私は発足当初から入会させていただきましたので、この間の変遷を見てきました。
現在の名称に変わったのは、武久洋三先生が会長に就任してからです。それ以来、慢性期医療に関する活動がものすごく活発になりました。職員の研修、学会などを通じて、「慢性期医療とはこういうものだ」ということを全国に発信し、最近ではアジア諸外国なども含めて盛んに意見交換を行っています。
慢性期医療について「老人病院」と言われたころは、それぞれの病院任せにするような面がありました。しかし、最近は協会内の委員会や教育制度などが充実していまして、床ずれの問題や栄養面、痰の吸引など細かい部分まで研修会やセミナーでフォローして、慢性期医療の質向上を目指しています。
武久会長の4年間で慢性期医療の重要性や必要性が広く認識されるようになったと思います。「慢性期医療」というものがまだ明確に定義されているわけではありませんが、大きな枠組みが徐々に理解されるようになってきたと思います。
全国規模で毎年開催している学会の影響力も大きいと思います。今年は福井で開催します。この学会には、すべての職種が集まります。私自身、いろいろな学会に所属していまして、たいていは医師や看護師の参加者が中心です。しかし、日本慢性期医療協会の学会には、リハビリ職や介護職などすべての職種が一同に集まります。医師中心の学会ではなく、介護や看護の活気がものすごいのです。
これまで療養病床を持つ病院は、「何をどうすればいいのか」ということを各病院で悩み、考えていた面があります。しかし、この4年間で大きく変わりました。「慢性期病院は今後どうすべきか」ということを発信していますので、各病院のみなさんは「そういうものなんだ」ということを少しずつ認識されてきていると思います。
特に、協会の各委員会などを通じて集めたデータを厚生労働省に提出するなど、エビデンスベースの提言が素晴らしいと思います。単に「診療報酬を上げろ」と要望するのではなく、しっかりしたデータに基づく主張になっています。こうしたさまざまな活動に対し、全国の慢性期病院の関係者は本当に感謝していることと思います。今後もぜひ、慢性期医療の確立を目指して、多くの病院を引っ張っていってほしいと期待しています。(聞き手・新井裕充)
【プロフィール】
昭和28年 6月生まれ
昭和54年 3月杏林大学医学部卒業
昭和62年 4月杏林大学医学部付属病院 医長
平成2年 4月医療法人社団 三条東病院 病院長
平成9年 5月医療法人社団 橘光葉会 理事長
平成14年 8月紀尾井町クリニック 開設
平成16年 11月紀尾井町クリニック新大阪 開設
医学博士
精神保健指定医
日本臨床毛髪学会認定医
日本臨床毛髪学会 監事
日本慢性期医療協会 監事
2012年7月20日