【第31回】 慢性期医療リレーインタビュー 市川邦男氏

インタビュー 役員メッセージ

市川邦男先生(公立七日市病院院長)

 京都大学の工学部を卒業後、民間企業に勤めてから医学部に入ったという経歴を持つ市川邦男先生。「医者ではない普通の人の感覚を持っていたことが役に立っている」と話します。群馬県富岡市にある公立七日市病院の院長に就任して約10年。「競争ではなく協力」という方針で、近隣の急性期病院の後方を支えてきました。今後の課題は在宅医療。「患者さんがくよくよしないで、のんきに、楽観的に過ごせる雰囲気をつくってあげたい」との言葉に力がこもります。
 

■ 医師を目指した動機
 

 多くの人が、病気から逃れて幸せな生活を送れるようになれたらいい。小学生の頃に、そんな思いを抱いたことが大きな動機です。この道に進む大きなモチベーションを与えてくれた先生が近所にいたからです。戦後の混乱の中、地域住民の方々から頼りにされているお医者さんがいました。両親がとても親しくしており、私にとっても身近な存在でした。「こんなお医者さんになりたいな」と思ったことを覚えています。それは医学研究に携わる医師ではなく、まさに地域医療ですね。私もその先生のようになりたいと思ったことが、医師を目指した動機です。

 その先生は戦時中、海外におりまして、非常に苦労されたそうです。終戦後に帰国してからも医師の仕事を続け、非常に親身になって診療していました。地域から愛され、頼りにされる先生のお人柄が魅力的で、私にとって人生のお手本のような存在でした。その後、自分の将来を考える時になって、その先生のことを思い出し、「やはり医師になろう」と改めて決意しました。

 と言いますのは、実は最初に進んだのは医学部ではなく、京都大学の工学部だったのです。卒業後は民間企業に勤めましたが、朝から晩まで研究室に閉じこもる、無機質な日々の連続でした。目の前にいるのは人間ではなく、感情を持たない物質ばかり。人と接する仕事ではないわけです。「つまらない」と思いました。そこで、医学部に入り直したのです。子どもの頃に好きだった、その先生の姿が心の片隅にありました。私が目指したのは地域医療であり、その思いは今でも変わりません。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 私は医師になる前に社会人を経験していますので、いわば一般人です。医者の家系でもありません。ですから、子どもの頃から医者を目指し、医学部を出て、そのまま医者になった方々とはちょっと感覚が違うかもしれません。医者ではない普通の人の感覚を持っていたことが、慢性期医療で非常に役に立っています。それは、患者さん側の視点で考えることができるということです。

 私は最初から「慢性期医療をやろう」と考えていたわけではありません。一般内科の医局に入り、総合的な診療に携わっていましたが、次第に高齢の患者さんがどんどん増えてきました。そうしますと、疾患の治療だけではなく、病気の背景にあるものに目を向けるようになります。患者さんの生活や仕事、家庭環境、QOLまで含めて診る医療です。病気が完全には治らないけれども、抱えながら人生を歩んでいく。患者さんの人生を共に考えていく。それが慢性期医療であると思っています。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 医療者は、支払側の視点も持つ必要があると思います。私は地方厚生局で医療機関の指導を2年ほど担当していたことがあり、そこでは、診療報酬を支払うまでのプロセスを知ることができました。またその頃から現在まで社会保険支払其金でレセプトの審査をしています。

 医師のなかには、患者さんを診療した後、どのようにしてお金が入ってくるのか、診療後の過程を十分に知らず、患者さんのお話をよく聴いて、診断して、お薬を出す。その後は事務職員がやってくれて、どうなっているのかよく分からない方がおります。

 ところが、診療報酬を支払うシステムを知ると、まっとうな医療と、そうでない医療との違いが見えてきます。当たり前であると思っていたけれども、実はそうではないこともあります。医療を提供すれば、当然お金になるものではなく、そしてさらに言えば、自分で良い医療を提供していると思っても、それが診療報酬上の評価につながるとは限らないということもあります。

 私が院長に就任した当時、近隣の病院との役割分担が明確ではありませんでした。その病院は急性期の総合病院で、当院は内科の専門病院。患者さんは当然、当院から2キロ離れた総合病院に行くわけです。当院は療養病床もありましたが、病院経営はあまりいい状態ではありませんでした。そうした状況で病院改革を任される立場になったのですが、この時に役立ったのが、厚生局での経験でした。どうすれば診療報酬につながるのか、施設基準などの知識が生かされました。

 当時、看護師もリハビリも、スタッフのやる気はみなぎっていました。こういうスタッフなら院長を引き受けてもうまく運営していけるだろうと思ったのですが、実は医師に問題がありました。院長になってから気づいたのですが、医師が近隣の病院と競争してしまう。「競争」ではなく「協力」すべきなのに、争ってしまう。医療機関の機能分化が叫ばれて久しいですが、役割分担の必要性を感じました。近隣の総合病院との連携が必要です。「競争」ではなく「協力」するように方針転換しました。当院の立場は最近の言葉を使えば、「ポスト・アキュート」ですね。そして、回復期リハビリテーションの機能。最初はうまくいきませんでした。医者同士が張り合っていた。しかし、次第に連携せざるを得ない状況になりました。そうして、黒字転化ができました。

 しかし、現状のままでいいとは思っていません。在宅医療に向けたきめ細かい連携まではできていないからです。その理由は、医師不足です。急性期からの受け入れに加え、在宅医療の支援にも対応するためには、もっと医師が必要ですが、地方の病院にはなかなか医師が集まりません。ただ、地域における当院の役割について、その方向性は明確になっていますから、スタッフはみなやる気がありますし、非常にいい雰囲気です。これを維持しながら、在宅医療をはじめとする様々な課題に取り組んでいきたいと考えています。

 患者さんのQOLが保たれて、良い生活が送れることを手助けするのが医療の役割です。何よりも、苦痛の除去です。身体的な痛みだけではありません。その人が抱えている様々な痛み、苦痛があります。それをいかに取り除いてあげることができるか。単に治療して、「はい、終わり」ということではなく、もっと広がりのある、深いものが慢性期医療。患者さんがくよくよしないで、のんきに、楽観的に過ごせる雰囲気をつくってあげたいと思っています。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 医師になって最初に勤めたのは救急病院です。赴任した日に重症の患者さんが入院しました。いつ生命の危険があるのか分からない状態です。5日間ぐらい、ほとんど付きっきりで、睡眠時間は1日2時間ぐらいでした。若いからできたのでしょうね。そのかいあってか、なんとか回復しました。患者さんは30歳ぐらいの男性で働きざかりです。小さい娘さんが1人おりました。救命することができて本当に良かったと思いました。今でも忘れられない一番の思い出です。

 医療の目的はまず救命です。救急状態にある時はまず救命です。しかし、救急状態を過ぎた後の単なる延命については、難しい問題を含みます。意識がない状態でパイプをつながれて延命している。これをどう考えるか。それぞれの判断に委ねる部分も多いとは思いますが、高齢化がますます進みますと、医療だけでは解決がつかない領域に対する理解も求められてくるでしょう。医師が決めるのではなく、決定権は患者さんにある。しかし、医療行為を行うのは医師です。

 私たちの学生時代と違って、最近の医学教育では高齢者医療に関する教育もなされていると聞きます。とても良い傾向ですので、さらに進めていただきたいと思いますが、心配なことがあります。これからの高齢者は団塊の世代です。つまり、とにかくうるさい(笑)。つらい戦争を経験していないし、学生時代にゲバ棒を振り回していた人もいるでしょう。高学歴の患者さんも多い。そうしますと、若い医者は説得力を持たないと、彼らを相手にするのは難しい。

 私たちが子どもの頃は違いました。医者が言うことは絶対で、患者さんは黙って従う医療でした。ところが、これからは「なぜ、この検査が必要なんですか?」としつこく問い詰められます。痛いことが嫌いな患者さんからは「もう点滴はやめてくれ、いらないから」と言われます。

 さらに言えば、団塊の世代の患者さんは、医者になった同級生が必ずしも成績優秀ではなかったということをよく知っている(笑)。ですから、自分を診察する医者が果たしてどれだけ優秀なのか疑問に思う患者さんが少なからずいます。しかも、最近は医療情報が氾濫していますし、インターネットで調べれば、詳しい医学知識を得ることができます。生半可な知識では、患者さんの質問に答えられません。 従って、そうした患者さんに対応できるような医者でないと、なかなか大変かもしれません。特に、大都市部の高齢者を診る若いお医者さんは、これから本当に大変だと思います。田舎はそれほどでもないでしょうが、都会は本当に大変でしょうね(笑)。

 ちょっと脅かしてしまいましたが、対策はあります。自分の父親を練習相手にして、納得させる訓練をすればいい。親父の疑問に対して、説得力を持って話すことができるか。つまり、説明の内容が問題なのではなく、むしろ説明の仕方です。会話力です。コミュニケーション能力を磨くことが必要です。神様の目から見て、それが最適な治療とは限らない場合でも、その患者さんにとっての最適な治療であればいいのです。治療に対して本人が十分に納得することが必要で、そこに至る説明をきちんとできるかどうかが重要だと思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 私が慢性期医療に携わった当時はまだ、「2025年問題」などの意識はありませんでした。しかし現在は、喫緊の課題として我々の目の前にあります。そうしたなか、私が本当にすごいと思うのは武久先生です。療養病床を持つ病院群が今後どうしていけばいいかという絵を具体的に示したのは武久先生が初めてではないかと思います。すごいことだと思います。
 
 2025年に向けた慢性期医療の具体像を出して、それを行政にも働きかけ、提言しています。かつて行政に対して発言力があったのは、急性期病院の先生方と医師会です。慢性期病院の声は行政には十分に届いていませんでした。それを変えた力はものすごく大きい。今までは慢性期医療の形というものを十分に示していなかったのですが、現在は様々な調査結果などを示し、エビデンスに基づいて主張している。これは素晴らしいことであると思います。
 
 もちろん、武久会長のお力が大きいことは言うまでもありませんが、会員の先生方が協会の運営に非常に協力的で、積極的に取り組まれています。そこが日本慢性期医療協会のすごいところです。慢性期医療はこれからの日本の医療にとっても社会にとっても非常に重要な部分です。亜急性期から終末期までを、きめ細かくシームレスにつなげていくことを考える組織です。これからもますます、協会の活動に対する期待が高まるであろうと思っています。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】

 昭和45年3月  京都大学工学部石油化学科 卒業
 昭和54年3月  群馬大学医学部 卒業
 
 昭和54年4月  群馬大学医学部第一内科入局
 昭和56年5月~ 前橋赤十字病院等 群馬大学第一内科の関連病院に勤務
         この間に平成11年4月~13年6月厚生局群馬事務所指導医療官
 平成15年4月~ 公立七日市病院 院長
 
 平成3年3月  医学博士号取得
 
 日本慢性期医療協会理事
 全国自治体病院協議会理事
 群馬県病院協会理事
 社会保険診療報酬支払其金群馬事務所主任審査委員
 
 
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