【第22回】 慢性期医療リレーインタビュー 越智豊氏

インタビュー 役員メッセージ

越智豊先生(北摂中央病院院長)

 「訴訟社会で、果たして日本は成り立つのかを国民全体で考える必要があります」──。急性期病院の平均在院日数が短縮され、慢性期病院の受け入れが進むと、医療訴訟が深刻になるとの指摘があります。兵庫県西宮市の医療法人緑水会の北摂中央病院院長で、日本慢性期医療協会(日慢協)理事の越智豊先生は、「死に対して『そういうこともあり得るかもしれない』と言える社会をみんなでつくっていくべきではないでしょうか。『一生懸命やってくれたのだから仕方ないよ』と受け入れることのできる社会を」と訴えます。
 

■ 医師を目指した動機
 

 「親が医者だった」というのが定番ですが、僕は違うんですよ。父は税関の職員、そして神戸市港湾局の一員として、神戸港の発展に尽くしてきた人間です。私の一族は医師の家系ではありません。では、なぜ医者になったのか。それは、人に感謝される職業に就きたかったからです。私は現在、慢性期病院で勤務医をしておりますが、元々は外科医です。患者さんが退院する時に、「ありがとうございました」という言葉を頂きました。最近は死亡退院が多いのですが、それでもご家族の方から「先生、本当にありがとうございました」と言ってくださる。やはり、医師は人から感謝される職業であると感じています。

 中学1年生のころは医師ではなく、ロケットの研究者になりたいと思っていましたが、高校に進んでから変わりました。私が通った中高一貫校には医師の家系の友人が多かったので、将来の進路についていろいろ話をする中で、「医者って面白いな」ということを感じました。それから、私は学問が好きでしたので、「一生学問を続けられる分野は何か」ということを考えた時、「医療」という選択肢が出てきました。大学受験が近づき、友人の多くが医学部を目指しましたので、「それなら、私も」と思い、医学部に進みました。

 大学時代の6年間は、野球部に所属していました。そうしますと、当然のごとく外科になります。体育会系の人間はたいてい外科なんです。その中でも、「一般消化器外科」という所に入局する奴が多くて、同期15人のほとんどは体育会系の出身です。「体育会の志ある者はみんな外科!」って感じですね(笑)。

 うちの外科っていうのは、もう本当にスパルタで厳しい所でした。現在は違うと思いますが、当時は「どつく」「殴る」「蹴る」というのは日常茶飯事でした。研修医になりたてのころは、毎朝5時半に起きて7時には病院、そして夜はエンドレスという生活です。そうした環境で、学生時代の生ぬるい気持ちが吹っ飛び、「医者とはこうあるべきだ」「医者はプロフェッショナルなんだ」ということをみっちりと叩き込まれました。「鉄は熱いうちに打て!」という感じで、ガガガっ!と教育されました。

 特に、教授回診がめちゃめちゃきつかったですね。僕ら研修医は、患者さんの面前で罵倒されるんですよ。例えば、教授回診の時にデータを見てプレゼンしましたら、「患者さんのデータは頭の中に入れておけ!」と、教授から怒鳴られました。他科と共同で診ている患者さんの場合には、教授から「なんでこんなことしてるんだ?」と問い詰められ、「他科の先生がそうしているから……」と答えますと、今度はどつかれました。「おまえが納得したのか!? きちんと議論したのか!?」と追及されました。

 教授からは、「患者さんの所に1日3回行け!」と指導されました。朝、昼、夜の3回行けば、患者さんのいろいろな訴えを聴けるし、よく診ることができるからです。全くその通りで、1日3回行けば、患者さんからの信頼を得られるということがよく分かりました。患者さんの目の前で怒鳴られた後、ちょっと沈んでいますと、患者さんがこっそり「先生、大変でしたね」と励ましてくれました。振り返れば、こうしたスパルタの中で、医師として鍛えられたのだと思います。外科、救急では、いろいろな診療科の知識を要求されましたし、非常に良い経験をしました。

 特に、多くの症例数を経験したことが、現在の慢性期医療に生かされていると思います。研修医時代を過ごした大学病院は市民病院を兼ねていましたので、症例数がめちゃくちゃ多かったのです。下積み時代に多くの症例数を経験することが医者にとってどれだけ大事か、いま改めて痛感します。医師になって最初の5年ぐらいの間に、いやというほどの症例数を経験させていただき、さまざまな疾患の患者さんを数多く診てきたことが、今日につながっています。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 急性期病院に勤務していたころ、イレウス(腸閉塞)がとんでもなく重症化した患者さんが慢性期病院から送られてきました。話を聴くと、「おなかが痛い、痛い」と言っているのに、誰も対応してくれなかった。あまりにも痛いので、ナースコールで首を絞めて自殺しようとしたそうです。すぐに緊急手術をして、なんやかんやで術後1~2カ月はもう大変でした。私たちは「十中八九駄目だろう」と思っていましたが、幸いなことに回復して退院しました。その時、「老人病院って、そんなにひどいのか」と驚き、そして同時に、「こういう急性期的な治療を、誰かが慢性期病院でしなくちゃいけない」と思いました。

 慢性期医療は時代のニーズであると思います。確かに急性期医療も大切ですが、それだけでは回らない。私は昭和58年に大学を卒業してから、平成8年まで外科医をやっていました。その間、免疫の基礎研究や、バイトで外科医をしていたこともあります。雇われ開業で診療所の所長をしていたころ、大学時代の先輩から他の病院を紹介されました。「慢性期病院で医者が足りないから手伝ってくれ」と頼まれて、軽い気持ちで行った所が現在の病院です。ほんの腰掛けのつもりでしたが、もう15年経ちました。

 急性期病院から慢性期病院に移ってまず感じたのは、「慢性期医療には人が必要だ」ということです。ここで言う「人」というのは、急性期医療をバリバリにやってきた人です。「高齢者だからこのぐらいが限界か」とか、「この人はもう助からないから、このぐらいの治療でここまでか、家族にも納得してもらう」という判断をして無駄な救命をしないとか、そういう経験が慢性期医療で生きるのだと思います。

 ただ、当時は急性期医療を十分に経験した医師が慢性期病院にあまりいなかったように思います。日慢協の会員病院は違うかもしれませんが、私たちの周りの慢性期病院には急性期出身の医師があまりいませんでした。仲間から「おまえ、どこで働いてるんだ?」ときかれて答えると、「そんな老人病院で働いてるのか」という反応でした。一種のヒエラルキーですね。「急性期が偉くて慢性期は……」というやつです。まだ古い考えが残っていた時代でしたが、その後もそういう考え方が根強くありました。

 しかし、高齢・多死社会を迎え、慢性期医療のニーズは今後もさらに増大していきますから、急性期医療の経験ある医師が慢性期病院にもっと必要であると思います。例えば、急性期の経験がないと「この患者さんには抗生剤をバンバン使っても、もう無理だろう」という判断ができません。もし回復の可能性がないなら、「家族を呼んで説得して……」という判断も必要になります。こうした感覚は、数多くの症例の積み重ねによって身に付くものだと思います。

 こうした中で、いま気になっていることがあります。慢性期医療における医療訴訟の問題です。これまで医療訴訟は、急性期に多くて慢性期には少なかったように思います。しかし最近では、例えば胃瘻をつくっても、慢性期病院の側に問題があったと判断されることもあります。昨年12月、旭川地裁の判決が出ました。遺族からの3,200万円の損害賠償請求に対し、2,800万円を命じる判決です。今後、80歳の高齢者がお亡くなりになったケースを考えますと、患者さん1人につき約2,000万円の支払いを覚悟する必要があります。さらに、訴訟を起こされた場合にはたとえ勝訴したとしても弁護士費用などが必要になります。高齢患者さんを多く抱える慢性期病院にとって、訴訟の問題は非常に重要です。

 高齢患者さんの場合、医療者が何らかの行為をしなかったとしても、お亡くなりになる場合があります。しかし、入院すれば何らかの医療行為が介在しますから、当該医療行為と死亡結果との間に相当因果関係があると判断される限り、1人当たり約2,000万円の支払いを覚悟しておかなければなりません。多死時代になり、訴訟が今後も増え続けるとしますと、社会が回らなくなるような事態になることを危惧いたします。

 訴訟社会で、果たして日本は成り立つのかを国民全体で考える必要があると思います。1人の患者さんの死に対して、「そういうこともあり得るかもしれない」と言える社会をみんなでつくっていくべきではないでしょうか。善意で行った医療行為に対して、「こんなに一生懸命やってくれたのだから仕方ないよ」と受け入れることのできる社会を望みます。

 急性期病院の平均在院日数が短くなり、その後方を担う慢性期病院の役割は今後ますます重要になりますが、医療訴訟をすべて慢性期病院に持ち込まれてしまうと、大変なことになるでしょう。慢性期病院は、急性期病院に比べて医師も看護師も少ない。それなのに、急性期病院と同じレベルの要求が降りかかると、とてもじゃないけれども無理ですので、国民1人ひとりが医療を支える担い手であるという世論を形成していく必要性を感じています。

 裁判書が出す1枚の判決文は、医療現場に対して非常に大きな影響を及ぼします。例えば、「CTを撮っていなかった」という過失を認定したとします。そうしますと、「すべての患者さんにCTを撮らなければ訴えられる」という判断が働くかもしれません。80歳を過ぎた高齢者を助けなければ当然に訴訟になりますから、ICUに入れてバンバンお金を掛けて、すごく濃厚な医療を施します。しかし、「それは果たしてどうか」ということも国民全体で考えてみる必要があると思います。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 コストパフォーマンスの視点が非常に重要であると思います。国の財政状況がこれほど右肩下がりになっている時に、医療費をバンバン投入できる余裕はありません。では、どうしたらいいのか。

 例えば、6つの疾患を抱える高齢者がいて、自宅の近所に6つの病院があるとします。6回の検査をして6つの薬を出したら医療費は大変なことになります。しかし、どこか1つの病院が1人の患者さんを全人的に診ればいいのではないでしょうか。これは救急医療をやっていたころから思っていたことです。いろいろな疾患を経験した医師が慢性期病院に1人いれば、かなり多くの疾患を診ることができます。それがコストパフォーマンスを高めることにもつながると考えます。

 薬剤についても同様です。急性期病院では先発品を多く使いますが、われわれ慢性期病院の入院料はマルメ(包括払い)ですから、当然ジェネリック(後発医薬品)を使います。後発医薬品の使用促進がますます求められる中で、日ごろから後発医薬品を頻繁に使用している医師の「目利き」が重要になってきます。これからの慢性期医療には、後発医薬品の使用促進による医療費削減も求められると思っています。

 ただ、ご存じのように後発医薬品は1.5流から5流までピンキリです。ところが、厚生労働省は後発医薬品の品質や有効性に関して一律で、ランク付けをしていません。医師が処方箋で後発医薬品への変更をOKしたら、調剤薬局がどの後発医薬品にするかを選ぶ権利を持ちます。3流でも5流でも、調剤薬局の判断で変更できるのです。そうしますと、在庫の状況などを判断した上で、5流の後発医薬品をバンバン使ってしまうかもしれません。

 しばしば、「先発医薬品と後発医薬品は同等」と言われますが、実はかなり違うわけです。例えば、薬の形を作るための粉に、特級を使うのか2級を使うのかで違います。薬でアレルギーが出ても、薬の成分によるものなのか、それとも添加剤に含まれる不純物によって発症したのか分かりません。薬の効き方も違います。後発医薬品に対する厚労省の評価があまりにも雑すぎます。そこで、私たち慢性期医療に携わる医師が、後発医薬品をきちんと目利きして、良い後発医薬品を使う必要があります。効き目の確実な後発医薬品を使うことによって、患者さんの経済的な負担を下げるとともに、全体の医療費削減にも貢献すると思います。ですから、「後発医薬品の目利き」も、これからの慢性期医療に求められることだと考えます。

 今後、急性期病院はもっと早期に退院させる方向に進みますので、私たち慢性期病院が積極的に受け入れて治療を継続していく必要がありますが、それはつまり、多くの疾患を抱える患者さん、幅広い疾患を診ていかなければならないということです。慢性期病院では、ICUを運営するような多額のコストも掛かりません。国の方針を考えても、慢性期医療のニーズは非常に高まりますし、その役割は重くなるのだろうと思います。急性期と慢性期のギャップがないように、シームレスにつなげていく必要があると思います。

 高齢者がどんどん増えて、若年者が減っていますので、救急病院が80歳、90歳の軽症患者さんを処置しているために、50歳の救急患者さんを受け入れられない事態が起きています。これはやっぱり、何かおかしい。在宅で急変した患者さんらを、われわれ慢性期の病院が受け入れ、「人工呼吸器を入れるということまではしない」という範囲での対応を私たちがやっていかなくてはいけないと思っています。慢性期病院で、急性期医療の経験ある私たちがもっともっと頑張る必要がある。いわゆる「老人病院」と言われないように、高齢者の医療をどうすべきかを示していくことが、これからの慢性期医療に求められていると思います。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 これまで述べてきたことと重なりますが、若いうちに急性期医療を経験しておいたほうがいいと思います。若いころは、難易度の高い手術をこなしたり、症例数を増やしたりすることに関心が向かうかもしれませんが、40歳、50歳になりますと体力や視力も低下してきます。その時、「ちょっとゆっくりしたいな」という気持ちが起きるかもしれません。

 救急や外科で多くの疾患を診てきた方々が高齢者医療の世界に入ってきてくれれば、われわれとしても心強いですし、慢性期医療がうまく回っていくと思います。これから高齢者医療はさらに人手不足になるでしょうから、急性期を経験したスタッフが慢性期医療にどんどん加わってくれることを望みます。

 ですから、医学部における慢性期医療の教育がとても重要であると思います、また研修医時代に高齢者医療を多く経験することも大切だと思います。特に、死というものをよく知るべきだと思います。一般的には、死は決して身近なものではありません。近年、大学病院での死亡例が減っている一方で、慢性期病院での死亡は増えています。

 それから、医療に関する勉強も必要ですが、違う分野の勉強をやってもいいのではないかと思います。私が慢性期の病院に勤め始めたころは、「介護力強化病院」と言われていまして、自分の研究などに取り組む時間的な余裕がありました。私が当院に勤務し始めたころは比較的状態の落ち着いた患者さんが多かったので、法律系の資格取得のための勉強もしました。しかし、院内でのポジションが上がってくるにつれて、医者としての仕事がだんだん増えてきましたが……(笑)。

 つまり若い方々に伝えたいことは、医療周辺の分野などを幅広く学んでほしいということです。特に、死というものが十分に啓蒙されていませんから、いきなり死んだら、「おかしな医療だ」「訴訟だ」となる傾向があります。胃瘻の問題もそうです。「胃瘻は悪だ」という風潮が一部にありますね。リビングウィルについても、さまざまな考え方があります。医療は科学であると同時に社会と接している分野でもありますから、医療を取り巻く諸問題に対する認識も持っておく必要があると思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 私はスポーツ人間で、マラソン、トライアスロン等をやっています。最近はさすがに年を感じて、故障も多く、「どこまで続けられるのか疑問」とも思っていますが、昨年11月、神戸・大阪・福知山でマラソンが開催されました。たったこの3日間で約6万人が走っています。しかも、当選した人だけで6万人ですから、ものすごいマラソンブームです。これは国民の健康レベルを上げる上で、本当に良いことだと思います。スポーツによって、ADLもQOLも伸びていきます。

 これからの慢性期医療は、病気になった人をいかにうまくマネジメントしてADLを上げていくかということや、残念ながら完治が難しい人をいかにクロージングするかということも大切ですが、「どうしたら予防できるのか」という観点も非常に重要であると思います。こうした面でのサポートも、日本慢性期医療協会に期待されるところだと思います。

 私は理事になってまだ1年ですので、理事の中では若手です。この協会には若手からベテランまで幅広く参加されていて、しかも非常にアクティブな理事が多いと思います。役員会などでは、すごく凝縮した議論が飛び交っていて、いつも白熱しています。この日慢協ブログのインタビューを拝見しても、みなさん信念がありますね。医療に対する明確なコンセプトをお持ちです。

 これほど個性が多い方々が理事に加わっているのはなぜかと考えますと、それはやはり武久洋三会長のお力が大きいと思います。武久会長がどんどん若手を入れて、その一方でベテランの経験も生かされている。その絶妙なバランスの中で、各理事にどんどん仕事を振りながら、詳細なデータをすぐに集めてしまう。政策提言力も実行力もある。こんな団体は珍しいのではないでしょうか。

 これから大事なことは、急性期段階を過ぎてから在宅に至るまでの領域を、誰がどのように意見集約して、いかに前に進めていくかです。厚労省の担当者には現場の細かい情報がなかなか入らないと思いますから、当協会が現場の意見やデータを収集して厚労省に示していく。エビデンスをもって交渉し、改善していく。これが可能な団体は日本慢性期医療協会であろうと思いますし、さまざまな団体がある中で最も期待できるのではないかと思います。

 国は「在宅へ、在宅へ」という方針です。必ずしも間違ってはいないと思います。患者さんにまだ意識があって、「すまんなあ」と言っているうちは在宅でもいいのです。しかし、意識がなくなって、まだお亡くなりにならない患者さんもいます。そうしますと、家族の誰かが犠牲になります。仕事を辞めてまでずっと自宅で見なければいけないのか、意識のない患者さんを在宅で診るのが本当にいいのか、ということも考える必要があります。

 われわれのような療養型の病院であれば、効率よく診ることができます。在宅では、医師や看護師がいちいち訪問しなければいけませんが、病院ならば同じマンパワーでより多くの患者さんを診ることができます。私は決して、意識がガンガンにある元気な人を病院で診るべきとは考えていません。ご自宅に帰りたくても、どうしても帰れない人がいる。そういう方々を病院でみてあげて、ご家族には今までの生活や仕事を続けてもらいたい。これは、社会における1つの大事な役割だと思います。日本慢性期医療協会にはぜひ大きな声を上げてもらって、社会のコンセンサスが得られるような活動を今後も積極的に展開されることを期待します。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
 
 北摂中央病院 院長
 老人保健施設「シルバーハウス」施設長

 1983年3月 大阪医科大学医学部 卒業
   同年6月 同大学一般・消化器外科入局
 1990年4月 神戸大学医学部大学院研究生
       (国際交流センター免疫学教室)
 1993年3月 医学博士号取得
   同年6月 舞子台病院 外科医員
 1997年1月 武田診療所 所長
 1999年1月 北摂中央病院 医員
 2001年5月 北摂中央病院 院長
 
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