【第3回】 慢性期医療リレーインタビュー  漆原彰氏

インタビュー

漆原彰先生(医療法人財団・新生会理事長)

 「日慢協が、今後の慢性期医療や高齢者医療について財源論も含め、在るべき姿をシンクタンク的に示せたらいいですよね」──。慢性期医療リレーインタビュー第3回は、医療法人財団・新生会の理事長、漆原彰先生です。
 

■ 医師を目指した動機
 

 医師を目指した動機は単純でして、私は開業医の息子でしたから。

 親父は婦人科の開業医で、田舎で一人の医師が何でもやらなければならないという中で、私も子どもの頃から往診に付いて行ったりしていました。親父は地域から信頼される存在で子どもながらに誇らしくも思っていました。

 もちろん、医師とは別の道も考えたり好きなこともありましたが、あまり抵抗なく医師になっちゃったんですね。ですから、私の場合は最初から第一線の臨床医を目指していました。

 私は医学部を卒業した時からずっと老人科医なんです。卒業したのが昭和44年です。我が国がWHOの定義でいう「高齢者人口比率が7パーセントを超えた国」とした高齢国の仲間入りしたのが昭和45年ですから、その時から高齢化社会は始まっていたんです。診療所の待合室や往診先の患者さんはお年寄りばかりで、これからは老人医療が大事になると思いました。

 それと、もう亡くなりましたが学生の時から尊敬していた村地悌二教授が老人科を主宰していたことも老人科医になった大きな理由です。私が所属した日本医大の老人科は「老化や老年病」を研究していた財団法人の老人病研究所を併合する形でできたのですが、元々の老人病研究所は緒方洪庵の孫に当たる有名な緒方友三郎先生が作った研究所で、両先生には可愛がっていただいたものです。そんな訳で私は医者になった時からお年寄りの患者しか診たことがないんです(笑)。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 医療は、心身の疾病などによって通常の生活が営めなくなった人に医療サービスを提供して疾病を治すか、あるいは良くして、元の健全な人間社会に戻すものです。

 これまでの医療というと、前半の疾病を治すことだけに重点が置かれ過ぎで、その後の社会に戻したり適応させることについては関心が低かったですよね。

 私が関わっている慢性期医療は高齢者医療ですが、以前に比べれば医療の進歩は目覚ましいものがあって高齢者であっても悪性腫瘍から整形外科の分野まであらゆる病気が治るか、それに近い状態にまで回復するようになっています。

 しかし、急性期や亜急性期の治療の後の慢性期医療では病気を治すというよりも、治らない病気や障害を克服しコントロールしながらその人ごとに人間らしい社会にどう適応させるかにあるんだと思います。高齢者医療の本質は慢性期にこそあるんだと思っています。

 例えば、小児科の医師が「子どもは大人の縮小版ではない」と言いますが、同じように高齢者の病気も成人病の年齢的な延長線上にあるだけではなく、熟れの果てでもないんですよね。同じ診断名の疾患でも原因や病態が同じでも成人の場合と違って個々の緻密な対応が求められてくるし、その後があるんです。ある意味では別の専門科が成り立つべき別物なんですよね。

 慢性期医療には深さより幅の広さがあって、病気そのものの治療はもちろんですが、その人が生まれ持ったものや生きてきた背景とか、多くの既往歴・生活歴があって、たとえ同じ病態を示したとしてもその対応は個々に違ってくるし、その上、家族への対応や介護の問題にまで踏み入らなくてはならないなど丸ごと理解しないとできない、個別性の高いのが慢性期医療の特徴だと思っています。

 そして、医療を実践するとき常に予防的に対応を考え、目指すのはその後の生活の質を少しでも高めるためだと思っています。障害を残しながらでも、縮小された生活でも高齢者の場合それなりの意味を持っていることを意識して当たることが必要で、高齢者の緩和ケアの在り方が議論されるのもこのためだと思っています。

 高齢者医療をやるには、医学に関する知識や技術はもちろん必要ですが、むしろ多くの専門職の関わりや医療機関以外の施設や機関の介在する多角的な仕組みが必要になるんです。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 慢性期医療の場合、医療と介護・福祉等や他の機関との協働や役割分担の問題があります。

 私が開業したのは30年以上前になりますが、高齢者の医療をやるために当初から福祉施設との複合化を考えてきました。現在、同じ地域の中に老健、特養が各3ヶ所、ケアハウス、有料老人ホーム、健診センターなどがあって、そしてそれらを丸ごと支える病院があるのですが、反対にこれらの施設は高齢者医療をやるために作った施設と言うほうが正しいんです。

 「高齢者の慢性期医療」と言うと、医療機関だけではなかなか完結できない。特に介護保険制度が始まる以前、医療と福祉は縦割りの制度でなかなか他施設との連携は困難した。でも、同じ関連法人でやれば狭間を埋める連携はできやすかったんです。自己完結型なんて言われていましたよね。

 しかし最近では、介護保険制度が定着して地域の中にいろんな施設や居宅サービスが整備され、在宅医療も行われるようになってきて地域ぐるみで対応しようとする雰囲気は出てきました。地域包括医療・ケアですよね。

 先程も言いましたが、医療の進歩は素晴らしいものがあります。しかし、慢性期医療の現場に関して言えば、進歩しているのはどちらかといえば看護・介護やリハビリテーションなどで、直接的な医療より周辺医療の進歩なんだと思います。そうした意味では介護保険制度の定着は介護だけでなく医療提供にも大きな意義があったと思っています。

 昔はアルツハイマー病の予後は5~6年などと言われていましたが、最近では認知症治療薬等を投与されない状態でも10年15年とケアを受けている患者がたくさんいます。認知症の医師研修会でのことですが、「以前のアルツハイマーと病気や病態が変わったのか、もし同じなら治療法が良くなったのか?」といった質問があって議論になったことがありました。結局は医療・看護介護を含めた病態管理の仕方に差があるということになったのですが、ただ、医師が認知症の症状を治そうとした投薬をしなくなったのが一番だとも……。

 慢性期医療を担当する医療機関でも、そこでの治療行為や多職種協働のチームケアの実践など大きな変化を見せてきたと思います。医療の提供の場を地域や在宅に広げて、それを医療機関として支えていこうともしています。病気を治すこと以上にその先のQOLの質を考えるようになっています。要はそれぞれの医療者が「一人ひとりの患者さんに対して何の、どの目的で医療を行うのか」を考える。これが慢性期医療の目的だと思います。

 しかし、一方で医療提供体制の変化が進んでいます。急性期医療への集中的資源投入や急性期・亜急性期・回復期、そして慢性期医療として機能分化の強化などですが、相変わらず医療制度の中のケアや、介護制度の中の医療については整理できていませんね。医療保険の中で長期急性期や長期慢性期の概念があって、そこでもケアは行われているのですから、介護保険制度の中での医療が必要なのが当然なんだと認識すべきなんです。

 時期はともかく介護療養病床の廃止が決まっています。しかしその在り方に議論の余地を残しながらも国民のニーズはなくなりません。今すぐに介護保険施設での医療機能の強化が最も必要なんだと思っています。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 若手医師へのメッセージですか。これはどう言っていいのかが分かりません。ただ、自分が若い頃に感じられなかったことが年をとってから感じることが多くなってきましたので、「年を取るとそうなるよ」ということを言います。

 医療の世界でいわゆる急性期医療を担当する専門医師が重要な役割を負っているのは良く分かるし、医療が高度化する中でこれからもそうだと思います。ただ、医師が活躍する場はどんどん広がっています。一様に専門医を目指すのではなく広く色々なところに目を向けてほしいと思います。今必要とされる総合医もですが、もっと言うと政界、法界、財界、官界、文化芸術など活躍するグラウンドはどんどん広がっていますよね。私は医師の仕事を選んでよかったとは思っていますが、建築家になりたかった時期もあるんです。

 それと、医師として現在の仕事内容で異なるとは思いますが、仕事をしている上で自分が医師を目指した意義を感じられるか? 

 医師として果たしている事柄が自分の信念に合致しているかを常に考えてほしいと思います。そして、自分で選んだ職業なのですから業務の内容によっては我慢や自己犠牲が常に伴うことを受け入れなければならないことを自覚するべきだと思います。専門性や個別性が高い仕事で、医師とはそういう職業なんだと。

 慢性期医療について言えば専門医という奥深さも必要ですが、先ほどから言っているように患者さんの立場、家族の立場で考え、地域に中でのリーダー役を担って欲しいです。全くメッセージになってないですね(笑)。


■ 日本慢性期医療協会への期待

 

 まず、現在の慢性期医療協会の活動や方向性は大いに評価しています。良い団体になっていると思います。

 昔、慢性期医療を担当してきた人達はというと……。以前から長期入院患者を扱ってきた結核の専門病院や、精神科病院等で治療以外に日常生活ケアにも対応できる長期療養に慣れていた先生たちや、一般病院が維持できなくなって慢性期医療に転換する先生たちなどが多かったと思います。

 しかし、今の慢性期医療をやっている医師は、元々慢性疾患を専門とする内科医や精神科医、リハビリテーション、そして緩和ケアを専門にするなど多くの切り口を持った先生たちがやっているほか、それぞれ専門得意分野を持っていて慢性期医療に関心を持って入ってくる先生方がやるようになっていますよね。慢性期医療も専門化していると言うか、多角化しているんですよね。

 日慢協に集まっている人たちの慢性期医療に対する想いには常に感心させられますし、それと、自分の経営している施設をとても大事にしているのが伝わってくるのは良いですよ。

 私は協会ができた当初からの会員ですが、今の人達のほうが真剣に取り組んでいると思います。ただ、慢性期医療に対する思いは恐らくマチマチだと思います。慢性期医療は幅が広いですから……。

 急性期病院の受け皿になって重度の患者さんを診ている病院から、リハビリテーション病院、そして介護保険制度の中での医療機能を受け持つ医療機関などですが、皆さん地域や患者さんのニーズと自分の専門性によって考えている内容は違うと思います。

 今の日慢協では、そうした様々な立ち位置の人達が先を見て議論し、活動方針をまとめている。それに、国や他の病院団体などに対しての情報発信や団体としての主張などが格段に多くなされるようになっていますし、日慢協の存在感も、慢性期医療の必要性も認知され、だんだん大きくなっていると思います。

 また、職員教育や研修への取り組みも非常に活発です。武久会長のリーダーシップの下で役員の先生たちの頑張りは大変なものがありますね。いいですね。

 でも、強いて望むことを挙げるなら、国民や患者さんに対して慢性期医療の重要性が伝わっているか。医師の、経営者の理論ではなく患者さんであったり家族であったり、利用者の側に立ったものの見方で情報を発信できれば国民や地域からの支持を取り付けやすくなるのかもしれませんね。

 それと、老人病院でいえば現在とは社会環境や慢性期医療の考え方が違っていたんですが、今強化されようとしている急性期病院、一般病院、慢性期病院といった病院の機能分化は昔からあるんですよ。大学病院等の急性期病院で治療を終えた患者の受け皿として老人病院ができてきた経緯があって、当初の老人病院はある意味で重度の患者が集まっていました。そんな中、老人病院の病床数の過剰、介護や福祉施設の不足や家庭介護力の低下から医療的に軽度の患者をも扱うようになってきた事実もあるんです。

 療養病院の役割として、医療区分が重くて介護度の高い患者さんを診るように求められることは、これまで軽度の患者さんを診てきたより戻しであって、ある意味で昔返りなんですよね。

 慢性期医療は非常に守備範囲が広い分野ですからでどちらのニーズも、そして真ん中のニーズもある訳で、これまでもその時々で政策が時計の振り子のように揺れてきたんです。「どこに一番お金をかける時期なのか」で決まってくるわけなんでしょうが、一方に振れると次は反対に大きく振れる。「どこに落ち着かせるのかなあ」といつも思ってきました。

 そんな中で日慢協が、今後の慢性期医療や高齢者医療について財源論も含め、在るべき姿をシンクタンク的に示せたらいいですよね。

                           (取材・執筆=新井裕充)

 

【プロフィール】

 

 昭和44年 3月 日本医科大学卒業
 昭和44年 4月 第47回医師国家試験合格(医籍登録番号 203983)
 昭和44年 5月 日本医科大学附属病院 老人科医局
 昭和56年 8月 大宮共立病院開設 院長
 昭和59年 12月 社会福祉法人 欣彰会 理事長
 平成 3年  5月 埼玉県老人保健施設協会 会長
         (平成3年5月~平成15年5月)
 平成 7年 1月    医療法人財団 新生会 理事長
 平成 7年 4月    全国老人保健施設協会 副会長
         (平成3年5月~平成15年3月)
 平成15年 4 月  全国老人保健施設協会 会長
         (平成15年4月~平成19年3月)
 平成19年 4 月  老健医療研究会 会長
 

  日本慢性期医療協会 理事 
  (社)全国老人保健施設協会 名誉会長
  (社)埼玉県介護老人保健施設協会 名誉会長
  さいたま市大宮医師会 監事
  さいたま市社会福祉協議会 理事
 

この記事を印刷する この記事を印刷する

« »