【第15回】 慢性期医療リレーインタビュー 美原盤氏

インタビュー 役員メッセージ

【候補2】美原盤先生

 「私たちが大学で習ってきた『完全な治癒』を求めるような医療提供だけでは解決できなくなっている。これからは『QOL』だけではなく、『QOD(Quality of Death)』の向上も考えなくてはならない。『完全な治癒』が期待できない高齢者に対する医療のあり方について、国民的なコンセンサスを得る努力を医療提供者としてすべきではないか」──。脳神経疾患の専門治療で知られる公益財団法人・美原記念病院の院長で、日本慢性期医療協会(日慢協)常任理事の美原盤先生にお話を聞きました。
 

■ 医師を目指した動機
 

 医学部入試の面接時に同じことを質問されたことを思い出します。その時、「これしかありようがないから」と答えたんです。今も変わりがありません。医師以外の自分は考えられないと思っています。すごくかっこよさそうに聞こえませすね(笑)。でも、それ以外に答えようがないのです。

 もちろん幼い頃には、「巨人軍の長嶋選手のようになりたい」とか思っていました。中学生の頃には、「普通部の教師になりたい」と思ったこともあります。しかし、高校を卒業するころには、「お医者さんしかない」って思いました。
 どうしてかというと、「それが自分に求められることだ」と、そう思ったのです。高校生の頃には、ニーチェとかヴェーバーに凝っていて、「デーモンの命ずるままに従え」なんて思っていて…。なんだか、うまく言えないのですが…、適当にまとめておいてください(笑)。

 私は田舎で育ち、中学生になって東京に出てきました。田舎では、「美原先生のお坊ちゃまだ」と、すごくちやほやされていたのだと思います。学校の先生の言うことも聴かない、とんでもなく生意気な子どもでした(笑)。
 ところが、中学受験で慶應の普通部に入学して状況はガラッと変わってしまったのです。クラスで僕だけが坊主頭で運動靴だったこともあり、「かっぺ、かっぺ」と言われました。同級生はみな幼稚舎からの友人だったり、進学塾で知り合いだったりしてつながりがあって、自分だけが部外者みたいな感じだったのです。ちやほやされて、えこひいきされていた世界とは大違いでした。

 すごくショックでした。成績も落ち込みました。そんな時です。担任の先生が、「おまえはこんな成績を取るはずはない」と言ってくれたのです。それがとても嬉しかった。中1の夏です。私は家に帰って父親にすぐ言いました。「僕は大きくなったら、普通部の教師になりたい」と。そのことを聴いて、父親はすごく喜びました。中学生の時から親元から離しても、親として素晴らしい教育の機会を子どもに与えられたと…。それ以来、しばらくは教師になりたいと思っていたのですが、次第に「自分に何が求められているのか?」ということを考えるようになり、「お医者さんしか、ありようがない」と思うようになりました。

 「世の中が求める」とか、「天が定める」ということなのでしょうか。それが自分に求められた姿であって、それ以外の自分は考えられないという感覚なのです。「人のためになる仕事をしたい」とか、「尊い仕事だから」ということではなく、「それしかありようがない」と思っていましたし、今もそう思っています。「なりたい」とか、「したい」ということではなく、「これしかない」という感じです。かっこよさそうですが、本当にそうなんです。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 私自身は、「特に慢性期医療に携わっている」という意識は全くありません。急性期から回復期、慢性期、在宅まで一貫して医療に当たるということが自分に課せられた仕事であると理解しているので、その中で特別に慢性期医療を取り上げている感覚はないのです。

 私が日慢協に関係したのは、スタッフの学会発表の機会を求めてのことです。平成16年、日慢協の前身である「日本療養病床協会」主催の学会に初めて参加させていただいて以来、毎年演題を発表させていただいています。日慢協のほかにも、日本病院会や全日本病院協会の学術大会でも研究発表をしています。私自身は、神経学会や脳卒中学会などの会員でもあります。
 当院のスタッフも放射線学会や褥瘡学会など、さまざまな学術団体に参加しています。多くの専門的な団体があり、それぞれの分野について専門的な研究をしている。その意味で、日慢協は私たちが関わっている医療の一部である「慢性期医療」への対応と考えています。

 病院運営に対してはいろいろな考え方がありますが、当院の理念として「愛・和・学(あいはまなぶ)」があります。「愛」は患者さんを大切にすること、「和」はスタッフがお互いに協力すること、そして「学」は自分自身のレベルアップを目指すという意味です。
 「愛」「和」「学」、どれも非常に大切ですが、私は特に、スタッフに対して学問的であることを望んでいます。日々の業務の中から得た経験や新たな発見などをどこかに発表して広く伝え、世の中に貢献する。そのような気概というか、志を持ってほしい。そうすることで自院のレベルは確実にアップすると信じています。

 私が大学病院に勤務していたときには、動物実験による脳虚血に関する研究に力を注いでいました。そして群馬に赴任するにあたり、恩師の後藤文男先生(慶應義塾大学名誉教授)からこう言われたのです。「美原君、どこに行っても研究はできる」。この言葉は私にとってとても大きかった。
 確かに美原記念病院では動物実験はできません。しかし、確実に研究的な態度というものがスタッフ全体に醸成されていると感じています。もし、現在の美原記念病院が世の中から認められているのであれば、その大きな要因として、病院の研究を大切にするという風土があることと思っています。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 とても難しい質問ですね。「慢性期医療」というものを医療全体からどうとらえた上で答えるべきなのか。超高齢化がこれほど進んでしまうと、個々の患者によって求められる「医療」は異なることもありうるのではないでしょうか。
 2025年には50歳以上の人口割合が全人口の半分を超えてしまうと推計されています。動物は生殖して子孫を増やす生き物で、人間の生殖年齢は50歳までと言われています。つまり、超高齢化社会というのは、自然科学の視点からもバランスが崩れてしまった社会かもしれません。

 これまで医学部では、「完全な治癒」を目指すべく学んできました。死んでいい命は1つもない、みたいな…。しかし、これからは「完全な治癒」を求めることが困難な時代になります。多くの合併症を抱える高齢者は治りません。それでも、「完全な治癒」を求めなくてはならないのでしょうか。

 ですから、「これからの慢性期医療はどうあるべきか」という問いに対する答えとしては、「完全な治癒を求められない場合もある」ということをしっかり認識すべきだ思います。
 例えば、認知症で寝たきりの患者さんが何度も何度も肺炎を起こす。その患者さんに対して胃瘻をつくったり、徹底的に抗生剤を投与して治療したりすることが本当に正しいことなのだろうか、ということを考え直さないといけないと思います。この判断は医療者だけに任せられるべきものではありません。国民のコンセンサスが必要だと思っています。今、「治療しない」ということに対して、医療者自身が国民と議論することを避けているような感じがします。

 救命救急からQOLへ、そしてさらにQOD(Quality of Death)をも考えなくてはならない。

 現状はどうでしょうか。「それぞれの患者さん本人の意思に委ねましょう」と言いながら、「死んでいい命は1つもない」という不文律みたいなものがある。確かに、急性期病院は救命が第一に求められる病院だと思います。大学病院の救命救急センターに運ばれたのに、そのまま何もしないということは、ほとんどないでしょう。認知症で寝たきりの患者さんが大学病院に行くかは別として、そういう患者さんが搬送されれば、やはり徹底的に治療されるのではないでしょうか。そういう医療が求められているからです。

 「患者さんの意思を尊重しましょう」と言っても、医師が「死んでいい命は1つもない」と言えばそういう方向に流れます。「患者さんに任せる」という建前はあっても、医療提供者側の意見は非常に大きいものがあります。逆に、患者さんの家族が「なんでもかんでもやってください」というケースもあります。

 例えば、こんなことがありました。何度も肺炎を起こして入退院を繰り返しているパーキンソン病の患者さんがいました。面倒を見ていたのはお嫁さんです。それはそれはとてもよくお世話をしていた。そんな時、患者さんが重症肺炎でまた入院されたのです。「もうそろそろ…」という時期です。「今まで大変でしたね。よく頑張りました。もうこれぐらいで楽にしてあげましょう」となったところに、遠くに住んでいる叔父さんがやって来て、「おまえ、嫁のくせに俺のおやじを最期まで面倒を見ないのか!」という話になるわけです。そうすると、治療せざるを得ませんよね。 

 家族の意見としては、お嫁さんより叔父さんの意見のほうが強い。私は、「無駄な…」とは言いませんが、「これが患者さんにとって本当によいことだろうか」と思いながら、いわゆる延命治療をしたのです。結局、患者さんはそのまま亡くなったのですが…。この例は患者さんの「ご家族」のご希望には沿っているのかもしれません。

 私たちが大学で習ってきた「完全な治癒」を求めるような医療提供だけでは解決できない問題があるように思います。これからは、「QOL」だけではなく、「QOD」の向上も考えなくてはならないと思っています。「完全な治癒」が期待できない高齢者に対する医療のあり方について、国民的なコンセンサスを得る努力を医療提供者としてすべきではないかと思っています。

 完全なる治癒を求められないのであれば、その人のナラティブを書き換えることを考えなくてはならない。これからの慢性期医療に求められるのは、「ナラティブ・ベイスト・メディスン」、すなわち物語を紡ぐという考え方です。私たちは決して治らない患者さんをみていかなくてはならない。そうしたとき、その患者さんにとって何が幸せなのか、何ができるかを考えないといけない。こんなふうに思っています。
 

■ これからの診療報酬体系について
 

 最近、取材などで「平成24年度診療報酬改定に伴い、どのように対応しますか」「DPCについて今後どのように対応しますか」と、よく質問されるようになりました。私の答えはいつも決まっています。「何もしません」「何も変えません」。このことは本当です。

 例えば、今回の改定で薬剤師の病棟配置を評価する点数が新設されました。そのために薬剤師さんを新たにたくさん採用しようということはしませんでした。なぜなら。病棟には薬剤師さんが必要だと思っていましたので、改定前から既に病棟に薬剤師さんを専従配置していましたから。

 もう1つ例を挙げましょう。例えば、リハビリ病棟の収益は年々、下がっていました。リハビリの単価が切り下げられていたからです。それならリハビリをやめるんですか。もちろんやめません。むしろリハビリはもっともっと必要だと思いましたから、リハビリスタッフをどんどん採用したのです。赤字にならないよう経営面のチェックはしていますが、儲かることだけを考えて医療をやっているのではありません。必要な医療だからやるのです。それなりに収益は上がるけれども費用も上がる。利益率は落ちる。しかし、患者さんのアウトカムは良くなり、医療の質は向上するのです。

 私は、きちんと質の高い効率的な医療を提供していけば、制度は後から付いてくるとスタッフに話しています。例えば、急性期病棟でDPC/PDPSを導入した時、利益率が落ち込んだ。当院の脳卒中パスは1週間ですが、それを2週間にすれば収益は確保できる。長く入院させればその分の入院料が入る。しかし、これは不要な医療です。お金儲けのために、「ちょっと延ばす」ということをやってしまったら、アウトです。そう考えて在院日数の調整などは行わず、必死に耐えたのです。その結果、今年度のDPC/PDPSでの機能評価係数Ⅱは日本全国の病院の中で最も高かったのです。制度は後からきちんと付いてくると確信しています。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 やりたい医療なんかできません。自分のやりたい医療ができる人はすごく幸せだと思います。しばしば、「あなたのやりたい仕事をしなさい」とか、「あなたが求めることをしなさい」とか、「あなたの思うような医療をしなさい」などとお聴きすることがありますが、「あなたの思うような医療」なんて、簡単にはできません。私は「あなたに求められる医療をしなさい」とメッセージを送ります。

 私は、大学病院に勤務していた頃はネズミの頭を一所懸命いじっていました。「脳が虚血に陥るとどのように脳細胞は死んでいくのだろうか、そして、どうしたら死にゆく脳細胞を救うことができるのだろうか」ということを必死に研究していたのです。もちろんこれは大学だからできたことです。それでも、研究することが自分に求められていることだと信じていたのです。

 ところが父親が亡くなり、この病院を継いだ後は、もう、研究なんてできません。「あなたはこういう医療をやりなさい」と、世の中から求められるのですから…。「やりたい医療をやる」という自分勝手なことではなく、「世の中から自分に求められている医療」というものがあると思います。それに精一杯応えることが大切だと考えるようになりました。

 美原記念病院は、平成12年に全面改築をしました。その際、川渕孝一先生(東京医科歯科大学教授)から「先生の病院は急性期病院は無理だよ、慢性期病院でなければ潰れる」とアドバイスを頂いたのです。これはきつかった。
 医学教育などでもそうですが、「急性期が偉くて慢性期が劣っている」というヒエラルキーのような考えがありますよね。私たちは、医学部では急性期医療ばかり勉強してくるわけです。そうした中で、「慢性期病院にしなさい」と言われたことは、非常にショックでした。私は急性期医療がやりたかった。でも、それができない。世の中が許さない。

 そこで、私は改めて考えました。父がつくった病院のミッションは何だったろうかと。それは、急性期から慢性期、在宅医療まで一貫して治療に当たることではなかっただろうか。そう思うに至りまして、断腸の思いで、急性期の病棟を1つと、それ以外の病棟を併せたケアミックスにしたのです。

 何が言いたいのかと申しますと、急性期医療をやりたいと思ってもできない。その地域で求められていること、世の中が自分に求めていることを精一杯やっていくしかない。ですから、私が「医師を目指した動機」と同様、美原記念病院も「これしかありようがない」姿なのだと思っています。

 若い医師やスタッフたちに、「こうしなさい」という強くもの申すものを私は持っていません。ノーベル賞を取るぐらい優秀な人もいますし、手先が器用で技術が高い人や、患者さんに優しく接することができる人など、さまざまです。それぞれの個性や得意分野を生かし、求められるものをしっかり認識して一生懸命に取り組むことが重要ではないかと思っています。

 ただ、あえて一言申し上げれば、医療は尊い仕事だということです。単なる金儲けではない。世の中には、お金儲けのために株をやる人もいれば会社をつくる人もいます。それはそれで素晴らしいことだと思いますが、医療は金儲けのためにやるのものではありません。人々や世の中の幸福のためにやる尊い仕事だという志を、医師もスタッフも持っていてほしい。高い志を持って取り組めば、経済的な結果も後から付いてくると思っています。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 私は、日慢協の活動全体を理解しているわけではなく、自分の知っている所、関連している所しか見られません。自分がどういう立場で日慢協に関わっているかと言いますと、先ほども申しましたが、われわれが提供している医療の中の「慢性期医療」という1つの専門分野で繋がっているのです。日慢協の学会できちんと発表して、それが論文になる。それが多くの医療者に伝わることによって情報共有が進み、より良い世の中に変えていけるのではないか、そう思っています。

 研究は自己満足ではいけません。自分たちが研究したことによって世の中が変わるとか世の中が良くなるとか、そういう目的で研究するものだと思っています。世界的な研究成果が報道されることがありますが、そんな大それたことを望んでいるのではありません。

 われわれは、目の前にあるデータを世の中に出していって、それがすぐに明日の医療に直結するようなことしかできません。世界的な大発見はできないけれども、現在の社会に対して少しでも良いことができるようなリサーチはある。そういうことをしっかりと発表して、世の中に情報発信する場として、日慢協の学会をとても重視しています。ですから、私にとって日慢協の最大の魅力は、研究成果を発表する機会があり、論文を投稿できる機関誌があることです。

 それから、日慢協のもう1つの魅力は、会員病院が協力することによって、よりエビデンスレベルの高いデータを作れることです。みんながまとまって意見を述べる、情報を発信できる、言い換えれば、医療制度を変えることも可能だと思うのです。

 私は、日慢協でいくつかの委員会の委員長を担当していますが、テーマによっては日慢協の多くの病院の考え方と必ずしも一致しない意見も持っています。医療財政が逼迫している中、医療提供体制のあり方も含め、会員の方々と議論しなくてはならないと思っています。
 もし、「何もしないで儲かっている病院」が存在するとすれば、それは適切とは思えません。そうした病院も含めた「全体」を守るようなことはしたくないと思っています。お互いに守り合うのではなく、「あるべき医療」「求められる医療」を考え、互いに切磋琢磨し、協力する。これが私の「日本慢性期医療協会への期待」です。

                           (取材・執筆=新井裕充)

 
 

【プロフィール】

 (公財)脳血管研究所 美原記念病院長
 慶應義塾大学医学部客員教授

 昭和55年 慶應義塾大学医学部卒業
 昭和61年 慶應義塾大学大学院医学研究科修了
 平成2年 (財)脳血管研究所附属美原記念病院長着任

 日本慢性期医療協会理事
 全日本病院協会理事
 中央社会保険医療協議会 診療報酬調査組織(DPC評価分科会) 保険医療専門調査員

 日本神経学会評議員(日本神経学会指導医)
 日本脳卒中学会評議員(脳卒中学会専門医)
 日本神経治療学会評議員
 日本脳循環代謝学会評議員
 日本臨床医療福祉協議会評議員
 日本頭痛学会指導医
 日本内科学会認定内科医
 

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