「第20回日本慢性期医療学会福井大会」のご報告(6) ─ シンポ3(終末期)

会員・現場の声 協会の活動等

福井大会シンポ3

 

■ 照沼秀也氏(いばらき診療所理事長)
 

施設死と在宅死、「どちらでもいい」
 

 私は37歳まで外科医として病院に勤務していた。その後、「介護力強化病院」に移り、療養型病院の質向上などに取り組み、在宅医療に関わってきた。施設の看取りも在宅での看取りも経験した。施設死と在宅死、「どちらでもいいのではないか」というのが率直な意見だ。きちんとしたケアを提供すれば、どちらでもいい看取りができると思う。

照沼秀也氏(いばらき診療所理事長) ただ、施設死が8割で在宅死が1割という数字は、真剣にとらえなければいけない時期に来ている。施設はこの40年間、いろんなトライアルを積み重ねながら質の向上を図り、地域の方々から信頼を得られるケアを提供している。「最期はあの病院で看取ってもらおう」と思われている結果が、この数値に表れている。

 在宅ケアに熱心に取り組まれている先生がいる地域はいいが、在宅ケアが選択の土台にない地域もたくさんある。そういう地域に、いかに在宅ケアを根付かせていくのかが課題であろう。
 

地域の信頼を失うような在宅ケアをなくす
 

 驚くようなケースもある。在宅で朝10時ごろにお亡くなりになり、診療所の主治医に電話したら「外来が忙しいので、手が空いたら見に行く」という返答があり、午後1時過ぎに来てくれたケースもある。主治医が来るまでの2時間あまり、家族はどうしていいのか分からずオロオロしていた。

 このように、とんでもない話が在宅ケアには多くある。こういうケースの背景を1つひとつ明らかにして、地域の信頼を失うような在宅ケアをなくすためにはどうしたらいいのかを多職種も交えて真剣に考えなければいけない時期に来ていると思っている。

 超高齢社会を迎え、医療経済的な観点などから国は在宅ケアを進めているが、はしごを外された時に、地域の方々の選択肢に在宅ケアがあるのかどうかが問われる。いま、在宅ケアの在り方をきちんと考えておかないと、後に大変なことになるだろう。
 

在宅チームを日本中に広げる
 

 施設ケアがたどった40年間を在宅ケアがたどる必要がある。官民一体となって勉強会などを立ち上げ、どういう在宅ケアならば地域の方々の信頼を得ることができるのかを考えるべきだろう。医者だけではどうしても自己満足に陥るので、研究者と一緒に質の向上を考えていく必要がある。「いい看取りができた」と医師が判断しても、それが一般性、普遍性を持つためには研究が必要になる。

 在宅ケアは、1人の医師では多様な要請に応えられない。やはり多職種が連携して患者さんやご家族、地域に対応していくことが必要になる。もちろん、主治医と患者さんとの間における「精神性」は大事だが、やはりチームがないといいものはできない。医療は、いかに良いチームをつくるかが大事で、良いチームをつくった所に成功があると思っている。

 在宅ケアについては、老人の専門医療を考える会(老専)と日本慢性期医療協会(日慢協)が最高の団体であると思う。在宅ケアについて真剣に議論する場を、老専と日慢協が中心になってつくっていくことが望ましい。世界に冠たる施設ケアをつくりあげた老専と日慢協が、在宅ケアの質を向上させるためにもう一肌脱いでもらいたい。事務系のスーパースターと研究者らが加わり、心ある在宅ケアのチームを日本中に広げていくことが理想的ではないかと思っている。
 

■ 安藝佐香江氏(医療法人社団永生会統括看護部長)
 

自分自身の死として考える
 

 永生会はいろいろな施設を持っている。私たちの病院や介護老人保健施設、訪問看護ステーションなどで、どのような看取りが行われているかについて、事例を通してみなさんと共に考えたい。

安藝佐香江氏(医療法人社団永生会統括看護部長) 「終末期」や「看取り死」とは、私たちにとって、患者さんやご家族にとって、どのようなものであるのか、何を考えて行動していくべきか。「医療」であるのか、「介護」か「看護」か。「場」であるのか「人」なのか、こういったことを医療人として考えていかなければいけない時期に来た。

 1951年には、ほとんどの人が自宅で亡くなっていたという時代から、2005年にはほとんどの人が医療機関で亡くなる時代になった。2050年には、約166万人が亡くなる。自宅で最期まで療養することが困難な理由として、「介護する家族に負担がかかる」「急変した時に不安がある」などの回答が多くを占めているとの調査結果もある。こうした状況の中で、私たちは自分自身の死がどうあるべきかを考えていかなければいけない。
 

病院、在宅、いろいろな看取りがある
 

 終末期の看取りはどのような様子なのか、事例を通してお話ししたい。みなさんが現場で経験している状況とほぼ一致しているのではないかと思う。永生会には訪問看護ステーションが4つあり、その所長からいろいろな話を聴いてきたのでご紹介する。

 例えば、胃がんの78歳の男性。妻と二人暮らしで、元気な時は自分の事を自分でしていたが、胃がんが進行して輸血が必要な状況になったので、「入院したほうがいい」とクリニックで言われた。しかし、この男性は「入院するのはいやだが、輸血はしたほうがいい」と判断し、自宅から歩いて約10分の場所にあるクリニックで輸血を受けることにした。クリニックのナースは心配でたまらず、自宅まで付き添ったという。

 その後、食事が取れなくなり、点滴500ccを1日1本実施していたが、最期は永生病院に入院して永眠した。この事例では、訪問看護ステーションやクリニック、病院との連携がうまくできたと思う。

 事例2は、慢性呼吸不全で在宅酸素をしている84歳の男性。ADLは自立していたが、夜間に突然、訪問看護ステーションに緊急コールが入った。妻は、「主人が呼吸をしていない。トイレに行った後にベッドに倒れ込んだ」と狼狽している。訪問看護師がすぐに自宅に向かい、洗面器に熱湯を張って、ラベンダーで芳香浴をして、部屋の空気を落ち着かせた。

 訪問看護ステーションのナースは、妻に「誰の責任でもないのですよ。いいタイミングで発見できたのは、奥様がそばで寝ていたおかげですよ」と優しく声をかけた。そして、これからやらなければいけないことをゆっくり相談した。

 事例3は、多発性骨髄腫で独居の78歳男性。「どうしても退院させてくれ」という本人の強い要望のため、ケアマネジャーと相談してヘルパー中心のプランを組んで自宅に帰った。

 全身の痛みをコントロールする必要があったため、クリニックの主治医と連携した。経済的な援助が必要な男性だったためスタッフらが支援物資を集め、在宅療養できる環境を整えた。83歳の姉が泊まりに来た翌日、呼吸停止してお亡くなりになった。その時は、スタッフらが続々と集まり、本人を見送る準備を整えた。

 事例4は、グループホームでの看取り。認知症で要介護度5の92歳女性。車いすで入所したが、ADLが改善して要介護度が3になった。何度か発熱したこともある。ご家族が、「治って元気になるなら、病院に入院して治療してほしい」と希望したため、永生病院に3~4回、短期入院を繰り返した。

 最期が近づき、ご家族は覚悟を決め、「このままグループホームで亡くなりたい」との希望があり、経口摂取が2~3口になったが、点滴500ccのみ皮下注した。入居者の多くが見舞いに来て、ご家族とも雑談され、みんなで笑いながら楽しくお話をされた。そうした和やかな雰囲気の中で永眠した。ご家族の心の準備もできていて、周囲の入居者も理解しており、落ち着いて見送ることができた。

 在宅での看取りについては、訪問看護師によれば「何があっても家族や介護者の責任ではない」ということを最初に明確にしておくことが必要だという。「突然亡くなることがあるので、覚悟が必要だ」と、あらかじめご家族に話しておく。在宅で看取ることが決まっていたら、すぐに救急車を呼ぶのではなく、まず訪問看護師に必ず相談するように伝えておく。

 事例5は介護老人保健施設での看取りで、認知症の71歳男性。脳梗塞のため嚥下困難、痰の吸引も頻回だった。永生病院に入院したが、ご家族は「胃ろうや、その他の治療を希望しない」ということだった。すぐに介護老人保健施設に戻り、1日1本の点滴を実施して様子を見ていた。カンファレンスを行い、家族とスタッフとの会話を増やし、不安の除去に努めた。看護師が付き添って自宅に戻り、その数日後に永眠した。

 事例6は、病院での看取り。若い患者さんで、「とにかく食事を取りたい」「痛いことはいやだ」「できる事は自分で行いたい」というご希望があった。ご家族も、「できるだけ口から食べさせたいが、苦痛は緩和させてほしい」というご希望だった。

 本人やご家族も参加してカンファレンスを行い、病状を本人に説明した。末期であるとの説明は避けたが、病状をよく説明したことにより、本人の様子がだいぶ落ち着いた。本人はIVHに同意したが、施行当日に「やっぱりやりたくない」と拒否したため、施行しなかった。STや栄養士らは食形態を変更して、本人の「少しでも食べたい」という希望を尊重して、いろいろと工夫した。そして、2週間後に永眠した。

 一方、88歳の心不全の女性は入浴した後に急変して、すぐに亡くなった。こうした時、看護師は「ご家族が受け入れられるか」を気にかける。1か月後、夫が挨拶に来て、「本当によくしてくれました」と笑顔で話された時に、看護師は「笑顔だったが、本当に心の準備ができていたのか気がかりだ」と振り返る。残された家族に対するグリーフケアが非常に重要であると、常々思っている。

 いろいろな取り組みが、施設でも在宅でも行われている。その人らしい生き方や死に方を実現して、援助できるような取り組みが重要だ。個別性を重視すると、いろいろな取り組みが必要になる。どこまで対応可能なのか、柔軟に行っていきたいといつも思っている。多職種が連携し、互いに理解することが必要であると思う。
 

高齢社会を乗り切る道しるべは現場にある
 

 延命治療について話したい。高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドラインが出ているが、胃ろうに関してはいろいろな事例がある。医師から「胃ろうを造設しましょう」と言われ、承諾書もつくり、本人もご家族も納得していると思っていたところ、当日になってご家族が「やっぱり胃ろうをつくるのをやめてください」と言ってきたケースもある。ご家族はどうしたらいいのか分からず、迷っているケースがかなりあると思う。

 例えば、こんなケースがあった。急性期病院で胃ろうをつくり当院に転院してきた患者さん。ご家族が、「こんなに長く経管栄養を持続して、もうかわいそうだからやめてほしい」と訴えてきた。こうした場合には、院内の倫理委員会で検討している。

 2011年、胃ろう造設について当院の看護師130人にアンケートを取ったところ、病棟の種別により結果がかなり異なっていた。長期療養病床のスタッフは、「胃ろう造設を望まない」という回答が多かった。一方、回復期リハビリ病棟のスタッフは、「食べながら胃ろうをつくって、結局胃ろうがなくなったり、完全に食べられるようになるのならば、胃ろうを造設してもいい」との意見が多かった。

 また、「医師の説明により選択が変化する」との回答も多かった。時間をかけて話し合いながら決定していくことが重要であると思う。終末期や看取りでは、チーム医療の必要性を感じる。患者さんやご家族の個別性、自己決定権に配慮した全人的なケアが必須であり、患者さんのために良いケアを提供するためには、すべての職種が連携して協力しあう体制が必要だ。終末期医療における取り組みは、精神的・身体的苦痛の軽減を重視していく必要がある。

 終末期の問題は、多くのスタッフにとって迷いもあるし、葛藤もある。ただ、多くの経験値はやがて標準化され、新たな考えや行動が生まれていくものだと考えている。未曾有の高齢社会を乗り切る道しるべは、やはり現場が持っている。[→ 続きはこちら]
 

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