【第12回】 慢性期医療リレーインタビュー 池端幸彦氏

インタビュー

池端幸彦事務局長

 日本慢性期医療協会(日慢協)は今年で20周年を迎え、11月8、9日に「第20回日本慢性期医療学会・福井大会」を開催します。記念すべき第20回学会のテーマは、「慢性期医療ルネッサンス(Renaissance)」です。大会長を務める日慢協副会長で事務局長の池端幸彦先生(医療法人・池慶会理事長)は、「日本がこれから再生していくという意味での『復興』、さらに慢性期医療もイノベーション・マインドに満ちあふれた新たな復権・復興を果たさなければならないという思いを込めた」と抱負を語ります。
 

■ 医師を目指した動機
 

 父が初代で、私は二代目になります。実は、父は養子なのですが、親が教師だった実家は決して裕福とは言えない家庭の三男でした。医師になりたかったのですが断念し、旧制の東京高等師範学校に一旦入学しました。戦後まもないころです。しかしどうしても医療系の道に進みたくて、同校を密かに辞退し日大の歯学部に入り直しました。しかし、口の中だけでなく身体全体を診たいと考え、アルバイトをしながら日大医学部を再受験して医師になったという経緯があります。そういう話を幼いころから聞いていました。「医師という仕事はいいもんだぞ」と。

 その後、父は母と学生結婚して池端家に養子に入った上で、インターンを終えて2年間病院勤務をした後、現在の地で診察机を一つ置いて自宅で開業しました。まだ卒後4年ぐらいです。医師不足の地域でしたので、周囲からの要望もあって開業したそうです。NHK朝の連続テレビ小説で「梅ちゃん先生」が放映されていますが、まさにあのようなイメージです。夜中に電話がかかってくると、「しょうがないな」と言いながら往診かばん1つ持って、患者さんの自宅を訪問する。そんな後ろ姿を私は小さいころから見ていました。幼稚園か小学校1年生ぐらいのころでしょうか、手術室に連れて行かれて、「おまえ、ちょっとそこに立ってろ」と言われ、父の手術をじーっと見させられました(笑)。

 福井は雪深い所で、当時は冬になると1メートルも2メートルも雪が積もります。父は、冬になるとすごい重装備で往診に出かけていました。看護師さんと2人で雪の中をトボトボと歩いていく父の姿を今でも思い出します。当時は、「在宅で亡くなる人が8割」という時代でした。深夜に「今からちょっと行ってくるわ」と言って出て、「1人、看取ってきた」と言いながら戻ってきたことなども覚えています。

 そういうことで、幼いころから「自分は医師になるんだ」と自然に意識していました。「医者にならなきゃいけない」という使命感のようなものではなく、「医師になりたい」という気持ちがありました。父は私に、「医者になれ」とは言いませんでした。いま振り返りますと、「父から上手に擦り込まれたな」って思います。私には4つ下の弟がおりまして、弟も同じように手術室に立たされましたが、血を見ると「ぎゃーっ!」って逃げ回っていました。案の定、弟は医師になりませんでした。

 しかし、私の場合は、「自分は医師になる」とずっと思っていまして、小学校の作文には、「将来なりたい職業はお医者さん」と書きました。その後、進路を考える時にも医師以外の仕事は全く考えられませんでした。ですから、何かインパクトある大きな出来事があったわけではなく、自然に医師になりたいと思って医師になりました。医師になったことを後悔したことはなく、今、医師になって本当に良かったと思っています。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 慶大医学部から慶応の外科医局に入局し、「外科医としてバリバリやりたい」と思っていた時期がありました。ところが、医師になって6年目のころ、父が政治の道に進むことになりました。あと10年ぐらいは大学の関連病院などで外科医の腕を磨きたいと思っていましたので、非常に悩みました。1975年ごろのことです。

 ご存じのように選挙にはやはりお金が掛かりますし、いろいろなお付き合いも始まります。大きな借金を抱えて病院経営は片手間になり、患者さんもだんだん減っていきました。いよいよ病院を閉鎖しなければならないという段になり、父は「戻るなら、いま戻れ」と言いました。このまま大学病院で外科医を続けるのであれば、「無理強いはしないから、病院はたたむ。おまえの好きにしろ」と言います。とても悩みました。継ぐとしたら私しかいない。いずれは父の病院を継ごうと考えていましたし、「地域医療」ということはいつも頭の片隅にありました。

 卒後6年というのは、外科医としてはまだまだ一人前でありません。せめてあと10年ぐらいは続けたかった。しかし、「どうせ継ぐなら早いほうがいい」と一大決心をして、外科医としての修行をやめて戻ることにしました。父の病院を継いだ後も、外科医として続けていこうという気持ちはありました。しかし、覚悟はしていたものの、少し愕然としました。

 父の病院を継いでまず思ったことは、「患者さんとの距離感が違う」ということでした。大学病院で手術をしていたころと違って、患者さんから「切った所が痛い」とか、「調子が悪い」などと言われることがありました。最初は、「腕が落ちたのかな?」と思ったのですが、そうではなかったようです。大学病院の患者さんは、「大学で手術した」ということで満足される。一方の医師は「手術をしてあげる」という意識があります。大学病院の患者さんが医師に対して、「痛い」とか「つらい」などとこぼすことはほとんどなかった。

 父の病院に来る患者さんは医師との距離が近いので、自分の思いを遠慮なく医師にぶつけます。そのため、「大学病院だったら、こんなふうに言われなかったのに」とギャップを感じました。「距離感が違うんだな」と思いました。大学病院での医師と患者の関係は、地域医療での医師と患者とは違う。そうした中で、次第に自分が変わっていきました。医師としてのあり方が変わったと言うのでしょうか。目線を患者さんに近くしなきゃいけない、いや、「そうせざるを得ない」という感じに自然となっていきました。

 最初は、外科医として「治す」ということが自分の腕の見せ所ですし、手術の症例が増えることもやりがいの1つでした。私が病院を継いだころは、小さな病院でも信頼してくださって、胃がんや大腸がんの手術などをしていました。しかし、そういう医療がだんだんミスマッチになってきました。すなわち、私がやりたい医療と地域が求めている医療とがずれてきた。

 私は、大学病院の外科学教室に残っていれば、将来はある程度の手術を任せてもらえる、執刀医になれるという自負がありました。東京でも福井でも変わらないと思いました。しかし、患者さんから「大きな病院を紹介してほしい」などと言われることが増えてきた。「私はつい先日まで、東京の大学病院で手術をやっていました!」と言いたいのですが、それを言っても通じないことは分かる。患者さんは、申し訳なさそうに「先生を信頼しないわけではないんですけど、『設備が整った大きな病院の方がいい』と家族が勧めるので……」と言うのです。

 そして、当院の手術室はだんだん閑古鳥が鳴くようになっていきました。来院されるのは、おじいちゃんやおばあちゃんで、「腰が痛い」「膝が痛い」「下痢した」「便秘だ」と、そういう訴えが増えてきました。やりたい医療と必要とされる医療とのミスマッチです。そこで、「これからどうしようか……」と悩む日々が続きました。やりたい医療ができる所に移るか、あるいは地域が求めている医療に自分を合わせるか。急性期医療を中心に考えていた医師としての使命感を少し変えないといけないのではないか、そう思い始めていました。

 今後の方向性について悩んでいたころ、大きな転機となったのが「デイケアをやってください」というある保健師さんの一言でした。1995年ごろのことです。新しく介護保険制度ができるという話をちらほら耳にしていましたが、介護保険のことなんて全く分かりませんでした。興味もありませんでした。ただ、ちょうどそのころに地域の保健師さんから「地域のケアネットワークをつくりたい」とお誘いを受け、公民館で集まって話し合いをしました。そこにとても熱心な保健師さんがいまして、「このエリアに必要なサービスは介護で、特にこれからはデイケアが必要です。」と言われた。「先生、ぜひこの地域でデイケアやってください!」とさかんに言われました。

 私は、「デイケアって何やろ?」っていう感じで全く分かりませんでした。ある日、「日本医事新報」を読んでいましたら、日本医師会が主催する介護保険の説明会の案内が載っていました。申込先は福井県医師会でした。私は当時、県医師会の1会員にすぎなかったのですが、結局のところ当時の県医師会役員以外で参加したのは私だけだったため、その後は、介護保険委員会の委員、さらに委員長、担当理事と、一気にドツボにはまっていきました(笑)。そして現在に至るわけですが、そのきっかけはやはり保健師さんの「デイケアをやって」という一言です。現在のさまざまな活動は、その一言の延長線上にあります。

 慢性期医療に携わって思うことは、「ご縁を大切にする」ということです。人生のさまざまな場面にいろいろなチャンスが転がっていると思いますが、目を向けなければスーッと通り過ぎてしまいます。「ご縁を大切にする」という言葉は亡き父からの申し送りでもあり、「人から請われた事には、なるべく応えろ」とよく言われました。「頼まれるうちが花だ。精一杯応えれば何かが見つかる」と言われ、いま改めてそう感じています。

 医療は、損得勘定だけでは成り立ちません。もちろん、経営面から考えなければならない場合もありますが、それだけではなく、失ってはいけない魂のような部分がないといけないと思います。それが逆に差別化要素になるのだと思います。しばしば院長や施設長らが職員に訓辞を述べることがあるかと思いますが、いくら口で綺麗事を言っても、本音が違えば相手には通じません。しかし今この瞬間、本気で職員や患者さんのことを思い、全力でぶつかる魂があれば、それはいつか必ず返ってくるものです。

 私は、本気でぶつかってきた人に対しては、たとえ自社製品を売り込む方でも、本気で対応しています。真剣勝負をしている人に対しては、こちらも真剣になります。魂でぶつかったときは、後腐れがない。もちろん無礼ではいけないと思いますが、その人の本当の心をつかもうと思ったら、時には上下関係ではなく立場を越えて本気でぶつかる瞬間がないといけないですよね。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 これからの慢性期医療はもう、「陣取り合戦」ではないと思います。最近、「どこからが急性期で、どこからが慢性期か」と、変にぎくしゃくすることがありますが、そんなことを言っている場合ではなくて、介護も福祉も含めたトータルな社会保障全体をどう考えていくかという視点が必要です。われわれ日本慢性期医療協会としては、これら社会保障全体の中のどの部分を担うのかという観点から考えています。もちろん、オーバーラップする部分はあっていいと思います。

 ただ、分かりやすく言えば、当協会の武久洋三会長がおっしゃっているように、誰でも納得できる急性期医療というのは、高度急性期やDPCを中心とする急性期医療で、それ以外は広い意味での慢性期医療でしょう。その中には、亜急性期機能や回復期機能、長期の慢性期機能など、ジャンル分けすればいろいろあります。そのどこを担うかは、それぞれの医療機関が地域のニーズに応じて選択すればいいと思います。

 ある地域では、療養型病院でありながら急性期機能を持たなければいけない。13対1、15対1の病院でも急性期医療に取り組んでいる地域はあるでしょう。自分の病院がやりたいからやるのではなく、「地域が何を求めているか」という尺度で考えれば、自ずと答えは見えてくる。慢性期病院でも、周囲に回復期リハビリの病院がなければ回復期機能を持つ。ですから、何も「急性期以外の慢性期領域はすべて当協会で抱えますよ」という意味で活動しているわけではありません。

 在宅医療も、広い意味での慢性期医療に含まれます。だからと言って、在宅医療の分野を当協会ですべてやるなどということはありません。往診をしっかりやっている診療所の先生が「土日はちょっとつらい」と言えば、そこは近隣の慢性期病院が支える。例えば、「当院には当直医がいてオンコール体制なので、当院と組みましょう」と言って、地域の慢性期病院と診療所が連携する。そうした連携を軸にした「地域完結型」の医療を目指すべきだと考えます。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 私の病院は10年前から、地元である福井大学医学部の学生5、6年生を対象に卒前研修を行っていました。3年前からプログラムを変更しましたが、多くの学生と面談してお話をする機会がたくさんありました。学生さんを連れて一緒に往診に行ったり、訪問看護や訪問リハに同行してもらったり、デイケアやデイサービスを見学してもらったりしました。そうした中で、多くの学生さんから「医者の原点を見たような気がする」という感想を頂きました。

 医学部の5、6年生というのは、自分の将来の進路について迷う時期でもあります。在宅医療や訪問看護の現場など、当院で地域医療を体験した学生さんたちが異口同音に感想として話してくれたことは、「病気ではなく人をみる」ということの重要性を再認識したということでした。幼いころに医師を目指した、その時の熱い気持ちを地域医療の現場で思い起こしたのかもしれません。ですから、若い先生方に私から伝えたいことは、自分が「医者になりたい」と思った、その時のハートを忘れないでほしい。そのためにも、時々、地域にも目を向けてほしい。

 もちろん、急性期医療の道をどんどん進んでいくことも重要です。ただ急性期医療ばかりやっていると、急性期段階を終えた後が分からない。若い患者さんでもお年寄りでも、急性期医療を終えた後は地域に帰り、元の生活ができてはじめて「治った」と言えるのです。急性期医療の側は、手術を終えて傷口が治ったら、もうそれで「治った」と考えているかもしれませんが、患者さん本人にとっては、自宅に戻って、元の職場で仕事を再開することができて、初めて「治った」と言えます。

 この後半部分、急性期医療のその後も、大事な医療だということを忘れないでほしい。急性期後の医療と上手にバトンタッチしないといけないということを、ぜひ理解していただきたいと思います。一方、慢性期医療の側もまた、急性期医療を理解していなければいけない。お互いに理解しあえるような関係がないと、不幸になるのは患者さんです。このことを、ぜひ理解してほしいと思います。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 日本慢性期医療協会は今年、お陰様で20周年を迎えることができました。初代会長の天本宏先生の志を継いで、皆様のお力添えを頂きながらようやくここまで来ました。医療行政のさまざまな流れと共に協会の名称も変わり、いろいろな変遷をたどりました。そして医療提供体制の将来ビジョンを見越して4年前に名称を「日本慢性期医療協会」に変えたころから、少しずつ当協会の活動が一般の国民の方々にも認められてきているのかなという印象を持っています。

 ただ、その活動は先ほど述べましたように、決して「慢性期医療をどんどん伸ばしたい」とか、「慢性期医療を膨らませたい」ということではなく、日本の医療を守るために、われわれがどういう働きをすべきかということを常に考えながら行動しているつもりです。そのため、時には会員の方々にとっても耳の痛い話をしていることもあるかもしれませんが、ぜひご理解いただきたいと思います。

 われわれは決して、「自分たちさえよければいい」ということを考えている協会ではありません。「目線は、常に国民のために」ということを考えて、今後も活動していきたいと思っています。
 

■ 福井大会への抱負
 

 11月8、9日に開催する「第20回日本慢性期医療学会・福井大会」で、大会長を務めさせていただきます。私の病院は30床しかない本当に小さな病院ですので、このような大役をお引き受けしていいかどうか非常に悩みました。しかし、協会の役員の方々から温かい応援のお言葉も頂き、また私が副会長を務める県医師会なども全面的に支援していただけるとのことで、「こんな小さな病院でも、全国大会を開催できる」ということを全国に発信できるチャンスでもあると思い、まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟で、お受けさせていただきました。お陰様で登録演題数も500題を超え、事務局はもちろんのこと、多くの会員の皆様方やご後援団体のご支援を得まして、開催に向けた準備は順調に進んでおります。
 
 大会のテーマに、「ルネッサンス」という言葉を入れました。昨年3月、今大会の企画を立案していたころに東日本大震災がありました。そのため、日本がこれから再生していくという意味での「復興」と、さらに慢性期医療もイノベーション・マインドに満ちあふれた新たな復権・復興を果たさなければならない、という思いを込めました。

 以前は、「急性期が上で慢性期が下だ」という上下関係のような考え方もありました。しかし、これまで日本の医療を支えてきたのは、私の父がやってきた往診や在宅支援のような医療が根幹ではなかっただろうか。そう考えますと、もう一度原点に帰り、「医者とはなんぞや」という本質から医療を見つめ直したい。「川上から川下」と言われるような「川下」の慢性期医療ではなく、急性期病院や診療所などと連携する循環型の地域医療を支える慢性期医療に「復興」したい。決して、「先祖帰りする」という意味ではなく、新しい意味での慢性期医療をつくっていきたい。そうした思いを、「ルネッサンス」という言葉に込めたつもりです。

 今大会はまた、日本慢性期医療協会20周年の記念大会になります。震災からの復興、混沌とした政治状況、医療提供体制の転換期にあって、多くの方々の英知を結集して未来を見つめていこうということで、シンポジウムも例年にも増して充実した顔ぶれです。テーマは壮大になりすぎたかもしれませんが、10年後、20年後を見据えて慢性期医療を考えたいとの思いから、「日本の医療・介護の近未来に向けて」という統括テーマのもと、5つのシンポジウムを設けました。

 まず20周年記念講演として、JAXA宇宙飛行士の向井千秋さんをお招きする予定です。昨年の震災・原発事故以来、日本全体がちょっと沈みがちになっていますので、ここは少し大きな夢を語ってもらって、みなさんに元気になっていただこうと思い、1年の半分以上を海外で過ごされ、こうした学会にご登壇いただくことは極めて少ない先生ですが、大学の先輩というつながりもあって無理にお願いいたしました。テーマ(仮題)は、「宇宙医学に学ぶ健康長寿」です。宇宙から見たかけがいのない地球の美しさや、その地球の夢や未来などを語っていただき、少しでも皆さんに元気になっていただきたいと思います。

 それに引き続いての基調講演では、元厚生労働省事務次官を務められた辻哲夫先生をお招きいたしました。現在、東京大学高齢社会総合研究機構教授をされており、「超高齢社会のまちづくり~Aging in Place~(仮題)」というテーマでお話ししていただきます。辻先生は近年、慢性期医療の重要性や必要性について理解を示されており、ぜひそういう視点からのお話も拝聴できると期待しています。

 また各シンポジウムには、各界の著名な方々をお招きしています。初日午後のシンポジウムでは、初めて日本看護協会の役員もお招きいたしました。これからの医療は連携の時代であり、医師だけでは支えられません。日本医師会の会長をはじめとする各医療団体のトップの方々と、熱く語り合ってもらうシンポジウムになると思いますので、多くの方々のご参加をお待ちしております。そのほか各シンポジウムでも、各テーマについて多くの著名な方々からお話を頂戴いたしますので、ぜひ皆さん、奮ってご参加ください。
                                (聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
 
○ 経歴

  昭和55年  慶應義塾大学医学部卒業、同大学医学部外科学教室入局
  昭和58年  慶應義塾大学病院 一般消化器外科助手
  昭和61年  池端病院 副院長
  平成01年    池端病院 院長(~現在)
  平成09年  医療法人池慶会 理事長(~現在)
  平成20年    社会福祉法人雛岳園(すうがくえん)
        「愛星保育園・たんぽぽ保育園」理事長(~現在)

○ 現在の主な役職

 (全国)
  日本慢性期医療協会 副会長
  日本医師会 介護保険委員会委員
  日本介護支援専門員協会ブロック理事
  全国地域包括・在宅介護支援センター協議会常任委員
  全国老人デイ・ケア連絡協議会理事
  介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する検討会委員
  中部医師会連合 介護保険特別委員会 委員長

 (県内)
  福井県医師会 副会長
  福井大学医学部 臨床教授
  福井県慢性期医療協会 会長
  福井県介護支援専門員協会 会長
  福井県介護保険審査会 会長
  福井県国保連合会 介護給付費審査委員会 会長
  福井県地域包括・在宅介護支援センター協議会 会長
  福井県訪問看護推進協議会 会長
  福井県医療審議会委員・在宅医療推進部会 座長

○ 主な資格

  日本外科学会認定医、日本消化器外科学会認定医、日医認定スポーツ医
  日医認定産業医、日本抗加齢医学会専門医、認知症サポート医、介護支援専門員
 

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