【第8回】 慢性期医療リレーインタビュー 中村哲也氏
「国内には様々な病院団体がありますが、他国と組んで一緒に活動しているのは日本慢性期医療協会だけ」─。日慢協の国際委員会委員長で、「アジア慢性期医療協会」の理事長を務める中村哲也先生は、板橋中央総合病院をはじめ国内外に医療・介護サービスを展開するIMS(イムス)グループの理事長です。今年6月に釜山で開催する「2012国際慢性期医療・福祉シンポジウム」への抱負などを語っていただきました。
■ 医師を目指した動機
父の存在が私の動機に大きく関わります。父が医師を目指した理由を子どものころに聞いて、「医者という仕事は男が生涯を賭けるだけの価値がある」と思いました。まずこの点について、お話ししましょう。
当院は昭和31年3月、この板橋区小豆沢で父が開業しました。ベッド5床です。日本経済の隆盛に伴い病院事業も徐々に拡張し、診療報酬による収入を次の医療施設に転換し拡大してきました。これは、私たちがグループ化できた、またはシステム化できた原動力になったと思います。実は、そうした展開には理由があります。それは、私が医師を目指した動機でもあります。
父が幼いころ、兄弟の1人が自宅でけがをして、視力を失うかどうかという状態になりました。当時、父が住んでいた北海道の田舎町は医療提供体制が不十分でした。多くの診療科が近くの病院などに揃っていませんでした。そのため、毎週毎週、札幌の病院に母親と一緒に通院したそうです。
そんな母親らの苦労をじっと見ていた父は、「病院やお医者さんは自宅近くにきちんと揃っているのが幸せだ」と思ったそうです。母親は毎週末いませんし、兄弟も視力を失うかもしれない不安な日々を過ごしましたから、こうした状況を自分が変えたいと思ったのでしょう。そこで、人のためになる仕事、世の中のためになるような仕事として、医師を志したそうです。
そして父は医師になり、現在の地で開業した後は病院収入を次の医療施設に転換していきました。医療提供が不十分な地域に病院をつくり、多くの人が医療を受けられる機会を増やしました。その理念は「愛し愛される病院」です。そんな父の背中を見て、私も地域医療を完結させるために医師になり、父の跡を継いでその哲学や思想をさらに深めたいと考えました。これが私の「医師を目指した動機」です。
ですから、私は単に「父の跡取り」ということではありません。父が目指そうとしたもの、哲学や思想を継ぎました。医療人、事業者としての姿勢をさらに進め、固めていこうと思いました。そして現在に至るわけです。
■ 慢性期医療に携わって思うこと
私は日本慢性期医療協会のお仕事をしていますが、私自身は循環器科という心臓の病気を専門にしていますので、急性期医療を率先してやってきました。板橋中央総合病院は7対1入院基本料を算定する急性期の病院で、昨年度は平均で680台/月の救急車を受け入れています。では、なぜ私が慢性期医療に関わっているのでしょうか。
昨今、少子高齢化が進む中で、救急患者さんのほとんどが高齢者です。そうなると、受け入れたその日から、急性期を終えた後をどうするのか、もしくは自宅に帰れない状態になった場合にどのように地域に戻すかということを考えます。我々が目指すのは、地域で完結する医療です。そのためには、医者だけではだめで、もしくは急性期だけではだめで、早くから退院支援をしていく必要があります。
以前、慢性期医療に取り組んでいる知人の医師に、「救急病院こそが慢性期の病院と付き合い、連携する必要がある」と話し、さらに「連携してほしい」とお願いしたことがあります。つまり、急性期と慢性期の連携は今後の超高齢社会において非常に重要だと常々思っていました。
救命救急センターに運ばれた患者さんが実はアンマッチで、救命救急センターで治療する必要がなかった場合、そうした患者さんを早く療養病床で受け取ることは急性期病院にとっても必要だし、その連携は社会的にも必要です。そんなことを武久洋三先生がおっしゃっていたのを聴きまして、急性期医療に携わる立場からそのお考えに一致しました。
病気になって回復していくまでの過程には急性期も慢性期もありません。それをあえて分けようとすれば「急性期病院」「慢性期病院」ということになりますが、では、がんは急性期でしょうか、慢性期でしょうか? 手術が終わっても病気が治ったわけではありません。抗がん剤治療をしている患者さんは急性期を終えた後のフェイズ、つまり慢性期です。高齢者医療と慢性期医療がごっちゃになっている面がありますが、本来、慢性期医療は急性期を終えた後の「残存医療」です。医療が残ってしまった人たちを総称して慢性期医療と言うのです。
急性期病院が患者さんに関わるのはほんの数週間ですが、その後は慢性期医療がずっと続くわけです。慢性期のほうが長いのです。そういうことを考えれば、慢性期医療に対する考え方をもっとしっかりと位置付けて定義付ければ、もっと良い医療が施せます。そうした思いから、私は日本慢性期医療協会のお仕事に携わっています。
■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
2025年に向けて厚生労働省が目指している医療提供体制はあながち間違ってはいないと思います。やはり誰でも自分の住み慣れた家で生活したい。自宅に戻れなかったとしても、「こういう香りだったな」と感じられるような見慣れた地域、知り合いが住んでいる地域に戻してあげるのが医療の役割です。そう考えますと、慢性期医療だけではなく、在宅や施設型の住居なども含めて全人的に広くカバーしていくべきではないかと思っています。
それから、急性期段階を過ぎた後の慢性期医療という意味だけではなく、生活習慣病や化学療法中のがん患者さんなど、病状がさほど動いていない人たちをどう位置付けるかということも含めて考えますと、「慢性期」という名前だけ独り歩きしている点については、今後もう一考察あってもいいと思います。
日本の医療制度の良くない点でもありますが、あまりにも細かく分けすぎます。介護保険の点数、区分けなどを考えても細かすぎます。確かに、ピシッとはまればいいのでしょうが、「もうちょっと緩くてもいいんじゃないかな」って思います。「これはあるけど、あれはない」とか、「これはそのパターンではない」とか、ちょっとあまりにも人を細かく区分けしすぎているきらいがあります。「前回は介護度4だったけど今回は3になりました」、「今度は4になった」などとやっているのは……(笑)。
人間の身体はそんなに簡単に分けられないのですから、もう少し広く見てもいいのではないかな、と思いますね。
■ 若手医師へのメッセージ
板橋中央総合病院は厚生労働省の臨床研修指定病院になっています。毎年12人の研修医がいらっしゃいます。彼らと接して話をしますと、我々のころよりも完成された医師像を持って卒業してきていると感じます。ですから、彼らに「医者はどうあるべきか」を論ずる必要はなく、すでに卒前の段階で、ある程度の方向性ができていると思います。
ただ、それはみんな頭で分かっているだけで、経験を通じて身体に染み込んだものではありません。つまり、舐めてもいない、食べてもいない、飲んでもいないものを「おいしい」とか「まずい」とか、評論の本だけを見て想像して決めている感があります。それは若いお医者さんだけではないと思いますが。
医療というのはもっと泥臭いものです。患者さんの身になるということは、患者さんと同じ境遇になることです。患者さんと同じ生活環境に入ってはじめてその病気を理解することができる。ですから、どんどん率先して、つらいことや大変なこと、見たくないようなこと、やりたくないようなことに踏み込んでほしい。それをしてから、自分が一生やってもいい診療科、専門分野を決めてほしいと思います。ですから、「それはまずいだろう」と言う前に食べに行きなさい、と思います。
これは指導医たちにも言えることです。「そんなことをやっても無駄だよ」と、自分が経験した「答え」を先に言ってはいけません。失敗はさせましょう。失敗に学ぶべき点は多いのです。もちろん、失敗が患者さんの不利益になってはいけません。許される失敗であれば、しておいたほうがいいと思います。失敗を恐れて何もしない罪のほうが大きいのです。大いなる責任を持つ仕事であるだけに、そう思います。
医者はオフィサーです。指揮者、指示する側の人間です。ですから、いろいろなことを経験しなくてはいけません。本で学んだからと言って指示できるものではありません。これを若い医師にも指導医にも申し上げたいと思います。
■ 日本慢性期医療協会への期待
私がなぜ「アジア慢性期医療協会」を立ち上げるに至ったかについて、まずお話しいたします。
日本が抱えている大きな問題は少子高齢化ですが、これは日本だけではなく世界中の傾向です。特にアジアで急速に進んでいます。日本はすでに超高齢社会に入りましたが、韓国は高齢社会に入り、台湾がもうすぐ、次いで中国、そしてタイという状況です。これはなぜでしょうか。
アジアの人たちは自分の国の文化を守るために移民を受け入れたり国際結婚したりするような風土がないのかもしれません。つまり自国完結型であるために、経済が成長すると晩婚化になり、晩婚化になると総入学制になる。全員が大学に進学する。そうすると晩婚化して少子化になる。ですから、少子高齢化の原因には経済の成長が関係しています。ほとんど全員が大学に進んで晩婚化しているのが日本の現状ですよね。ですから、アジアにおける経済成長の順と、高齢化が進む順とは大きな関係があると思います。
こういう状況から考えますと、もしかしたら我々が今悩んでいる高齢者医療、もしくは慢性期医療をめぐる問題はアジア諸国においても同じではないでしょうか。こうした問題意識を他のアジアの方々も持っていると思います。しかし、みな自分の国のことが精一杯でしょう。
今から10年前になりますか、シンガポールの厚生労働大臣クラスの方から「日本の高齢者医療を見学したい」と依頼され、優れたシルバープランがある宮城県を勧めました。宮城県には当グループの西仙台病院があります。県内で一番大きな高齢者医療の病院でしたので、そちらを見学場所に指定して私も対応いたしました。そこで見学の理由を尋ねたところ、「我々もあと10年したら高齢社会になるので、その時の備えとして日本を見ておきたい」とおっしゃっていました。
こんなことが過去にありましたので、「もしかしたら他の国も同じ思いかな」と考えました。自分の国だけで考えずに、他の国も交えて慢性期医療や高齢者医療を考える機会をつくりたいと思いました。それを武久会長に申し上げましたら、「じゃ、お前がやれ」ということになりました(笑)。
そこで、学会を開いて皆さんをお呼びしようと考えて、2010年3月に京都で「第1回アジア慢性期医療学会」を開催し、アジア各国の皆様をお呼びしました。そして慢性期医療の研究者たちと話をしましたら、慢性期医療の研究者たちのネットワークがすでにアジアにあると言うのです。行政マンの間にもあるそうです。しかし、いまだ存在しないのは医療者のネットワークだと知りました。それで、「3つのネットワークができたら完璧ですね」と行政の方々や研修者の皆様に申し上げましたら、「そうです」とおっしゃったので、ますますアジア学会をやる気になりました。
そしてご出席いただいたアジア各国の医療者の皆さんと話し合いアジア学会は2年ごとに開催し、開催地は各国持ち回りでやりましょうと決めました。日本に次いで高齢化のスピードが速いのは韓国なので第2回は韓国で今年開催する予定でしたが、昨年6月に釜山で開催してしまいました。釜山市も応援してくれ大成功に終わりました。この成功をみて武久会長と相談し、「学会だけにとどまらず慢性期医療のネットワークをつくろう」ということになり、昨年8月に「アジア慢性期医療協会」を設立する運びとなりました。
当初、慢性期医療を専門におこなう病院協会の存在する日本と韓国で設立しましたが、今後は台湾や中国、タイなども入っていただきたいと思っております。なぜなら、アジア慢性期医療協会は個人会員で形成されるものではなく、各国の協会の集まりなので、慢性期医療の協会がない国はまだ参加していない状況です。
そうした活動などを通じて思うのは、アジア人と欧米人は衣・食・住だけでなく本人や家族が病気になった時の対応についても文化の違いを感じました。病気に対する考え方というものがアジア人は共通しています。そうした考え方の違いが保険制度などにも影響していると思います。
韓国の方々からよく「日本を見習っています」と言われます。我々のほうが早くこういう状況を迎えたので、医療機材などの発達が全然違います。おむつにしても、日本製は薄くて軽くて漏れませんが、韓国製はまだそこまで進んでいないようです。韓国の老人医療のマーケットはまだ狭いですから、企業がまだ真剣に取り組んでいないのかもしれません。日本ではすでに企業が多数参入して様々な製品を開発しています。これは国の成長戦略でもありますから、韓国はそれを見習いたいと考えています。
日本の様々な団体も、国内だけにとどまらず、海外のいろいろな人たちに刺激を受けながら発展していくべきだと思います。国内には多くの病院団体がありますが、他国と組んで一緒に活動しているのは日本慢性期医療協会だけだと思います。これは素晴らしい財産だと思います。
今後、在宅医療をどう進めるのかを考えましても、単に医療制度や介護制度をつくるだけでは足りず、社会的インフラが必要になります。医療・介護難民を出さずに、自分の枕と毛布の中で、これまで生きてきた幸せな時間を感じながら陽だまりの中で過ごしてもらうためにはどうすればいいのでしょうか。また、必要があれば病院や施設に入り、そして再び自宅に戻るということがフレキシブルにできるためにはどうすればいいのでしょうか。そんな制度を提言していけるような団体になっていってほしいと思います。
(取材・執筆=新井裕充)
【プロフィール】
≪略歴≫
昭和58年3月 帝京大学医学部 卒業
昭和58年6月 帝京大学医学部第2内科 入局
平成 2年4月 医療法人社団明芳会板橋中央総合病院 入職
平成 3年4月 医療法人社団明芳会板橋中央総合病院 院長就任
平成14年4月 板橋中央看護専門学校 校長就任
平成18年7月 IMSグループ 理事長就任
・医療法人社団明芳会・医療法人財団明理会・医療法人社団明生会
・医療法人三愛会・医療法人社団明山会・医療法人社団明和会
平成19年7月 医療法人社団明芳会板橋中央総合病院 総院長就任
平成21年4月 イムス横浜国際看護専門学校 校長就任
≪要職≫
日本慢性期医療協会 常任理事・国際委員長
全国公私病院連盟 常務理事
日本私立病院協会 副会長
≪資格≫
医学博士
日本人間ドック健診認定医
2012年6月7日