「年頭所感」

会長メッセージ

武久洋三会長2016年元旦

 新年明けましておめでとうございます。昨今の医療改革は、誠に厳しいものがございますが、私は会長として、慢性期ながらも重症を治療し、地域に復帰するべく努力している会員、そして地域の中での行先のない、慢性期後遺症患者を支援し、見守ってくれている会員にも将来の病院運営が継続的に安定的に行えるように様々な提案をし、厚労省等の委員会でも発言しております。

 また私は、急性期と自称しながら、実は中途半端な慢性期治療を行っている病院より慢性期医療に一生懸命になっている病院が下に見られることに抗議し、その是正に努力する立場です。
 また、単位だけは目いっぱいに消化して、期限が来れば改善していないままに退院を強要するようなリハビリを行っている病院が、大手を振って我こそリハビリ本流だと自称している病院とはちがって、日常に速やかに復帰できるためニーズに合わせてリハビリを行っている病院の立場に立っています。また、地域包括ケアのセンターとして、在宅療養総合支援センターの役割を果たそうとしている病院の立場です。
 このように積極的治療に頑張られている病院も、在宅復帰できない患者さんを地域で最後まで看取る病院もいずれも地域では必要です。新しい2016年が私たちにとって良い年となりますように役員一同努力いたします。

 さて最近、総理大臣がよく日本も普通の国になるべきだと言っています。このことは、安保問題での個別的自衛権が国是であった日本を他の先進国並みに集団的自衛権を可能にするべきだという論調の中での事と思っている国民も多いでしょう。大体よその国と違って、個別的自衛権しか認められなかったのは、憲法によるもので、その憲法は戦勝国アメリカにより、与えられたものである。無謀な戦争を周辺国に挑むようなことを二度とできないように日本の再軍備を防止しようとしたのは他ならぬアメリカである。そのアメリカは、戦後レジームの変化による朝鮮戦争以来、東西対立冷戦構造に突入し、軍備を取り上げた日本にも周辺については手伝わそうとして自衛隊を作らせたのである。しかし、憲法の制約がある。さらに、その後アメリカの世界の警察という役割は増大する一方で、その役割のために始めた戦争のほとんどでアメリカは辛酸を嘗めている。その結果、アメリカ単独でなく、多くの同盟国による集団的自衛権を拠り所に世界の平和を守るという論理すなわち、アメリカの国益を守るために同盟国に協力を要請している。特にアジアでは中国や北朝鮮の動向に神経をとがらせながら中近東の泥沼に足を取られている状態では、アメリカは日本にアジアの共同防衛、すなわち日本に集団的自衛権を何としても認めさせることが、アメリカの国益となったのである。終戦直後は日本が再び台頭してアメリカに向かってくる可能性を0(ゼロ)にしたかった政策をとったものの、すでに70年もたっては、世の中は変わるものである。それにしてもかつて日本に侵攻された中国や朝鮮は、70年たっても、その恨みを引きずっており、折に触れ、問題を蒸し返している。然るに日本は、何百万人という無辜の民間人を全国へのB29による絨毯爆撃で壊滅させられた上、原子力爆弾を世界で唯一2回も投下されて甚大な被害を被っている。しかし、日本人はアメリカに恨みがましいことはほとんど言わず、戦後すぐから日本を統治したマッカーサーを旗行列で見送っている。日本人が恨みを忘れやすいのか、中国等がそうでないのかは分からないが、いつまでも、済んでしまったことを持ち出して、ネチネチと自国に都合のよいように条件闘争するよりは、日本人のようなあっさりとした性格のほうがよいのではないかと思うべきか。

 いずれにしても日本はアメリカを頼り、アメリカは日本を利用しようとする関係は、戦負国としてだけでなく、現在のような世界情勢では、一国のみで自国を守れる国はどこにもない。弱小日本が、大国を頼るとすれば、アメリカしかないだろう。まさか中国を頼りたい人はいないだろう。さすれば、日本はアメリカの方針に従わざるを得ないことは、明白である。このような戦後レジームが継続されることは、首相の日本も普通の国になるという言葉に包含されているのだ。
 決してアメリカの属国になるとは一国の主は口が裂けても言えないだろう。このことは、アメリカを中心とした同盟国の他の国と同じような国になるという意味である。それは安全保障だけでなく、経済協力、TPP、金融政策も同じことであり、医薬品や医療機器、医療提供体制、各種保険制度についても宗主国の枠組みに組み込まれるということである。そのことを良しとするのか、否とするかは、国民が選挙で判断することとなるが、少々反対しても、大きな渦には首相自身としても抗えないことは結果が示されている。
 そうなると、医療についてもどんどん普通の国になってゆくという覚悟が必要である。政府は一強多弱の政権下では、その方向に邁進する官僚はこれまで十分に思うような政策を行えなかった、いわゆる「決められない政治」から、この機を逃さじとして矢継ぎ早に温めたその改革案をどんどん決定してもらおうと躍起である。

 かくして改革は猛烈な勢いで進む。国民にとって良い改革も都合の悪い改革もそれぞれの立場によって、受け方が少々違おうが、どんどんと進んでいく。医療に携わっている我々も覚悟しておいた方がよい。日本の医療システムが最良だと言っても病床数や平均在院日数は他の普通の国と比べても格段に多いし、長い。急性期という概念も、他の普通の国のそれとは大きく乖離している。医療提供側にとって、都合のよい、「いつまでも急性期」が通るわけもない。また、介護施設にいるべき症状の固定した高齢者がいつまでも自称急性期や慢性期の病床に入院していることもよそにはない。
 「普通の国」になるという言葉には実に大きな意味があることを会員には知ってほしい。2014年から本格的に始まった医療を取り巻く改革は、まだほんの序曲である。我々を取り巻く大きな背景を知れば、今さらに「今のままが良い」「変に変えるな」とほざいても、天に唾するにすぎないことを自悟すべきであろう。嫌なら同盟国をやめるしかない。しかし同盟国に入らなければ、日本の存亡が約束されないとしたら、無駄な抵抗は止めた方がよい。本当に医療というものが必要な人にのみ、医療が提供され、必要性が減少したら、然るべき機能の場所に移るという、ごく当たり前のことに反論すべきEBMはない。これらの一連の医療改革が行われ、今まで無駄に浪費されていた医療費が効率化されれば、正に日本の医療は世界一となろう。我々医療の真っ只中で働いている者としては、国民にとって良い方向になるものであれば、足を引っ張ることは無駄な抵抗と知るべきであろう。ここには急性も慢性もない。我々は、患者ができるだけ速やかに病前の日常に戻れるように全力を尽くすのみである。他には何もないのである。
 

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