【第2回】 慢性期医療リレーインタビュー  横山宏氏

インタビュー

横山宏先生(恵信甲府病院名誉院長)

 医療界をリードする方々に今後の医療の在り方などを語っていただく「慢性期医療リレーインタビュー」の2回目は、恵信甲府病院の名誉院長・横山宏先生です。「医師を目指した動機」「慢性期医療に携わって思うこと」など、事前に5つの質問をお渡しして、その項目に従ってお話ししていただきました。
 

■ 医師を目指した動機
 
 私は小さいころ病弱でして、いろいろと病気をして、小学校は半分ぐらいしか行っていないんです。風邪から始まって、扁桃炎から腎臓炎を起こして、もっと小さい時はポリオ(小児まひ)になったこともありますし、結核にもなりました。

 まあ、そんなふうなことから弱い子どもに対して何か丈夫になるようなことや、あるいは子どもさんのために何か役に立つようなことをしたいということが、まず医師を目指した動機でございます。

 両親からも、社会に役立つようなね、何か人のためになるような仕事を選べということをいつも言われていましたので、それで医療の方向に進みました。先ほど申し上げたように子どもの時にいろいろ病気をしたものですから、まず小児科医として出発いたしました。

 山梨の県立中央病院に就職したのが昭和26年ですけれども、それから42年間、県立中央病院に勤めておりました。小児科をしていたのですけれども、そのうちに管理職もやるようになって、副院長から院長になりました。その間、病院を充実させようということでいろいろと取り組んできました。

 当時、県立の中央病院でありながら総合病院ではなかったんです。総合病院は、というのはですね、解剖ができなければいけない。解剖医がいなければいけないというのが総合病院である1つの条件になっていました。それで、45歳ぐらいの時に東大分院に通って病理解剖の勉強をしたりして、全部で1115体ぐらい病理解剖させていただきました。

 そんなことで私としては、ゆりかごから最期のお見送りをするところまでというふうな医者の生活をして、60年間、今日まで医療をやってまいりました。大したことはしていないんですけれども……。

 山梨県立中央病院は平成5年に定年退職をしまして、その後、山梨の赤十字血液センター所長として5年間勤務し慢性期医療のほうへ入ってまいりました。そんなことで、私は小さい頃に病弱であったということから、何かと医療中心に世の中のためになることをやらせていただきまして昨年、ちょうど60年。職業的な還暦と言いますかね、去年84歳になりました。7回目の誕生日……、こちらは干支のね……(笑)、誕生日を迎えました。

 振り返ってみましてね、今日まで何をしてきたんだろうかと……。今からもう、自分の人生はもう僅かですから、これから残された人生を、できるだけ毎日毎日を大切にしながら慢性期の医療でお役に立てればというつもりで、現在の病院に勤めております。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 
 日ごろ、お年寄りを診ているわけですが、なんとか早く治っていただいて、健康になってほしいと思います。家族とか周囲の人は、病気が悪くなると非常に心配して家庭が暗くなりますので、なんとか早く良くなっていただいて、家庭に明るさを取り戻していただいたり、その方の残された人生を少しでも充実した毎日を送っていただけるお手伝いをしたいと思って過ごしております。

 慢性期医療に携わって思うことは、「自分と共に歩む」と言いますかね、私ももう残すところ僅かですから、患者さんと一緒に、共に生きると言いますか、そんな感じで一緒に寄り添っていこうと思います。

 実は私、(恵信甲府病院・名誉院長の)名刺とは別に、もう1枚の(山梨ホスピス協会・理事長の)名刺にありますように、ホスピスの仕事をしております。これはもう、生と死と言いますか、最期をね、平穏にランディングすると言いますかね、このお仕事を手伝っているわけなんです。

 何と言いますか、最期の最期まで、過剰とも言えるような治療をですね、延命治療と言いますかね、そういうものに対して私は、皆様方のコンセンサスを得て、不必要ともいえる医療は減らしていくのがよいのではないかと思っています。

 もちろん、「延命したい」という方はそれで結構だけれども、もう少し、ご自分のリビング・ウィルと言いますか、お元気でいる時に、「自分の最期をどうしたいか」ということをですね、はっきり家族と話し合っていただいて、いわゆる「デス・エデュケーション」と言いますか、死の教育と言いますか、そういうことを考えて教えていくことが必要ではないでしょうか。私は元々、小児科医ですので、家庭教育とか学校教育とか、それから社会教育の中に、生の在り方というものをね、教育のなかでも取り上げていただきたいと思っております。

 結局、人間というものは、生物は何でもそうですが、限界がありますよね。医療というのは万能ではありませんし、最期はですね、それなりにその人なりに平穏に生涯を閉じていただくということのお手伝いをする、いわゆるホスピスと言う、そういう場に関わってきました。
 
 
■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 
 この日本慢性期医療協会でも、ターミナルケアは1つのテーマになっております。武久会長が「日本慢性期医療宣言」で5つ出しておりますけれども、ターミナルケアもその1つですね。「ホスピス」と言うと、ちょっと宗教的な感じがするかもしれません。ホスピスという言葉の由来に宗教的なものがありますので、ホスピスという言葉をあまり使わない所もありますね。

 日本では、「緩和ケア」という言葉がよく表に出ています。ただ、緩和ケアも結構なんですけれども、どちらかと言うと、今の緩和ケアというのは医療に傾きすぎて進行したがんでも、抗がん剤をむやみやたらに使ったりですね、つまり「引っ張りすぎる」と言いますか、ちょっと困ったところもあるように思います。

 私の後輩で、ホスピスの山崎先生は、現在の緩和ケアはいわゆるホスピスの本来の精神とは少しかけ離れてきているのではないか?という感じを持っておられます。

 まあ、老衰とか進行がんとか、不治の病の中で、終末期がはっきりした人たちに、あまり延命治療をするのは如何なものでしょうか。ただ、途中で治療をやめたり、あるいは消極的にやらないということになると、一部、法的な問題が絡んできて困ります、殺人罪的なね。

 殺意を持ってやっているわけではなくて、その人にとって良かれと思って、家族との話し合いの中でやるわけですけれども、まあ、その辺のことをね、もう少しきちんと国民の中でコンセンサスを得て考えていく。財政面から見るのはよくないですけれども、特に我が国の財政状況は厳しいですから、やはりそういったところも入ってくるでしょう。

 まあ、私としては、そちらの方面も合わせ考えてですね、終末期のお年寄りにかかわり過ぎると言いますか、過剰なことはあまりよくないと思います。明らかに死が近い時には家庭で、皆さんで看取ってあげるという方向にですね、自然にいくのがよいのではないでしょうか。

 これからの慢性期医療は、在宅医療を積極的に支援することでしょうか。不治の病気等で亡くなる方は別として、慢性期医療はできるだけ医療の質を高めて、そして治っていただく、治癒していただくことを考えて、在院日数を短くして、自宅あるいは施設で最期を看取っていただくということが、国の現在の状況からも、その方の人生からも、一番良いことではないかと思っています。

 約6割の方はね、在宅で治療を受けたいと望んでいますが、でも、できないというのが現状ですよね。少子化になっちゃって、見てくれる人がいない、あるいは日本人の良いところかもしれませんが、家族に迷惑をかけたくないとかですね、そういうふうなことがあります。

 社会のほうも、受け入れ体制をきちんとする、地域のコミュニケーションをしっかりつくって、システムを構築して、安心して自宅で療養できるような世の中になるといいなと、つくづく思っております。
 
 
■ 若手医師へのメッセージ
 
 私も若い時には、患者さんの死は医療の敗北みたいに考えていたんですけれども、今はね、それは医者のおごりであって、やっぱりね、生と死というものは表裏一体であって、生の先に死があるのではなくて、死というものは常に生と一緒に共存しているんだなということを思います。

 特に、今回のような大災害とかですね、そういうことも考え合わせましてね、一方的にですね、医者が対応するのではなくて、相手の背景というものを考えたりする広い知識が必要だと思うんですね。一方的にただ治療して助けてあげる、良くしてあげるということではなくて、一緒に話し合いながらね。

 ということは人間対人間の問題ですから、若い先生方、医学という学問に専念していただきたいのですが、最近は特に専門志向が強いんですよね。「私は循環器だ」とか「消化器だ」とか、「他のことは知らなくてもよい」とか、そういうことではいけないと思いますね。もう少し広く、幅を持った勉強をしていただきたいと思います。

 特に、医学は必ずしも科学だけではなく、いろいろなものを含んでおりますので、何が不必要だとか、そういうことではなくて、幅広い人間をつくっていく必要があります。

 医学の中では、専門性と言っても、その専門だけではないわけです。私は解剖をやらせてもらったから分かりますけれども、1つの臓器がやられるだけじゃないんですよね。

 1つの病気になると、例えば肺炎でも腎臓が悪くなるとか、身体のいろいろな臓器に関連性がありますので、広い医学的なアプローチも必要だと思うんです。専門的な治療というのはまた別かもしれないけれど、知識として、対応として、そういうことを広く考えなければいけないと思っています。

 それから何よりも、患者さんの言葉を聴くこと、傾聴することが必要です。よく耳を傾けて、よく聴いてあげるということですね。そういう姿勢を持って、患者さんのナラティブと言いますか、患者さん自身には歴史がありますからね、いろいろなこと、文学的なこととか……。

 今、私の手元に「万葉集」がありますけれども、医者にとって無駄なことは何もない。患者さんに対応するには、みんな必要なことで、相手の気持ちを知るためにも、例えば患者さんの職業を聞かない人が多いけれども、患者さんといろいろな話をする上では必要なことです。

 私は戦争中に育っていますから、例えば患者さんの職業、環境とか、相手の趣味とか、患者さんと打ち解けて話ができるような姿勢を医師が持たないと患者さんの本音が分からない。ですから、ぜひ広い素養を持つということを若い方々にはお願いしたいと思いますね。

 人間対人間の関係です。患者さんの後ろには家族もいます。以前勤めていた職業もそれぞれありますし、いろんな文化的な背景があるので、患者さんの環境を十分考えて、ただ「薬を飲みなさい」と言っても飲めない患者さんもいるわけですよね。家族関係とか、いろいろなことを十分に考える姿勢を持って欲しいです。「俺はこれが専門だから」と言ってね、鼻を高くしている人がいますけれども、「はあー」と思いますね。
 
 
■ 日本慢性期医療協会への期待
 
 慢性期医療のお手伝いをさせていただくようになってから、自分の老いと共に、私なりに1日、1日を感謝しながら、少しでも世の中のお役に立つようにと生活させていただいております。

 日本慢性期医療協会は、平成20年でしょうか、武久先生が会長になられてから活性化してきて、非常に前向きにいろいろと社会のために活動するようになりました。私は会長さんに敬意を表しているんですけれども、ぜひ今後も続投していただいてですね、ますます慢性期医療の会が充実していくことを祈っています。

 会長先生が言われるように、「良質な慢性期医療がなければ日本の医療は成り立たない」という気概と、それから実績を挙げていかなければいけないということを、会員の1人として思っております。

 会長先生が「日本慢性期医療宣言」として、5つの項目を出しておられるわけですが、それを実現していくために、私も微力ながらお手伝いしていきたいと思っていますし、自分の病院も質的な向上をもっともっと図っていかなければいけないと反省しながらお勤めしております。

 ぜひ会長さんもこれからもお元気で、会が発展するようにリーダーシップを発揮していただき、これからの大切な慢性期医療が充実するように念願しています。

                           (取材・執筆=新井裕充)

 

【プロフィール】

 ○ 履歴
   1927年 山梨県甲府市で誕生、山梨師範学校付属小学校、
         県立甲府中学校(現 甲府一校)を卒業
   1950年 千葉医科大学医学専門部卒業後、同大学付属病院でインターン終了、
         第10回医師国家試験合格
   1951年  山梨医学研究所付属病院小児科勤務
   1962年  山梨県立中央病院医長(小児科、検査科)、副院長を経て
   1988年    同 病院長に就任
   1993年    同 病院長を定年退職、同病院顧問(現在)
        山梨県赤十字血液センター所長に就任
   1998年    同 血液センター所長を定年退職
        整肢更生会「ふじ苑」、都留市老人保健施設「つる」施設長
   2000年  同施設長を退職
        医療法人恵信会理事長、恵信甲府病院名誉院長に就任
   現  在

        (勲3等瑞宝章、県政功績者表彰、厚生大臣表彰2回)

 ○ 主な資格

    医師、医学博士、病理解剖医、労働衛生コンサルタント
    小児科専門医、臨床検査専門医、臨床遺伝認定医師カウンセラー

 ○ 現在の主な公職

   日本慢性期医療協会理事  NPO法人山梨ホスピス協会理事長
   日本臨床死生学会理事  山梨県予防接種対策協議会委員
   日本赤十字社山梨県有功会監事  甲府看護専門学校講師
   日本臨床検査医学会功績会員  山梨県臓器移植財団理事
   日本死の臨床研究会関東甲信越支部役員
   日本小児保健協会山梨県支部顧問
   山梨県医学会理事
 

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