「多死社会を支える意思決定支援 ~現状と課題~」── 第26回学会シンポ4

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03_鹿児島学会シンポジウム4

 平成30年10月11日に開かれた第26回日本慢性期医療学会のシンポジウム4は、「多死社会を支える意思決定支援 ~現状と課題~」をテーマに、リビングウイル、アドバンスディレクティブ、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)について深く考察する内容となった。シンポジストに、木澤義之氏(神戸大学医学部附属病院緩和支持治療科特命教授)らを招き、座長を日本慢性期医療協会の中川翼副会長らが務めた。

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 【座 長】
  中川 翼 (日本慢性期医療協会 副会長)
  田中圭一 (有吉病院 理事長)

 【シンポジスト】
  中川 翼 (日本慢性期医療協会 副会長)
  木澤義之 (神戸大学医学部附属病院 緩和支持治療科 特命教授)
  長尾和宏 (長尾クリニック 院長)
  桑名 斉 (信愛病院 理事長)

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 最初に、中川座長がイントロダクションとして、これまでの取り組みを紹介。試行錯誤を繰り返しながら終末期の意思決定支援を進めてきた20年間を振り返った。

 続いて、ACPをめぐる諸問題に詳しい木澤氏が海外の研究報告などを踏まえて、意思決定支援の現状や課題などを伝えた。日本尊厳死協会の副理事も務める在宅医の長尾和宏氏(長尾クリニック院長)はリビングウイルの有用性を説明。桑名斉氏(信愛病院理事長)は、患者・家族との信頼関係の構築の重要性を語った。

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終末期の意思決定支援、1つの形になりつつある

 
[田中圭一座長(有吉病院理事長)]
 終末期の意思決定支援は、今まで何となく各病院で取り組んできた感があるが、最近は国が旗振り役として先導しつつ、1つの形になりつつある。意思決定支援の方法については、ある種の指標ができつつある。そこで本シンポジウムでは、意思決定支援の流れや今後の展開などについて、現状や課題などをご討論いただきたいと考えている。

 最初に、本シンポジウムのイントロダクションとして、中川座長から「これまで歩んできた道」と題してご講演いただく。定山渓病院は身体抑制の廃止にも積極的に取り組まれている病院であり、終末期の意思決定支援についても尊厳を大事にした取り組みを進められてきた。

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意思決定支援に課題、悶々とした時期を送った

 
[中川翼座長(日慢協副会長、定山渓病院名誉院長)]
 2001(平成13)年ごろの意思決定支援の実状を振り返りながら、2004(平成16)年以降の私どもの実践を紹介し、その上で最近の話題に触れたい。

 まず、2001年ごろの意思決定支援の実状については、第一に「リビングウイル(尊厳死の宣言書)」があげられる。日本尊厳死協会は1976年の設立以来、リビングウイルの登録、証明、保管を行い、尊厳死思想の啓発や普及運動を展開している。元気な時に意思表示をして、それを登録、保管する。

 同協会は2005年6月、約14万人の署名を添え、尊厳死法制化を求めて国会に請願した。その結果、尊厳死法制化を考える議員連盟が発足した。当時、愛知県碧南市の小林記念病院の小林明子先生が取り入れた方法がある。「入院時の事前指示書」である。

 これは、入院時に終末期の治療(緩和治療、限定医療、外科的治療、集中治療)、栄養補給の形(基本栄養、補足栄養、経静脈栄養、経管栄養)、心停止時の処置(心肺蘇生施行、未施行)を書面に記入してもらうもので、とても素晴らしい方法ではあると思った。ただし、これを実践するためには本人やご家族と病院側との深い信頼関係が必要ではないかと思った。また、入院時では少し重過ぎる内容かなと思った次第である。皆さんは、どのように考えるだろうか。

 一方、私は当時、高齢者に「終末期意思表示カード」を携帯していただくことを提案した。具体的には、①終末期には、次の医療を希望する。緩和医療、延命医療、その他。該当するものを一つ○で囲む。②終末期に次の医療を希望しない。経管栄養、中心静脈栄養、人工呼吸器装着、心肺蘇生、その他。該当するものをすべて○で囲む。③署名年月日を記入する──等々で、このカードを健康な時に記入していただき、医療受給者証や介護保険被保険者証などと一緒に携帯する。

 しかし、このカードの責任をどの組織、団体が担うのかという問題があった。また、このカードが法的にどのような意味を持つのかという課題もあった。それらを全く解決できないまま、その後の数年は悶々とした時期を送った。

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ACPがにわかに導入された理由を知りたい

 2004年、終末期の意思を確認する用紙の使用を始めた。そのきっかけは、ご家族の強い意向である。同年9月、当院の病棟祭で、患者さんのご家族である50代の女性が私にこう尋ねた。「この病院に入院している患者の家族として、これ以上延命を望まない場合、それを用紙に記入しておくことはできないのだろうか」。

 このような用紙のことをそれまで考えなかったわけではないが、一歩踏み出せない状態であった。ご家族からの申し出である。直ちに看護部長と相談して簡便な用紙を作成した。先述した小林先生の用紙と類似しているが、記入の依頼時期は「入院後、適時」とした。

 最初に患者さんの氏名や生年月日、記入日などを記載していただき、希望しない項目の番号を○で囲んでいただく。この用紙には、「私・家族は今後、病態が悪化し、回復の見込みがないと判断されたり、食事がとれない状況などになった場合、出来るだけ安らかな終末期を望みます。終末期になった時は、私・家族は次の治療は望みません」との一文が記載されている。

 「希望しない項目」としてあげたのは、1.経管栄養(胃ろう)、2.中心静脈栄養(高カロリー輸液)、3.人工呼吸器装着、4.心肺蘇生、5.点滴、6.輸血、7.酸素、8.その他──である。

 その後、2009年に用紙を見直した。「新・意思確認用紙」は、これまでのA4版からA3版に変更し、旧用紙にはなかった前文を入れた。また、ご記入は自由であることや、変更はいつでも可能であること、ご記入・ご提出は決して強制的ではないことを記した。「希望する」「希望しない」のほかに「病院に一任」も入れた。これは、ある看護師長の強い希望であった。ご家族署名は何名でも可能とした。

 新用紙にした2009年から18年までの9年間で390人(月3.62人)の記入があった。旧用紙を通算すると、計13年6カ月間で496人(月3.06人)が記入している。このように終末期の意思を用紙に記入する方法は、日慢協の会員病院にもかなり浸透していると認識している。

 最近の話題について述べる。厚生労働省は2007(平成19)年、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を策定した。厚労省は2018年にこれを改訂し、名称を「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」とした。このガイドラインでは、近年、諸外国で普及しつつあるACP(アドバンス・ケア・プランニング)の概念を盛り込んでいる。

 ACPは本シンポジウムの中心的な話題になるかと思う。私どもはACPの歴史や、ACPがにわかに導入されるようになった理由などを知りたい。ACPの概念や特徴、啓蒙・普及の方法、意思表示用紙への記入との関係など、これは木澤義之先生のご講演に期待したい。

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1つのモデルケースとして日本を見ている

[田中圭一座長(有吉病院理事長)]
 木澤先生は非常にご著名で、ACPという言葉ができてからは、もはや時の人。「ACPといえば木澤先生」と言われるほど、現在のACPの有用性や必要性を訴えられて啓蒙活動に取り組んでおられる。厚生労働省の委託事業「人生の最終段階における医療体制整備事業」のプロジェクトリーダーを務められている。

[木澤義之氏(神戸大学医学部附属病院緩和支持治療科特命教授)]
 なぜ、ACPがこんなに注目を浴びたのか。実は私もかなりびっくりして見ている。別に私が宣伝したわけではない。実際、世界中が今そんな状況である。私は緩和ケアを専門にしているのだが、例えば緩和ケアの学会に行くと、3分の1ぐらいの演題はACPに関する内容。欧米のトップジャーナルにACP関連の記事が載らない月はない。それは、本当にこの10年の大きな出来事である。しかも、それは加速度的に盛り上がりを見せて、ここ数年はACPに関する論文を見ない月はないという状況になりつつある。

 なぜ世界がこんな状況になったのか。私は、本学会のテーマにもある「多死社会」ということが一番大きな要因であろうと見ている。特に日本は今、急速に高齢化が進んでいる。「未曽有の高齢化」とも言われる。しかし、実は韓国や香港は私たちの国を上回るスピードでこれから高齢化が進む。彼らは、超高齢社会を乗り切るための1つのモデルケースとして日本を見ているということを私たちは忘れてはならないと理解している。

 ACPは、政府の「骨太方針2018」にも盛り込まれた。このように書かれている。

 「人生の節目で、人生の最終段階における医療・ケアの在り方等について本人・家族・医療者等が十分話し合うプロセスを全国展開するため、関係団体を巻き込んだ取り組みや周知を行うとともに、本人の意思を関係者が随時確認できる仕組みの構築を推進する。また、住み慣れた場所での在宅看取りの先進・優良事例を分析し、その横展開を図る」

 すごいことを書いてあるなと私は思った。話し合いをするだけではなくて、「本人の意思を関係者が随時確認できる仕組み」をつくるぞと書いている。ここに書いたからには、何らかの形で行政は進めると思う。これをどういう形で進めるかということが、われわれにとって大きな課題になるだろうと認識している。

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事前指示書の調査結果は「ネガティブ・スタディ」

 アメリカでは1990年に「患者の自己決定権法」が成立し、翌年に施行された。アメリカはインフォームドコンセントの原則が行き渡っている国なので、患者の自己決定を第一にしようという内容には皆さんもうなずくと思うが、もう1つある。患者の意識が低下するかもしれないので、前もって意思を決めて文書にしておいたことも、ご本人の意向として扱うという法律である。

 この法律によって、アメリカでは何が起こったか。先ほど小林先生のお話が出たが、まさにそのような法制化がなされた。入院時に、すべての患者さんに「書いてください」と書類が手渡された。入院中に調子が悪くなったときに、どんな治療やケアを望むかを文書にして、サインをしなければいけないということが起こった。
 私はちょうど医学部学生の時に、留学の機会があって海外に行っていたのだが、その時は病院でその係をしていた。患者さんが入院するたびに、その書類に署名していただく。これをソーシャルワーカーと一緒にやっていた。そんなことが起こっていた。

 調査によると、終末期において約7割の患者さんが意思決定できない。インフォームド・コンセントができない。ご本人が意向を表明できないのだから、「事前指示書」を入院時にあらかじめ取っておこうという動きがまずアメリカで大規模に始まった。

 そして、次に行われたのはサポート研究。アメリカ政府は真面目に考える国なので、イギリスや日本もそうだが、施策で行ったことは検証しようとする。入院時に事前指示書を書いてもらうことが本当に有効かを検証するための研究が行われた。もし、ご興味がある方は「The support study」と入れて、「PubMed」で検索すると、30本ぐらいの論文が出てくる。これを全部読んでいただくと、この研究がいかにお金をかけて行われて、何を知りたかったかが分かる。アドバンスディレクティブ、リビングウイルがどんな効果を生んだかを知ることができる。

 このサポート研究は「ランダム化比較試験」という方法を使っているのでエビデンスの質が比較的高い研究であるが、結果はネガティブ・スタディだった。つまり、アドバンスディレクティブの介入を入院時にしても終末期医療の質が変わらなかった。ICUの利用率は変わらず、DNR取得から死亡までの日数、疼痛、アドバンスディレクティブの遵守、医療コスト、患者・家族満足度など一切、差がなかった。アドバンスディレクティブは終末期医療の質を改善しないという結果で、アドバンスディレクティブをただ取得しても患者アウトカムは変わらないことが示唆された。

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アドバンスディレクティブからACPへ

 私は学生時代から医療倫理を勉強していて、緩和ケアをやろうと思っていた。そのため、この研究を注目して見ていたが、結果を知った時は正直、ショックだった。当時、私はいかにアドバンスディレクティブやリビングウイルを日本に広げられるかを考えていたのだが、この研究結果が出て、本当にしばらくは何も考えられなくなった。今まで信じられてきたアドバンスディレクティブ、これを第一に考えようということが見事に崩された。

 その後、1995年から5~6年間にわたってサポート研究のエビデンスが発信され続けた。なぜアドバンスディレクティブがうまくいかなかったか、ではどうしたらいいのかということが連続してシリーズのように、ずっと研究エビデンスとして出続けた。私はそれをずっとフォローして読んでいた。

 私はそのころ、緩和ケア病棟を開設して自分で運営し始めており、入院時にアドバンスディレクティブを全員に取ろうと思って書類を作っていたが、全部捨てた。もう一度、これは考え直さなければいけないと思った。アメリカ政府は数億円のお金をかけてこの研究をして、9,000人の患者さんが参加されたという事実を見ると、このエビデンスを全く利用せずに「ここは日本だから関係ない」と言って日本で実施することは、私にはできなかった。

 なぜ、アドバンスディレクティブが有効でなかったのか。アドバンスディレクティブもリビングウイルも素晴らしいものであって、患者さんの意向を尊重するための重要なものだと思うが、この研究で示されたアドバンスディレクティブの最大の問題は何かというと、家族である。代理決定者がアドバンスディレクティブの作成に関与していなかった。

 患者さんが本当に具合が悪くなったとき、最終的に誰が決めると皆さんは思うだろうか。日本においては、おそらくご家族が決められることが多い。それは米国でも変わらない。この研究によると、代理決定者であるご家族の多くは、患者さんが事前指示書を書いたという事実を知らなかったのである。さらに、なぜ患者さん自身がこういう決断をしたのか、家族にはその理由が全く分からなかったという。

 では、どうしたらいいのか。数年間にわたって議論された。そこで出てきたのが「アドバンス・ケア・プランニング」という言葉。患者さんご本人とご家族である代理決定者、そして医療従事者が、ご本人がどんな価値観を持っていて、どんなことをこれからの生活や療養の場で大切にするのか。そして、してほしくないことは何なのか。そして、その理由。なぜしてほしくないのか。なぜしたいのかを話し合っておくことこそが一番重要なんだという考えに至った。2000年代初頭のことである。

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ACPには問題点があることも知られている

 ACPについて、ランダム化比較試験の結果がある。ACPを実践して実際に書類を残すと患者の意向が尊重されたケアが実践されて患者、家族の満足度が上がり、遺族の不安や抑うつが減る。紙を書くだけの介入から、紙を書いてその結果を残すという介入に変えたら、アドバンスディレクティブの研究結果とは違って患者、家族の満足度が上がり、かつ遺族の不安や抑うつが減る。

 アドバンスディレクティブがうまくいかず、次の一手をどうしたらいいかと探しあぐねていた医学界は、こうしたカレン・デタリングさんたちの研究発表を驚きをもって迎えた。ACPが世界中の学会で扱われるきっかけを彼女たちがつくった。

 この研究が発表されたのは2009年のオーストラリア学会。緩和ケア関係の学会だったので私はたまたま発表現場に居合わせて聴講していた。この人たちに直接会った。著者は呼吸器内科医だが、研究を統括していたのは何と集中治療医。なぜ、この研究をしようと思ったかというと、望まない集中治療を受けている患者さんがたくさんいて、意識のないまま集中治療部にいたり、そのまま転院していかれたり、ご家族が非常に悲しんでいるのを見て、自分は何かできないかを考えたのが、この研究を行う原動力になったと聞いた。

 ただ、ACPには問題点があることも知られている。一番大きな問題点は、悪いことを考えたくないという気持ちが患者さんの中にあること。自分が亡くなることを前提に話さなければいけないというのは場合によって、とってもつらいことになる。例えば、がんと診断されて治ろうと思って頑張っている人に対し、「もし調子が悪くなったらどうしましょう」なんて聞くのは、かなりとんでもないことになるかもしれない。

 私は、膵がん教室で市民啓発のプログラムをつくっているのだが、そのパイロットをやるために膵がん教室の患者さんの前でACPについて話すと、総すかんである。「そんなことは聞きたくない」「そういうプログラムは一切やめてくれ」と言われる。

 場合によっては患者さんにつらい体験をさせることがあるということを私たちは考えなければいけない。これがACPの一番大きな問題点だと思っている。つまり、患者、家族の害になる可能性がある。従って、すべての患者さんにACPをやろうと思っては駄目だというのが大原則になる。

 ランダムに患者さんに介入してACPをしようとした研究がある。それによると、100人のうち35人が介入を承諾した。つまり65%は拒否した。ACPについて、「そんなに良いのなら、65歳になったらすべての患者さんにやったらいいじゃないか」と言う人がいるが、それは乱暴な議論である。

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ACPは、自分という存在を伝える機会

 患者さんはどんな時にACPを望むのか。簡単に言うと、「ちょっとまずいかな」と思うような時期である。それは病状の悪化や大きな身体機能の低下があった時。例えば、がんの患者さんだったら治療の変更時。再発してレジメンが変わるというような時が1つの時期になる。つまり、自分がちょっとまずいなと思った時に、ちゃんと手が差し伸べられるというのがベストの状態であると言われている。

 理想としては、複数に分けて適切な時期に適切な話題が提供されること。患者さんは医療従事者とACPをすることを望んでいる。私の母は3週間前に亡くなったのだが、ケアマネさんと話す時間が一番好きだった。ケアマネさんに一番自分の気持ちを言えていたと思う。これは人によって違うと思うが、少なくともきっかけは医療従事者、できれば医師がしたほうがいいと思う。病状について今後の経過を話すことができるのは医師だけなので、まずは医師にしていただかないと今後の話し合いの口火が切れない。

 そして、ACPによって作成した書類は、絶対的なものではないということを私たちはしっかり考えておかなければいけない。これは、先述したアドバンスディレクティブに関する研究で示された患者さんの声にも表れている。すなわち、「自分の意向は病状によって変化し得るので、必ずしも尊重されなくてもよい。家族や医師が事前意思に従うかどうかを決めてもいい。信頼する医者なら任せてもいいと思う」という声である。

 つまりどういうことかというと、患者さんはACPの話し合いをすることを単に「自分の気持ちを書いて残しておくこと」とは思っていないのである。患者さんは、自分の愛する、そして信頼する大切な人に、自分がどんな人かを知ってもらう機会として捉えている。自分が何を大切にしていて、心理的、社会的、情緒的にどんなことを考えていて、どんな人間なのかを伝えておく機会として捉えている。

 一方、医療従事者は話し合いの結果というものを絶対的なものとして扱ってしまう。ここに大きな差がある。従って、患者さんに書いていただいた書類をどう扱うか、医師や家族にどれぐらいの裁量の幅を与えてくれるかを前もって話しておくことが重要だと思っている。

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人生の最終段階、「本人の思いと真逆になる」

[長尾和宏氏(長尾クリニック院長)]
 木澤先生の素晴らしいお話のあと、尼崎の開業医の立場からまた違った角度でお話しをさせていただく。日本尊厳死協会は11万人の市民、国民の思いをつなげたいということで活動しており、私はその副理事長を拝命しているので、そうした立場からも見解を述べたい。

 私自身は在宅医療で、これまで1,100人ぐらいの患者さんをご自宅でお看取りした。在宅で死ぬということは平穏死、尊厳死ということになるだろう。管1本もない自然死。がんの患者さんは半分ぐらい。がん以外の老衰などが半分ぐらいである。リビングウイルを持っていた人は1,000人のうち10人ぐらいで、0.1%ぐらい。認知症や老衰は療養期間が長くなるので看取り率は3割、4割に減る。施設や病院にお世話になって、そこで最期を迎えることが多い。

 先ほど木澤先生から、事前指示書はあまり意味がないというお話があった。ただ、こういうことを書くことに賛否を問うた最近の調査では、いいんじゃないかという意見が多いかと思う。しかし、実際に作成している人は少ない。やはり自分のこととして死を考えるのは、専門職であればあるほど苦手なのかなと思う。

 本人の思いと結果が逆になるということもある。例えば、がんの末期で自宅で安楽死したいと思っていたが、昏睡状態になって家族が救急搬送。3カ月間、集中治療室で気管内挿管されて亡くなった。理想と現実。本人の思いと真逆になるのが一般的だと思う。ここをどう考えるか。

 先ほどお話があったが改めて言うと、日本の特徴は家族の意思が強い。人生の最終段階の医療を誰が決定しているかについて日慢協が中心になって調査したことがある。本人が決めているのは1%か2%程度で、3分の2は家族、3分の1はお医者さんが決めている。その是非はさておき、これが日本の実態である。

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リビングウイルは、物語の始まり

 日本尊厳死協会は、リビングウイルの普及や啓発をする団体である。遺族に対するアンケートでは、93%ぐらいの家族が満足している。あの世に行った本人には調査のしようがないが、少なくとも家族はそう言っている。リビングウイルに法的な担保はないが、そういう結果が出ている。

 リビングウイルの法制化については、国会でも議論された。現在、ゼロベースから見直すと自民党のプロジェクトチームが言っており、リビングウイルという言葉はもう死語になりつつあるかもしれない。

 しかし、私が申し上げたいのは、リビングウイルというのは、それだけで全部が解決するものではないけれど、まずは物語の始まりではないかということ。恋愛にたとえると、最初はラブレターから始まるのではないかと思っている。ラブレターを書くのがリビングウイルみたいなものだと思っている。

 日本は自分がない国である。家族代理である。大阪弁では、相手を指して「自分な」と言う。怒った時には、「おのれな」と言う。こんな国は日本だけ。一人称と二人称が融合している言語を持っている。だから、こういう国で「本人の意思」と言うと、「本人って何なの?」「意思って何なの?」ということになる。

 その代わり、日本には「和」という文化がある。聖徳太子の時代から、みんなで話し合っていく。それから、「あうんの呼吸」もある。こうした文化もあるので、やっぱり話し合い、プロセスが大事で、本人の意思がそこで醸成されるものではないかと思う。

 今後、ACPがぜひ市民権を得ていただいて、上手にACPを進めていけば、その最初の意思表示となるリビングウイルを書きたいという人も現実にはいるだろうと思う。そうした人たちの思いを上手に忖度してあげてほしい。

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ACPという言葉が出る前から実施している

[桑名斉氏(信愛病院理事長)]
 2018年6月まで日慢協・終末期医療委員会の委員長を務めており、終末期に関するアンケート調査を実施した。リビングウイルの記入について質問したところ、医療療養病床では約4割、介護療養病床は約6割という結果であった。医療療養病床には非常に重症な患者さんが入っており、入院期間が長くないので書いていただく時間がないのかもしれない。

 ACPについては「あまり知らない」「全く知らない」という回答が4分の1だった。ACPばやりの昨今、これじゃまずいかなという気がする。では、だいたい知っている人についてACPを今後どう進めるかを尋ねたところ、半分の病院では、やっぱり進めなければいけないという回答だった。しかし、終末期に関する厚労省のガイドラインは多くの病院が参考にしているという結果だった。

 すなわち、ターミナルケア・カンファレンスやデス・カンファレンスはやっているが、まだそんなに多くはない。でも何らかのガイドラインを参考にしているという、少し矛盾があるような結果が出た。

 ただ、当協会の会員病院では、ACPという言葉が出る前から、患者さんやご家族ときちんと話し合いをするような取り組みを行ってきていると思われる。当協会では以前から「老人の専門医療を考える会」のセミナーや、日慢協の機関誌「JMC」などでACPのような取り組みを伝えてきているので、会員病院においてACPはすでに行われていることがよく分かる。

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1対1の対話では決してうまくいかない

 当院でも、生前の意思確認と情報共有は以前から進めている。しかし、リビングウィルやアドバンスディレクティブがあれば十分かと言えば、そうではない。患者さん本人や家族の考えは変わる。それから迷う。どこかに必ず迷いが残る。遠くの親戚があとから来て、話がめちゃくちゃになってしまうこともある。

 ACPの基本は、臨床倫理に基づく人間の尊厳を守ることにある。少し耳になじみのないかもしれないが、「臨床倫理4原則」がある。皆さん、必ずどこかで教わっているはずだが、忘れてしまう。

 1番は自立尊重原則。2番は善行の原則。3番は無危害の原則。4番は公正の原則。これが一般的な臨床倫理で言われている。私たちが尊厳を考える時に、心してチェックしなければいけない。

 そのためには患者さん、家族、知人、友人、それから私たち多職種による話し合いが大切である。医者だけが患者さんと直接、あるいは家族と直接、1対1の対話では決してうまくいかない。

 結論を出すことも大切だが、プロセス、話し合いがやはり大切。そのためにはコミュニケーションが必要で、信頼関係ができていない患者さんや家族と終末期の話し合いをしようとしたら必ず壁ができてしまう。従って、話し合いやコミュニケーションが非常に重要である。

 そして、話し合いがうまくいったならば記録を残しておく。1対1で話をして記録がないと、「A先生はああ言っていたけれど、当直のB先生が来たら心臓マッサージをしちゃって、どうのこうの」なんていう話はよくあると思う。だから記録を残すということも非常に大事である。

 いろいろな人生がある。一人ひとりの個性は違う。ご家族にも入ってもらって、スタッフ全員と話をする。私は認知症の病棟を担当しているので、すごく必要だと思っている。もともと緩和ケア病棟には、非常に勉強しているスタッフが多いのでポンポンポンと進むのだが、認知症の病棟ではなかなか進みにくい。これから積極的に進めていこうと考えている。

                          (取材・執筆=新井裕充) 

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