【第33回】 慢性期医療リレーインタビュー 仲井培雄氏

インタビュー 役員メッセージ

仲井培雄先生(芳珠記念病院理事長)

 石川県能美市にある芳珠記念病院を運営する医療法人社団 和楽仁のほか、社会福祉法人や株式会社などを持つ「ほうじゅグループ」の代表、仲井培雄先生は自治医科大学を卒業後、身一つで山奥の診療所や離島で勤務した経験を持ちます。現在は新事業の展開や病院改革などにも取り組み、地元の北陸先端科学技術大学院大学などと連携しながら、病院MOT改革「医療と経営の質を絶えず向上させて、顧客の不安を安心に、さらには感動に変えられる病院になる」の実践を目指しています。仲井先生は日本の医療をどのように見ているのか、これからどうすべきか、お話を伺いました。
 

■ 医師を目指した動機
 

 私が医者になった動機は、ほかの先生方のような素晴らしいものではありません。私はメカ好き少年でしたので、本田技研工業に入ってエンジニアになりたいと思っていました。本田宗一郎さんのアイデアでいろんな物が世に出て、いつもワクワクして、F1で優勝した時は本当に感動しました。

 しかし、私は「医者になれ」というプレッシャーの中で育ちました。祖父が眼科医、父が外科医です。祖父は昭和2年に開業し、父は昭和37年にその隣に開業しました。この時、私は2歳。そういう環境で生まれましたので、生まれた時から周りの人たちから期待をかけられていました。祖父は実直な医者で、父は非常にカリスマ性のある医者でした。高校生の時、父から「ちょっと離れた山の中に病院を建てるぞ!」と、いきなり言われました。その時、「自分に継げということだな」と悟り、「医者になるしかないな」と腹を決めた次第です。

 ただ、そういうネガティブな要因ばかりではもちろんありません。医者という職業自体は非常に魅力的でした。高校時代は理系が得意で、数学や化学、物理、生物が好きでしたので、医学という分野は自分の好きな科目を生かせるだろうと思いました。

 一方、あまり得意ではなかったのは、社会と国語です。その時は、「医学の世界だったら国語や社会が苦手でもあまり問題ないだろう」と甘く見ておりましたが、医学部に入ると、実は理系の科目というのはあくまでも手段であって、文系の力がとても大事であることに気づきました。文化を学び、哲学を学び、それからコミュニケーション能力を磨く。「病気を治す」という意味では、自然科学系の能力が大事ですが、「病人を治す」には、人文科学系の力がないとたいへんです。その重要性を医学部に入学してから漸く悟ったわけです。

 私は自治医大を出てから、へき地に行きました。山奥の診療所とか、離島ですね。医者は私1人だけで、看護師も事務員も誰もいない、そんな所に身一つで行きました。大変でしたが、楽しく過ごし、地域住民と社会保障の接点を肌で感じることが出来ました。その後、金沢大学の第二外科の医局に入り、そこで消化器外科医をやりました。オーストラリアに留学してから、日本の医療と海外の医療を比較したり、ベンチマーキングしたりすることに目が向くようになりました。最近は、日本の医療制度のことや、日本という国がこれからどうなるのかということにすごく関心を持っています。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 「慢性期」の定義は難しいですね。例えば、がんの患者さんは化学療法や分子生物学的製剤の進化によってすごく長生きするようになりましたので、がんも「慢性期」であると言えます。そう考えますと、「慢性期」の状態にある患者さんは非常にたくさんいます。いわゆる高度急性期病院の外来には、「慢性期」の患者さんがあふれていると思います。
 
 これまで自分は「急性期」と「慢性期」の両方を経験しました。「急性期医療」と言われる医療の中にも、細かく分けていくと「慢性期」の部分がいっぱい転がっているんですよね。緩和ケアもそうでしょう。一部の化学療法だって、私は慢性期医療だと思います。手術後の集学的治療などで、ある程度落ち着いてきた人に対して、「この化学療法を外来であと1-2クールしましょう」って言うときは、継続した医療を外来で受けるから「慢性期」だと思います。今まで「急性期」だと思われた入院患者さんが、医学や医療の発達によって、次々に「慢性期」の外来に移行しています。心筋梗塞で通院している患者さんが心不全予防の薬を飲んでいるだけだったら、ステントが入っていても、それは「慢性期」ではないでしょうか。
 
 そう考えますと、本当の意味で「急性期」というのは、重い症状を患って受診して治療する外来と、「急性期」の病棟にいるわずかの期間ではないかと思ったりするんです。ある程度落ち着いている老年症候群の患者さんを病棟や在宅で診ることだけが「慢性期」ではなく、もっと裾野の広い分野ではないかと、改めて感じています。
 
 生産年齢人口の通院できる患者さん、あるいは武久会長が以前から指摘されている「障害児者のレスパイトケア」、それから、がんの緩和ケア、これらは高齢者には限りません。従って、慢性期医療がすなわち高齢者医療、あるいは老年症候群を扱う医療であると考えるべきではないと思います。

 今後5~10年の間に、医療の進歩と経営の効率化によって、高度急性期病院が非常に短い期間を扱う医療として切り離されていくでしょう。その後を担う大半の医療は、外来も病棟も含めて「慢性期」の医療であって、高度急性期とは全く別のものになっていく。そこで、今から急性期医療と慢性期医療との連携を深めれば、高度急性期病院のやることはグッと少なくなって、効率よくお金を投入すれば医療財政はさほど困窮しなくなるかもしれません。ですから、将来はメリハリがはっきりと付いてくるんだろうと思います。

 その時に重要なことは、武久会長がいつもおっしゃっている「質の高い慢性期医療」です。「良質な慢性期医療がなければ、日本の医療は成り立たない」との一言に尽きると思います。「慢性期医療とは何か」ということを突き詰めて考えると、実はごく身近にある疾患の大半、患者さんの多くが慢性期医療の範囲に入ってくると思います。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 当院は、1999年に療養病棟を増築してケアミックス病院になりました。現在、病棟の構成は一般病床が200と療養病床が120です。私はうちの病院に戻ってくる前までは、急性期病院で外科医をしていました。当院でも急性期医療を中心に関わり、手術をやってきたわけですが、平均在院日数が徐々に減っていきました。そのため、急性期の病棟が空くようになり、2005年にダウンサイジングしたのです。264床の一般病床と60床の療養病床でしたが、それを200と120に変えました。その時に初めて、「慢性期医療というものを一生懸命にやらなければいけない」と意識しました。

 自院では、急性期医療と同じく慢性期医療が求められていることが分かり、「では、これからどうしたらいいのか?」と考えるようになりました。能美市は人口がわずか5万人弱で、当院が地域の急性期医療を担っています。しかし、バリバリの救急病院でもありません。AMIの心カテなどはやっていますが数は少ないし、SAHの手術を行える状況ではありません。ですから、ますます進む医療の高度化に伴って、当院のような「2~2.5次救急」のケアミックス総合病院にはできない医療がどんどん増えていきます。今後もこの傾向は加速するでしょう。そうすると、高度急性期はどんどん拠点化していくと思います。恐らく、当地のような25万人ぐらいの2次医療圏であれば、そこに1つの高度急性期病院があれば十分なのではないでしょうか。

 そこで、これからの5年間、自分たちの病院の方向性は、先ほどお話ししたように、高度急性期との連携を緊密にして、その後方を担う慢性期医療と専門性を打ち出した急性期医療を充実させていく必要があると思います。今までは急性期医療が中心でしたが、これからは慢性期医療がベースになって、急性期も含めた地域医療を支えていくのだろうということを肌で感じています。高度急性期の病院は生命の危機を救うことが主たる役割で、平均在院日数も諸外国同様4-5日になり、それ以外の医療の多くは慢性期病院が受ける。患者さんがソフトランディングできるような医療や介護が求められていると思います。

 その背景には、医学の勝利があります。人は誰しも「死にたくない」「長生きしたい」「人生を謳歌したい」という思いがありますから、そのニーズに応えるように医学が発展してきて、平均寿命がかなり伸びて、お年寄りも増えた。介護の質も上がっている。その一方で、社会保障費が増えて国の財政を圧迫している状況になっていますが、結局、これは人々がそうありたいと願ったからそうなったのであって、慢性期医療はこれからさらに必要だと思います。

 近年、医療費を抑えるために医療の効率化や適正化ということが言われます。このままだと医療費が足りなくなると言う。しかし、私は本当に厚労省が予測するようにそんなに医療費が増えるのだろうか、と疑問に思っています。私の地域だけの傾向かもしれませんが、お年寄りが非常に元気です。これからは、あまり入院しなくなるのではないかと思うぐらいに元気です。もちろん、地域によって全く違うと思います。東京などの大都市のように、これからお年寄りが爆発的に増える所では、住まいを集約化したりサービスを効率化したりしないと対応できなくなるかもしれませんが、こと自分たちの地域に関して言えば、高齢患者さん一人ひとりの医療や介護の必要な期間と密度が、現状より少なくなるような時代が来る予感がしています。

 具体的には、団塊の世代が75歳を迎える2025年に患者さんが急増して社会保障制度が維持できなくなるというのは、杞憂にすぎないのではないでしょうか? これは全くの予想、予感です。お年寄りが元気になっているというデータはいくつかありますが、私たちの地域では、感覚として皆さんものすごい勢いで運動しています(笑い)。長い距離を歩いている人、早朝から畑仕事をしている人、パークゴルフに励む人。一方で、死生観の変化もあります。胃瘻を着けずに静かに枯れるように亡くなることを望む方も増えています。孫達のために社会保障費を減らそうと思っているお年寄りも知り合いの中にいます。「ピンピンコロリ」が今後は増え、暦年齢と身体年齢の差が今以上に顕著になり、患者さんは同時期に大幅には増えないかもしれません。医療が高度化していますので、それぞれの最期まで元気で長生きです。

 そこで、突き詰めて考えていくと、実はクリティカルな問題にたどり着くのです。これは言うべきかどうか悩ましいことなのですが・・・、みんなが元気で幸せに暮らして、ピンピンコロリに逝くことは望ましいのですが、慢性期入院医療を考えますと、自分が用無しになる怖さもあります。ここが非常に悩ましいところです。

 逆の発想もできます。自分はすごく良い急性期医療であると思ってやっていても、それが実はあまり良くない医療であったとすると、社会保障費ばかりが増えてしまい、国の財政を圧迫します。その辺りの考え方が、その国の文化によって全然違います。1999年に1年間留学したオーストラリアでは、公的医療機関と私立の医療機関が完全に分かれていて、医療保険は別です。公的医療機関は税金で州政府との契約、私立は個人の保険なので医者との契約です。州立は最低限の医療、私立は最高の医療を提供します。1つの敷地内に検査センターを共有して州立と私立の病院が建っているところもありました。
 
 2010年と11年に日仏医療マネジメント研究会で訪問したフランスは、介護保険がないので、「食べられなくなったら終わり」みたいなことがあるんですね。法律でも人工的栄養や水分の補給を止められることは明文化されています。一般外来のアクセスは悪く、緩いゲートキーパー制なので、かかりつけ医を通さないと病院の外来に行けない。でも、皆保険で生命に関わるような救急医療のアクセスは日本よりすごくいいんです。ほとんどの医者が国家公務員なので、医療制度などの決定スピードが速い。このように、国が違うと文化が違い、それをベースにして決められた制度と行われる医療が全く違うんですよね。

 各国の医療を比較したうえで日本の医療を見つめてみると、これからは医療費が増えないようにしつつ、良い医療を提供することが求められています。患者さんにとって必要で良質な医療を提供すればするほど医療費が増えていくし、自分たちがやればやるほど国の財政を圧迫してしまうでは、「医療費が増えることは悪いことである。医者はいけないことをやっている」ということになるのでしょうか? 一方で、医療費を増やさないように、医療を提供しないようにすればするほど、患者さんは治らないし、自分たちは食っていけなくなる。そういう狭間でいつも考え込んでしまいますが、答えは出ません。そこのなんとも言えない、いやーな感じがずっとあるんです。でも、なんとか解決しないといけません。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 ほかの先生方もおっしゃっているように、若いうちから老年症候群の勉強をしておいたほうがいいと思います。これからは高齢者を診る機会が非常に多くなりますから。例えば、胃がんの手術をするとしましょう。そのときに、胃がん患者さんが何歳かが問題です。40歳、50歳ならば、ほとんどの場合は胃がんだけを治しておけばいいわけです。ところが70歳、80歳の患者さんの手術、最近はとても多いのですが、お年寄りの方が胃がんになって、手術が終わってから何をするかと言えば、老年症候群のケアが始まるわけです。リハビリであったり口腔ケアであったり。薬だって、若い人と同じ量を投与するわけにはいきません。

 また、退院後のことも考えなければいけません。次は転院か、施設か、在宅か、ソーシャルワーカーが相談に乗ります。ケアマネジャーも出てくる。ご自宅に戻るにしても、訪問看護師が付き添ってあげて、となるわけです。うまく在宅復帰ができても、大きな手術をしたわけですから、デイケアなどに行かなければならないケースもあるでしょう。このように、年齢によって、対応方法が全く変わります。従って、若手の人たちもそういうことを医学教育の中で学ぶ必要があると思います。卒業してしばらく経ってから、そういうことを学んでいてはもう遅いと思います。高齢者の手術が都会で急増すると思いますので、このことをお伝えしておきたいと思います。急性期の医者を目指すからと言って、老年症候群を全く勉強しなくていいとは決して思わないようにしてほしい。医学教育の中に老年症候群を入れてほしいし、もっと積極的に老年症候群を学ぶべきだと思います。

 若手に対する期待としては、できれば病院に勤務するジェネラリストを目指してほしいです。在宅医は、当然ジェネラリストでなければ患者さんを診ることができませんよね。私が強調したいのは、病院に勤務する医師たちが老年症候群を診るジェネラリストというスペシャリストであってほしいということです。例えば、「俺は消化器だから肺炎とか心不全のことはわからん」という医者ばかりだと、一人のお年寄りを診るためにたくさんの医者が必要になるわけです。診療効率は非常に悪くなりますね。ですから、これからの病院勤務医は、ジェネラリストとしてのベースを持っていて、そのうえで、サブ・スペシャリティとして、消化器や循環器などの専門領域を伸ばしてほしい。医学教育も臨床研修も、そういう医者を育てていくことを目指してほしいと思います。
 
 その逆のパターンもあると思います。若い頃は循環器一本でやってきたけれど、50歳になってちょっと疲れたし、老年症候群の勉強をしてみようか、ということでもいいと思うんですよ。とにかく、どこかの段階で老年症候群をしっかり学んだ人を増やして医療提供側の効率化を図らないと、これからはたいへんですね。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 日慢協では現在、多くの研修講座を開講しています。先ほどのお話にも関連するのですが、今後は後進の育成にも努めてほしいと思います。その点で、日慢協が主催している「慢性期医療認定講座」は非常に良いと私は思います。ほかにも、「在宅医療認定医講座」がありますし、若手医師やスタッフを対象に多彩な講座がありますよね。看護師や薬剤師、リハビリ療法士、管理栄養士、介護福祉士、ケアマネジャー等が参加できる講座も数多くあります。そういう場で、老年症候群のケアについてもしっかり学べるというのが、日慢協の良さだと思っています。これからも多くの医療者が日慢協の講座をどんどん活用し、勉強していけたらいいと思います。

 今後は、慢性期病院に限らず、高度急性期病院などのドクター向けの講座を開設して、慢性期医療の重要性をもっと発信してほしいと思います。さらに、大学などの教育機関に日慢協の先生方が出向いていって、慢性期医療や老年症候群のケアなどを教えたり、大学の授業をサポートしてあげたりすることは、とても大事なのではないかなと思います。

 そうした活動などを通じて、みんなが元気で幸せに暮らせる社会になればいいと思います。「ピンピンコロリの世の中」って言うんでしょうか。健康な人が増えて、社会保障費がなるべく掛からず、高齢でも社会参加できるような世の中。重大な進行がんになっても、「ちょっと入院してくるわ」って言って、1週間ぐらいで自宅に帰ってきて、ピンピンしている。最期は、スッと逝く。いろいろと言いましたけど、やっぱり理想はそんな世の中になればいいなと思っています。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
 
 1979.3  石川県立小松高等学校 卒業
 1985.3  自治医科大学医学部 卒業
 1985.4  石川県立中央病院 研修医
 1987.10  舳倉島診療所長
 1988.4  村立白峰村診療所長
 1989.4  金沢大学医学部第2外科学講座 入局
 1989.4  金沢大学附属病院 第2外科 以降1999.3まで石川・富山の病院を歴任
 1996.12  金沢大学医学部大学院 卒業 医学博士修得
 1999.4  医療法人社団 和楽仁 芳珠記念病院 外科部長
 1999.12  Royal Brisbane Hospital surgery Ⅱ Visiting Medical Officer
 2001.1  医療法人社団 和楽仁 副理事長
 2004.4  医療法人社団 和楽仁 理事長
 2004.12  日本消化器内視鏡学会専門医取得
 2006.3  いしかわMOT(技術経営)スクール修了
 2011.12  日本消化器病学会指導医取得
 2012.8  社会福祉法人 陽翠水(老健)理事長
 2012.8  株式会社グリーンケア芳珠(小規模多機能、訪看)取締役社長
 

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