【第10回】 慢性期医療リレーインタビュー 安藤高朗氏

インタビュー

安藤高朗先生(永生病院理事長)

 「パブの店長になりたかった」─。東京・八王子にある永生病院理事長の安藤高朗先生は、「もし医師になったら、カウンター越しにたくさんの患者様といろいろなお話ができたらいいと思いました」と振り返ります。「人と接する仕事をしたい」と考えて医師の道に進んだ安藤先生に、コミュニケーションの大切さや日本の医療が抱える問題などについて語っていただきました。

 
■ 医師を目指した動機
 

 将来の職業を考えたとき、「人と接する仕事がしたい」と思ったのが主な動機です。最初に思ったのは、パブの店長でした。中学生のころ、父親によく連れて行ってもらって以来、もちろんお酒は飲みませんでしたが(笑)、パブの店長という職業にとても憧れていました。カウンター越しにいろいろなお客さんのお話を聴いたり、お客さんの要望に合わせた料理や飲み物を出したり、多くの方々とコミュニケーションを取ったりして楽しそうだなと思いました。

 二番目になりたかったのは、学校の先生です。たくさんの生徒たちと接して、いろいろなことを話したり考えたりする職業です。ただ、いろいろな科目を勉強して教えてあげなければならないので、これは自分には大変なことだと思いました。でも、先生という職業はとてもやりがいのある楽しい仕事だなと思いました。

 三番目は、お医者さんでした。医師もたくさんの人と接することができるので、楽しい仕事だろうと思いました。医師になろうと決意したのは高校1年生のころです。その時、もし医師になったら、パブみたいにカウンターに患者様がたくさんいて、そこで患者様といろいろなお話ができたらいいなと思いました。患者様とコミュニケーションを取る中で、いろいろな病気の話をしたり、患者様の状態も分かったりします。

 パブの店長がお酒を出す時みたいに、「今日はいい点滴が入りましたよ! さあ、腕を出して!」と言ったりしてね。「点滴一本、差し替え!!」みたいな感じで(笑)。お寿司屋さんみたいな勢いがあったりして面白いかな、と思いました。お医者さんになったらそんなことをやりたいと真面目に考えていました。

 そのころ、ちょっと疑問に思っていたことがあります。なぜ、クリニックや病院は似たような建物の中にあるのだろうかと。僕は、子どものころからお祭りが大好きだったので、「やきそば」とか「たこ焼き」とか、お祭りの露店みたいな感じで「内科」とか「風邪」とか「腹痛」とか「腰痛」とか書いてね、直接そこで患者様を診ることができる「露店病院」があったらいいなと思いました。

 あと、これは本気で思ったんですが、屋台です。屋台を引きながら、おでん屋さんみたいにいすを並べてね、楽しいじゃないですか。そんなことをやりたいなと思いました。本気で思ったんですよ。あとで分かったことですが、法律的にだめみたいです。でも、緊急時にはそんなことは言ってられません。災害時などに屋台やキャンピングカーのような診療所で診察できればいいと思います。新しいDMAT「屋台マット」と命名するとかね(笑)。

 とにかくそんな感じで、「多くの人と接する職業」というのが根底にありました。ですから、ほかにも役者さんとかバンドマンにも憧れました。小学生のころはグループサウンズの後期でしたので、「絶対にバンドをやりたい!」と思っていました。

 でも、医師である母親は私を医師にしたかったんでしょう。母は東邦大医学部の出身です。中学受験の時、母から「駒場東邦という学校は映画のトウホウ系なので、バンドや役者の活動ができる。だからぜひ受けなさい」と言われました。それで駒場東邦中学に入ったのですが、芸能活動の方向性とは全然違ってしまってね……。母親にだまされたんですよ(笑)。私がその嘘に気付いた時、母は「プロのバンドになってもいいから、その前に医者になっておきなさい」と私を納得させました。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 医師としてスタートした当時、近隣の病院などでも高齢化が進んでいて、お年寄りが狭い部屋に寝たきりで、ずっと入院している姿がよく見られました。点滴やお薬、検査などが過剰な病院も中にはありましたので、それを見て、「寂しいな」という暗い気持ちになりました。人生の最期はやっぱり明るく、楽しく、おもしろく過ごせるようにしてあげたいと思います。

 当時は、大学病院もひどいものでした。3人で当直するのですが、当直中に酒を飲んでしまう医師もいるようでした。今はそういうことはないと思いますが、当時はそんなことがよくありました。一年生だった私は下っ端でしたので、1人で救急対応をして一晩に3人ぐらい入院させました。まだ新人なのに。今、こんなことがあったら大変な問題でしょうね。

 大学病院の研修医の月給は3万円ぐらいでしたので、みんなバイトばかりしていました。私は、入局した初日からバイトに行きました。医師の国家試験に受かっても、臨床経験が全くありませんでしたので、薬の名前も「ぜんぜん分からないよ!」という状態です。注射1本、打ったことがないんですから。今は違いますが、当時は技術も何もない中で当直していたのです。

 ある日のことです。「何もないから、寝るだけの当直だから」と言われて当直に行ったのですが、入院患者様の具合が悪くなりました。そこで、看護婦さんに、「すいません、何も分からないので教えてください」って頼みました。「先生はいつもこの薬を出していますよ」と言うので、「じゃ、それでいいです、同じもので」なんてね……(笑)。今はさすがに違うと思います。そういう点でも、医療はどんどん進化し、変わってきました。

 当時は、佐渡島や稚内などの病院に大学の医局から派遣されました。私の大学では、くじ引きで決めました。へき地派遣になってしまった仲間にみんなでカンパした、そんな時代でした。それでも毎日を楽しく過ごしていましたが、父が心筋梗塞で倒れてから、何度か手伝いをしていた永生病院に戻り、現在に至っています。慢性期医療中心の病院ですので、それ以来、ずっと慢性期医療に携わっています。急性期病院の受け皿となる慢性期病院の重要性が高まっていると感じています。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 当グループには救急病院もありますが、ほとんどが高齢者です。現在の救急医療は高齢者救急に等しいと言えます。白内障や前立腺肥大など、高齢者はいろいろな病気を持っています。認知症も多いし、介護度も高いんですね。ですから、入院してもすぐに退院できないんですね。看護師さんの仕事も、純粋な「看護」だけではなく「介護」まで含みます。食事や排泄の世話などもありますので、「老人救急病院」みたいな感じでしょうか。

 その反面、国の政策は平均在院日数の短縮化ですから、どんどん退院させなければならない。合併症を持った患者様、重症の患者様がどんどん退院しますので、その受け皿が重要になります。受け皿となる病院の方が手間暇がかかるのです。急性期病院は、ある程度の治療をすれば、自分の力で良くなっていく。患者様に多くの手間がかからないんです。ちょっと語弊があるかもしれませんが、実際にはそうなんです。

 一方、なかなか回復しないような高齢患者様を1つの所に溜めておくと、昔の老人病院と同じようになってしまいます。ですから、自宅や介護施設に戻れるように支援してさしあげる役割や機能が慢性期病院に求められています。また、意識がない人や回復の見込みがない患者様をどの程度まで治療するのかということも問われていると思います。元気なうちに、自分の意思を決めておく必要があると思います。とことんまで治療するのか、必要最低限の治療だけにとどめるのか、延命治療をどうするのか。

 リビングウィルを私なりに訳して「健康遺言」です。私はこれを推奨しています。健康な時に遺言を書いておく必要があると思っています。これを多くの国民に広め、根付かせて、自己決定権を尊重したい。臓器移植カードなどにきちんと書いておくような、そうした考え方をもっと広めていきたいと思います。

 近時、胃瘻が問題になっていますが、これも要するに自己決定権の問題です。周囲がとやかく言うことではないでしょう。現実には、「胃瘻を入れてほしい」と言う患者様がたくさんいます。ただ、医療費をすべて国で面倒をみるのは無理でしょうから、患者様自身で選択した自己負担部分については、何らかの対応を考えるような制度は必要です。国全体を守るためにも必要だと思います。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 私が学生や研修医だったころには気が付かなかったことですが、「9時─5時では終わらない」ということを伝えたい。医師になった以上、覚悟を持つということが大事です。24時間365日、患者さんに絶えず向き合うということです。この覚悟があるかどうかを考えて、医師になるかどうかを判断してほしいと思います。研究者の道に進む場合はまた別ですが、臨床医を目指すのであれば、やはりそうした覚悟が必要ではないかなと思います。

 24時間365日、患者様に対応する気持ちがあれば、必ず患者様やその家族との信頼関係ができるはずです。そうすれば、毎日が楽しいと思います。確かに、自分のプライベートも大切にしたい、奥さんの買い物に付き合わなくてはいけない、そういういろいろなことがあるでしょう。でも、患者様とずっと向き合うこと、これもすごく楽しいことだと思います。自分の職業を楽しんでほしいと思います。仕事だと思わないで、医療人であることを楽しむ、そういう気持ちを持ってほしいと思います。

 もし、リフレッシュしたければ、仕事の中でリフレッシュすればいいのです。いい仕事をすると気分がリフレッシュしますよね。おいしい物を食べたり、スポーツをしたりすることも大切ですが、それは一時的な手段であって、身も心もリフレッシュしたいなら、医師として素晴らしい仕事をすべきだと思います。臨床医としての頭脳は真ん中よりちょっと下でもいいと思うのです。それよりも、マインドが大切です。患者様のために、そういう医師が増えてほしいと思います。

 私も若いころは、そういう覚悟がちょっと足りなかった。仕事を終えたら飲みに行きたいと思うし、プライベートを楽しもうという気持ちも理解できます。ただ、臨床医に必要な知識や技術などは、ある一時期に集中的に習得しておく必要があると思います。知識を集約しておく過程を経ないまま進むと、さまざまな疾患に対応できなかったり、誤診したりする恐れがあると思います。

 近年、医師の人材紹介会社を使う病院もあるようです。素晴らしい先生もいらっしゃいますが、問題のある医師もやはり多いようです。こんなことを言うと、本当に失礼になるかもしれませんが、自分も含めて医者の3分の2は変人です(笑)。いや、本当に(笑)。変人の発生率は、民間企業のサラリーマンなら、3分の1ぐらいだと思いますよ。医師に会った後に企業の方とお会いすると、「あーまともだ、普通だ」って安心します。

 医師に変人が多いのはなぜか。これは理由があるんです。大学などを卒業して会社に入ると、数か月または1年ぐらいは徹底的にマナー研修をするはずです。お辞儀の仕方とか、手紙の書き方などいろいろなマナーを学びます。コミュニケーションの取り方とか、社会人としての基礎的な教育を受けますよね。医師の場合はそういうことがありません。全くやっていない。自分の師匠や先輩が変人だと、その真似をして自分も変人になってしまう。

 ですから、私は医師の教育をきちんとしたいと思っています。人材紹介会社などを通じて、たまに変な医者が来るんです。そういう医師が辞める時、どこが悪いのか、問題点をきちんと伝えるようにしています。「先生のこういう所を改善しないと、世間に通用しません」ということをきちんと教えてあげます。そうしないと、また他の病院で患者様たちに迷惑をかけてしまいますので、うちの病院で少しでもよくしてあげて送り出します。

 南多摩病院では、医師にも「365度評価」を導入しています。同僚の評価、上司の評価などを5点満点で付けてもらうのです。「自分は優秀だ」と思って自己評価は5点でも、周囲の評価は2点ということもあります。そういうことを通じて、1人でも多くの医師が患者様のためになる医師になってくれることを期待します。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 日本慢性期医療協会の取り組みには、とてもいい所がたくさんあります。慢性期医療の質を高めるためにクリニカル・インディケーター(CI、慢性期医療の臨床指標)を導入しています。これは厚生労働省のモデル事業にもなっています。また、日本医療機能評価機構の病院機能評価で弱いとされる慢性期医療について、「慢性期医療認定病院」という独自の制度をつくっています。そういう活動もあり、慢性期医療の分野で質の評価というものが定着しつつあることは非常に大きな成果だと思います。

 それだけではありません。中村哲也先生が中心となって「アジア慢性期医療協会」をつくり、「アジア慢性期医療学会」を毎年開催しています。東アジアは高齢化が進んでいますから、日本だけではなく、高齢化の問題について国境を越えて考える場をつくるという取り組みもしています。日本だけではなく、世界レベルで慢性期医療の質向上を目指す活動を展開しています。これは大変素晴らしいことです。世界の慢性期医療を良くしていく原動力であり、発信基地になっています。

 近年、「チーム医療」の重要性が認識されています。慢性期医療協会では、お医者さんだけではなく、看護師、薬剤師、検査技師、管理栄養士、リハビリスタッフらも含めたすべての医療職種を対象に、慢性期医療の研修会や勉強会を随時開催しています。慢性期医療に関する体系的なテキストを用意して、系統的に学べる機会があります。これは非常に貴重だと思います。かつてなかったことです。診断や治療だけではなく、抑制や認知症の問題など、いわゆる周辺部分、社会問題、医療制度の問題などについても幅広くフォローしていますので、とてもバランスの取れた講習内容になっています。

 こうした取り組みによって、医療スタッフそれぞれが、自分たちの病院をこれからどうしていけばいいのかを考える契機になります。さらに自院のことだけではなく、自分たちの地域をどうしていくのか、自分たちの国をどうしていくのかというところまで、広い視野を持って考える種がたくさん詰まっています。

 特に強いのは、武久会長の政策提言力だと思います。瞬時にデータを集めて、厚労省などに訴えていく力が強い。厚労省は、胃瘻や褥瘡などに関する細かいデータをすぐに集めることができません。しかし、慢性期医療協会は複数病院のデータをすぐに集めて提示することができる。これはすごいことで、他の病院団体には見られないことです。こうした政策提言力が、必ずや日本の医療の発展につながっていくと信じています。こうした活動をぜひ今後も続けて、さらに大きく伸びていってほしいと期待しています。

                           (取材・執筆=新井裕充)

【プロフィール】

 昭和59年3月 日本大学医学部卒業(消化器内科専門)

 日本慢性期医療協会 副会長 平成18年4月~
 全日本病院協会 副会長 平成15年4月~
 日本医師会 代議員 平成24年6月~
 東京都病院協会 副会長 平成15年4月~
 東京都医師会 理事 平成15年4月~21年4月
 東京都療養型病院研究会 会長 平成9年4月~
 八王子市医師会 理事 平成11年4月~
 医療法人社団明生会セントラル病院 理事 昭和57年5月~
 医療法人社団永生会永生病院 理事長 平成元年8月~

 現職名 医療法人社団永生会 理事長
 

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