「慢性期医療の質を向上させる」 ── 就任あいさつで橋本会長
日本慢性期医療協会は6月30日、第47回通常総会を都内のホテルで開催し、新たな体制に移行したことを報告した。橋本康子会長は「日慢協の会員が実践しているノウハウを医療・福祉界に発信していくこと、慢性期医療の質を向上させることを日本慢性期医療協会の使命として活動していきたい」と述べた。
新執行役員は橋本康子会長、池端幸彦副会長、安藤高夫副会長、矢野諭副会長、井川誠一郎副会長の5人で、事務局長を富家隆樹常任理事が務める。新執行役員のあいさつは以下のとおり。
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ノウハウを医療・福祉界に発信 ── 橋本会長
[司会:富家事務局長]
皆さまから新体制への温かいエールに感謝を申し上げる。それでは、新執行役員よりごあいさつを申し上げたい。はじめに橋本康子会長よりお願いしたい。
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[橋本康子会長]
ご高名な先生方から過分なお言葉を頂戴して恐縮している。深く感謝を申し上げる。私は第47回通常総会にて日本慢性期医療協会会長の大役を仰せつかった。皆さまには日頃から当協会に対して、ご理解、ご協力を賜り、心より感謝している。諸先生方がおられる中、武久洋三先生の後任という責任ある大役を拝命し、恐縮しながらも光栄の極みと心引き締まる思いで受け止めている。
当協会は、武久先生が会長にご在任された14年間で会員数が倍近くに増え、現在は1,133施設となった。会員数が増えるに伴い、活動の幅もさらに広がっている。このような喜ばしい状況を継承し、武久先生が打ち出された「良質な慢性期医療がなければ日本の医療は成り立たない」をベースに、今後のさらなる発展につなげていきたい。
今年、協会は30年目を迎える。この間に日本は少子高齢化が進み、高齢者の多い国となった。一方、若者が少なくなり、介護力の不足は深刻な問題である。解決方法は、介護力を増やすこと、そして要介護者を減らすことである。今後は、慢性期医療従事者が中心となってこの問題に取り組み、地域を支えるモデルをつくっていくことが必要である。
今から32年前の1990年に大熊由紀子さんが書かれた「寝たきり老人」のいる国いない国が発売され、私たちは北欧などに視察に行った。その1年前の1989年、厚労省は「高齢者保健福祉推進十か年戦略」、いわゆるゴールドプランを策定し、21世紀には寝たきり老人新規発生者をなくすことを目標に「寝たきり老人ゼロ作戦」を展開した。
その後、30年が経ち、日本は世界一の長寿国になった。しかし、寝たきり老人はどんどん増えている。何がいけないのだろうか。
実は、私たち日慢協の会員は、寝たきりにしないための多くのヒントを持っている。また、実践もしている。このノウハウを医療・福祉界に発信していくこと、慢性期医療の質を向上させることを日本慢性期医療協会の使命として活動していきたい。
このたび、当協会は新体制となった。現在、副会長である池端幸彦先生、安藤高夫先生、矢野諭先生は続投され、新たに井川誠一郎先生が副会長に就任された。富家隆樹先生には事務局長をお願いした。私を含め、新体制の面々で、今後の活動を下支えする役割を担っていくことを併せてご報告申し上げる。まだまだ力不足ではあるが、皆さま方のお力添えをいただきながら、誠心誠意努めてまいりたい。今後とも、ご指導、ご鞭撻を賜るよう、よろしくお願い申し上げる。
本日はご多忙の中、ご列席いただき、心より感謝申し上げる。お越しくださった皆さまのご健康とご多幸をお祈りして私からの就任の挨拶とさせていただく。
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全身全霊で橋本会長を支える ── 池端副会長
[池端幸彦副会長]
本日は大変お忙しい中、日本医師会の松本吉郎会長をはじめ、ご来賓の方々に温かいご祝辞をいただいたことに心から感謝申し上げたい。
私は武久前会長と10数年来、この日本慢性期医療協会で役員をさせていただいた。今思えば、私にとっては本当に親のような、時には怖い、時には優しい、そんな会長だった。私自身まだまだ経営者としても悩み、小さな病院をどうしようかと悩みながら過ごしていた。そんな時に温かく声をかけていただいて、「じゃあ、福井に見に行くよ」と直接、当院に足を運んでくださった。また、いろいろな審議会での話し方、メディアとの付き合い方、そして何より医療人としての接し方を徹底的に叩き込まれた。
私が今ここにこうしてあるのも、そして、さまざまな団体の活動や経営者として何とかやっていけるのも、前会長の武久先生の教えがあったからこそと、心から感謝申し上げている。
そんな大会長のあとをお引き受けになられた橋本新会長、私も大いに期待している。大きな遺産をしっかりと引き継ぎながら、新しい女性の視点での経営、これからの医療体制、それらに少しでもお役に立つよう、私も全身全霊をかけて橋本新会長をお支えして、お役に立つよう頑張りたい。
そして、大きな化学反応を起こし、未来の日本の医療・介護体制が明るいものになることを心からご祈念申し上げて、私からのお礼とお願いの言葉に代えさせていただく。どうか今後ともよろしくお願い申し上げる。
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抜群のセンスと企画力、行動力で ── 安藤副会長
[安藤高夫副会長]
本日ご来臨の皆さまにお礼を申し上げたい。天本宏先生、加藤隆正先生、木下毅先生、武久洋三先生には大いに鍛えていただいた。私の青春時代は慢性期医療と一緒にあるのではないかと思う。
武久先生は、断らない慢性期、攻めの慢性期、そして闘う慢性期を実践されてこられた。この医療計画の中で、地域医療構想の中で、高度急性期、急性期、回復期、そして慢性期という言葉、これが市民権を得たことは歴史に残ることであると思っている。そして、慢性期医療がもっと地域のために役立つように、慢性期多機能病院、これこそが地域包括ケアをしっかりやれよということではないかと、そう思っている。
これを引き継ぐ橋本新会長には抜群のセンスと企画力、行動力があるので、絶対にうまくいくと思う。
私もしっかりとお支えしながら、日本の医療と介護のために頑張っていきたいと思う。どうかご指導を賜るよう、よろしくお願い申し上げる。
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日慢協なくして私の人生はない ── 矢野副会長
[矢野諭副会長]
副会長として2018年から3期目になる。
2006年度改定で医療区分が導入され、2007年に日本療養病床協会としては最後の大会が神戸で開催され、武久先生が大会長を務められた。
翌2008年に協会の名前が「日本慢性期医療協会」に変わり、「診療の質委員会」をつくることになった。私はその活動に関わるようになり、
2012年に理事に選出され、2014年には常任理事、18年から副会長を拝命している。日本慢性期医療協会とともに、この10年間を過ごしてきた。「日本慢性期医療協会なくして私の人生はない」というか、まさに人生が変わったと思う。
私はもともと外科や救急が専門で、池端副会長や井川副会長も同じ昭和30年生まれでみな外科系。私はいまも臨床をやっているが、臨床を充実して楽しくできるのも慢性期医療協会の活動をしているからで、また臨床をやっているから日本慢性期医療協会の活動もできる。いろいろな教育や研修などに携わることもできる。非常にありがたい。
武久先生が日慢協の会長にご就任されたのが67歳。新会長、副会長はみな昭和30年代生まれで、これからやらなければならないという思いを強くしている。
橋本会長をできるだけサポートして、みんなで考えて一緒に悩んで、遺産を引き継ぐことも大事であるし、何か新しいものをつくっていくように頑張っていきたい。今後ともどうぞよろしくお願いしたい。
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ブレーキをかけずに突っ走る ── 井川副会長
[井川誠一郎副会長]
このたび新任として橋本会長よりご指名をいただいた。先ほど矢野副会長が昭和30年生まれという共通点を挙げてくださった。ただ、最も大きな違いは、前身である「日本療養病床協会」の時代を私はほとんど知らないことであろう。
私が慢性期医療に身を投じたのは今から16年前。当時、武久先生は副会長で、翌年の神戸大会で大会長をお務めになられ、その翌年に会長になられた。それから現在まで、私は武久会長のもとで、いろいろな役職を担当させていだいた。
例えば、十数年にわたり続いている「急慢連携」のネットワークや、最近では、コロナの直前に第27回日慢協学会の学会長を任ぜられて大阪で学会を開催させていただいた。前回の診療報酬改定から厚労省の入院医療等の調査・評価分科会の委員もさせていただくようになった。
私は、武久先生がブレーキを外してしまった日本慢性期医療協会しか知らない。それまでの日本療養病床協会の時代をほとんど知らない。橋本会長が私を任命されたのは、「ブレーキがかからないように」ということだろうと思っている。できるだけ、このまま突っ走って、80歳までは難しいかと思うが、75歳ぐらいまでは頑張っていきたい。どうぞよろしくお願いしたい。
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[司会:富家事務局長]
最後に、私は本日の理事会にて事務局長を拝命した。執行役員の一員として努めていく所存であるので、よろしくお願いしたい。
以上で新執行役員からのご挨拶とさせていただく。これからの日本慢性期医療協会にご期待いただきたい。
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(取材・執筆=新井裕充)
2022年7月1日