「慢性期救急の必要性、今後の役割について」── 第26回学会シンポ8

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08_鹿児島学会シンポジウム8

 平成30年10月12日に開かれた第26回日本慢性期医療学会のシンポジウム8は、「慢性期救急の必要性、今後の役割について」をテーマに、急性期病院と慢性期病院の医師らが現在の取り組みを紹介した。共通してあげられた課題は高齢者救急の増加、そして帰宅困難患者の存在。軽症や中等度の患者が救命救急センターに集中している現状を打開するため、地域の医療機関と自治体や医師会などが連携した取り組みも紹介された。座長は、福岡大学医学部救命救急講座教授の石倉宏恭氏が務めた。
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 【座 長】
  石倉宏恭 (福岡大学医学部救命救急講座教授)

 【シンポジスト】
  西田武司 (高知医療センター救命救急センター長)
  平川昭彦 (藤田保健衛生大学災害・外傷外科教授)
  益子邦洋・安藤高夫 (永生会南多摩病院院長・同理事長)

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 最初に登壇した西田武司氏(高知医療センター救命救急センター長)は高知県の厳しい状況を伝え、「若い救急医はモチベーションが上がらずに、都会に行こうという傾向がある」と明かした。

 続いて平川昭彦氏(藤田保健衛生大学災害・外傷外科教授)は、大学が積極的に介護施設や在宅医療を支援し、画像や検査データ、経営ノウハウなどを共有する取り組みなどを伝えた。最後に、益子邦洋氏(永生会南多摩病院院長)と安藤高夫氏(同理事長)が「慢性期病院を含めた全員参加型の高齢者救急医療体制」と題して講演。「急慢連携」の先進的な地域として知られる東京・八王子市での取り組みを具体的に紹介した。

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救命救急センターに集中している

[西田武司氏(高知医療センター救命救急センター長)]
 高知県は非常に困っている。私も実はどうしたらいいのかと日々悩んでいる。今回、そうした中で講演の機会をいただいた。

 高知県は非常に山間部が多い。私は高知県に着任するまでは海ばかりだと思っていたが、ほとんどが山間地形。面積は比較的広いが、森林面積が83%を占める。山間部と言われる地域が9割ぐらいで平野が少ない。交通事情もあまりよろしくない。太平洋側の一番端に位置しているためか、道路事情も悪い。人口はどんどん減少している。そのスピードは止まりそうもない。今後も減っていく。

 高知県は病床数が非常に多いことで有名である。基準病床数に対して、現存している病床数が非常に多い。余剰なベッドがある。しかし、最近は病床数がかなり減ってきている。その内容を見ると、一般病床は軒並み減少してきている。全国平均では、全病床の中で一般病床が占める割合は6割弱だが、高知県は4割弱。慢性期の療養病床は全国平均2割ぐらいだが、高知県は4割近くある。すなわち、高知県の療養病床は全国平均の約2倍。実際に稼働している病床なので、かなり多くの患者さんが慢性期の病床に入院している。

 救急搬送については、救命救急センターに集中してしまっている。救急医療の体制が非常に弱いし、高齢者も多い。これは何が問題か。軽症や中等症の患者さんが多いことが背景にある。フレイル状態や電解質異常とか、内服薬がちょっと効き過ぎているとか、結果的に重症ではない患者さんが多い。その上、独居や老老介護などが非常に多くて自宅に帰せない「帰宅困難症例」がとても多いことも原因としてあげられる。

 また、積極的な治療を望んでいなくても、病床がない地区からは救命センターに運ばれてしまうという現状がある。その結果、若い救急医はなかなかモチベーションが上がらずに、都会に行こうという傾向がある。

 今後については、とにかく何らかの対策を立てて、何かしなければいけない。当院では、来院時からメディカルソーシャルワーカーが介入して、なるべく早期に近くの診療所や病院に送ろうとするなど、いろいろと手を尽くしてはいる。やってはいるが、どれも決め手に欠ける。根本的な解決につながる対策にはなっていない。

 地域医療連携も強化している。慢性期救急の整備も進めている。各地域での受け入れ体制の構築が今、急がれている。高知は人口減少が20年早いのだが、残念ながら救急医療体制の整備が非常に遅れを取っているのが現状である。

 それから、高知県だけの傾向なのか全国的な流れなのかはちょっと分からないが、医療と福祉の政策が違う。消防との連携もなかなかうまくいかない。現場をやっている人間としては痛切に感じる。このあたりが何とかならないかと日頃から考えている。

 今後の取り組みについては、残念ながら高知県は非常に遅れているので、ぜひ本シンポジウムで皆さんから何かお知恵をいただいて、持ち帰りたいと思っている。

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大学が率先して在宅医療や介護施設に介入

[平川昭彦氏(藤田保健衛生大学災害・外傷外科教授)]
 急性期病院の救急医療の立場から、ご報告させていただく。われわれ救急医療の現場において高齢者が増加傾向にある。藤田保健衛生大学病院は愛知県豊明市にある。同院の救命救急センターは1979年に開設され、一次から三次まで対応している。

 豊明市は人口約7万人の小さな町で、同院は山の上にポツンとある。年間9,000件前後の救急車を受け入れており、ウォークイン等の救急を合わせると年間約2万6,000件の患者に対応する救急病院である。

 しばしば「災害・外傷科って何?」と言われることがある。愛知県は交通事故死亡者数ワースト1が16年連続で、5年前に救急科から分かれて、災害と外傷に特化した救急患者に対応している。一次、二次救急は、総合内科の先生方に診ていただき、三次救急を救急科、特に四肢外傷の整形外科の先生と外傷外科の部門で分担している。

 救急搬送された患者さんの年代別の割合を見ると、平成24年度は救急搬送7,500件のうち80歳以上が2割程度だったが、28年度には8,900件に救急搬送数が増え、80歳以上の患者さんも約500人増えた。その後も年々、高齢者の患者さんが増えている。

 大腿骨頸部骨折などは一般病院で対応できるはずだが、夜間には近隣の一般病院が受け入れられないことが多く、当院の救命センターに送られてくる。

 64歳以下ではICUやハイケアユニットに入院する患者さんは少ないが、高齢者になると非常に多い。そのまま帰宅できる人が少ない。その原因として、重症ということもあるが、帰宅が困難である患者さんがどんどん増えてきている印象がある。

 また、健康に不安があるのに身寄りがないとか、ちょっと風邪引いてもどこに行ったらいいか分からないとか、受診しようにも交通手段がないということで救急搬送されてくる患者さんもいる。診察してみると、実は軽症であったというケースは少なくない。

 少しでも入院してしまうと、いろいろな合併症を生じて、完全に自立できないので自宅に帰ることができない。独居の患者さんは、なかなか自宅に帰ることができない。
 
 当院からはすぐに回復期病院や慢性期病院にお願いするなどして対応しているが、ここで問題がある。実は、救急医はその患者さんが転院した後にどうなったかを全く知らない。たぶん、介護施設まで行くのだろうとは思うが、最後はどうなったのか全く分からない。

 やはりこれでは駄目なのではないかと思っている。在院日数のことを考えて、まだ重症にもかかわらず無理にお願いして転院していただいて、結局は何日か経って、「あの方、お亡くなりになったんです」ということも多く経験しているので、やはりこれでは駄目であろうということで、われわれもいろいろ対応を苦心している。

 そうした状況の中で、藤田保健衛生大学では地域包括ケア中核センター「尾三会」というネットワークをつくっている。また、過疎化した地域にある50棟の団地に、われわれの学生や教職員、ドクターが居住して、この団地の高齢者を支援している。薬剤師さんや看護師さんも入っていただき、もし何かあれば、われわれの救命センター、もしくは連携している慢性期病院、介護施設に送るという地域に根付いたネットワークづくりをしている。

 大学が率先して在宅医療や介護施設に介入して、画像や検査データ、経営ノウハウなどを共有している。急性期病院の医師らも交えながら、顔の見える関係をつくっている。

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地域包括ケアにおける慢性期救急を生かす

[座長・石倉宏恭氏(福岡大学医学部救命救急講座教授)]
 次の演題の前半部分は安藤先生にお願いしている。安藤先生は病院の理事長をされておられるが、昨年から衆議院議員として国政にも参加されて、厚生労働委員会の委員もされている。国政に携わっている立場も踏まえ、慢性期救急の必要性についてご講演いただく。

[安藤高夫氏(永生会理事長、衆議院議員)]
 南多摩病院の益子院長とダブルスを組んでお話をさせていただく。私は東京・八王子で、永生病院を運営している。開設からもう57年ぐらい経つ。

 当時、東京で初めての高齢者専門病院ということで、21床から私の父が始めた。その頃は、いわゆる「収容型の老人病院」で、一回入院すると二度と出られない。外来もほとんどしていない。職員は「そういう病院には自分も入院したくない。家族も入院させたくないし、外来にもかかりたくない」と言う。

 当時は私もまだ若かったが、「これはまずい」「何とかしなきゃいけない」と思っていて、それで父も頑張った。父が62 歳で他界したあと、私が28歳ぐらいで、院長・理事長を引き継いだ。「もっと地域に根付いた病院にしよう」との思いで、ケアミックス病院にして、そこで外来やリハを始めた。地域の高齢化が非常に進んでいた。

 入院した患者さまも、退院しても、すぐまた再入院をされるという繰り返しだった。こういう状況を何とか改善しなければいけないと思い、老健施設や訪問看護ステーション、訪問リハなどを始めた。

 当時、日慢協は「介護力強化病院連絡協議会」という時代。今から13年前、2005年のことだが、「日本療養病床協会全国研究会」があった。そこで私は学会長として「これからは慢性期の病院であっても治療をちゃんとするべきではないか」ということを述べ、「リハ、看護、介護、認知症、栄養ケア、チーム医療、在宅力、介護力、地域力、医療安全力」などをあげた。

 その中で、「慢性期救急」という言葉を初めて使わせていただいた。こうしたさまざまなことが統合されて、「慢性期力」を強めていく必要があるのではないかと学会で提言をさせていただいた。その時の学会テーマは「“ 0(ZERO)” 原点からの出発 ─慢性期力を活かした療養病床の未来─」であった。

 ところがなんと、その1年後の2006年に、国のほうから「介護療養型医療施設は廃止になります」「医療保険の療養病床も削減します」ということで、慢性期病院の経営者にとっては、歴史に残る政策が言われはじめた。

 当時は、社会的入院という背景もあってのことだったが、現在は社会的入院という方もほとんどいらっしゃらないと思う。要件が厳しくなってきて、療養病床は本当に医療が必要な人たちを受け入れる病床になってきたのではないかと思っている。

 いろいろな問題があったが、めげずに皆さんと頑張ってきたからこそ、今の慢性期があると思っている。皆さま方のお力と思っている。

 当時、二次救急の病院からは、「療養病床なんかで、救急なんかできるわけない」と批判されることもあった。でも、自分の病院から退院した患者さまが、ちょっと具合が悪くなった時は引き受ける、外来を引き受けるというところから始めていけば、そういう文化が根付いてくると思っている。療養病床にもいろいろな職種が従事しているので、療養病床をうまく利用していくべきだと思う。

 療養病床を基本として、回復期リハ病棟や地域包括ケアの病棟、また介護医療院なども組み合わせて、あるいは在宅支援の機能も活用していけば、地域包括ケアにおける慢性期救急を生かしていけるのではないか。それがやはり、これからの日本の地域医療において非常に重要になってくるのではないか。

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病院救急車は地域包括ケアのセーフティネット

[座長・石倉宏恭氏(福岡大学医学部救命救急講座教授)]
 益子先生は、私の恩師の1人であり、ドクターヘリで有名な映画「コード・ブルー」のロケ地である日本医科大学付属千葉北総病院の教授であった。その益子先生が慢性期救急について話されるということで、楽しみである。

[益子邦洋氏(永生会南多摩病院院長)]
 救急出動件数は右肩上がりで年々推移している。全国で620万件を数え、東京消防庁管内で77万件を超えている。これに伴い119番通報してから病院に到着するまでの救急搬送時間は平成10年には26分であったものが平成28年には39分と、12分も延長してしまっている。

 なぜ、このように救急搬送時間が延長するのか。社会的な背景としては、救急要請件数自体が増加している、あるいは、タクシー代わりに救急車を利用している人がいる、あるいは超高齢社会の到来といった問題がある。

 また、救急隊の活動自体も変化している。高層ビルやマンションからの救急要請、あるいは道路の渋滞があり、救急隊の活動自体がScoop & Run からRoad & Go、あるいはStay & Play に変わってきている。もう1つは、告示医療機関数の減少という問題がある。この中で、私が最も大きな要因と考えているのは、超高齢社会の到来と、救急告示医療機関数の減少である。

 八王子市では、平成23年から「八王子市高齢者救急医療体制広域連絡会」、いわゆる「八高連」という組織をつくって、急性期病院と慢性期病院の連携を促進してきた。その結果、慢性期医療機関の傷病者受け入れ件数は増加してきたが、平成24年には昼間で5%、夜間で2.6%である。これでは地域の高齢者を十分に受け入れることにはならない。慢
性期病院との救急患者受け入れをさらに促進するシステムが必要であるということになった。

 そこで八王子市医師会では、在宅療養生活を送る市民が病院での治療が必要になったときに、市内の病院が保有する病院救急車を使用して市内の医療機関に搬送することによって、市内での医療が完結することを目指そうと、平成26年12月1日から病院救急車の事業を始めた。この事業を開始するに当たり、八王子市医師会の先生方の地域医療にかける並々ならぬ熱意があった。

 このシステムでは、病院救急車を要請するのはかかりつけの先生、または訪問看護ステーションの看護師さんに限定している。そして、受け入れ先の医療機関をかかりつけの先生にあらかじめ決めていただき、病院救急車を要請していただくという仕組みになっている。

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顔の見える関係をずっと構築してきた

 しかし、その後、東京都医師会の救急委員会では、老人施設からの救急要請が急増して大変なことになっているということが問題になった。高齢者施設からの要請が毎年2,000件ずつ増えた。特に、有料老人ホームからの要請が毎年1,500件ずつ増えて、どうにもならない。病院救急車の活用事案がなかなか浸透していないという指摘もあった。

 そのため、当初は在宅患者さんを対象にスタートした病院救急車事業ではあるが、施設入所者の急変時対応にも病院救急車を活用できないかという問い合わせがあった。

 そこで、東京都、八王子市、八王子市医師会、南多摩病院の4者が会談し、高齢者の施設入所者についても担当医または看護師等が必要と判断した場合には、病院救急車を活用しようということになった。病院救急車を活用することによって、慢性期病院の受け入れ数が大幅に増加した。これにより消防救急の搬送件数は頭打ちになった。つまり負担が軽減したと言える。

 慢性期病院等における受け入れ件数がなぜ増加したのか。まず、八王子市医師会の強いリーダーシップがあげられる。これはすなわち、「オール八王子体制」を以前から敷いてきた医師会の病院部会、あるいは医療・介護連携懇親会等々の機会を使って、顔の見える関係をずっと構築してきたからである。

 「八高連」という組織の存在もある。これはまさしく地域包括ケア推進の基盤となるプラットホームであるので、こういった基盤があって初めて、この病院救急車の事業もうまくいったと考えている。

 さらに、かかりつけの先生、そして訪問看護師による一次トリアージも大きく貢献した。これは顔見知りのドクター、顔見知りのナースによる受け入れ要請である。「こういう患者さんなので、こういう治療でいいと思うので、受け入れてください」と言われれば、慢性期病院も安心して患者さんを受け入れることができる。

 急性期病院における二次トリアージ、Advanced Triage も生きた。いったん救急病院に運ばれて、そこで血液検査、CT、MRI などの検査をした結果、「これは慢性期病院でも十分対応できて、治療していただけますね」ということが分かれば、慢性期病院の先生も安心して患者さんを受け入れられる。

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全員参加型の高齢者救急医療体制へ

 65歳以上の高齢者の救急事案で、八王子市内での収容率は2010年に72%だったが、17年には84%まで改善した。すなわち、地域で高齢者を守る体制が強化されたと言える。

 病院救急車によってもたらされた効果は、急性期・慢性期医療機関の連携促進、地域内で完結する医療・介護システムの構築、消防救急の負担軽減と救急救命士のモチベーション維持、一方で、消防組織で働かない、それ以外の救命士が誇りを持って働ける場の確保、そして最終的には、高齢者が安心して住める街づくりである。

 病院救急車の意義は、高齢救急患者を住み慣れた地域で支えるとともに、消防救急を支援し、負担の軽減を図るという大きな意義がある。しかしながら、在宅医療・介護の主役は、あくまでもかかりつけの先生、訪問看護師、PT・OT・ST といったセラピスト、そして介護福祉士等である。病院救急車は、この皆さまを支える縁の下の力持ち、地域包括ケアのセーフティネットであると考えている。

 つまり、病院救急車を運用する病院は、地域包括ケアのハブ病院である。そして、まさしくこれこそが全員参加型の高齢者救急医療体制であると考えている。

 まとめると、救急搬送件数の増加に伴い救急活動時間は年々延長し、高齢者が住み慣れた地域を離れて、医療圏外へ搬送される件数も増加し、わが国の高齢者救急医療システムは危機的状況に陥っている。そうした中、八王子市では病院救急車の取り組みにより、慢性期病院等の救急受け入れ件数が大幅に増加し、市内救急事案の市内収容率が改善するとともに、消防救急の負担軽減に一定の効果が認められた。

 かかりつけ医の一次トリアージを受け、受け入れ病院の医師が地域の医療・介護資源をフルに活用する視点で二次トリアージを行い、高齢救急患者を地域全体で受け入れる体制を構築することが、今、全国的に求められている。

[座長・石倉宏恭氏(福岡大学医学部救命救急講座教授)]
 今回のシンポジウムを踏まえ、私からも提言したい。慢性期医療の学会と、急性期医療の学会がもっと連携して、地域包括医療についてしっかりと対話して、患者のスムーズな搬送システムを構築する必要がある。

 今後、われわれ救急の学会にも、日本慢性期医療協会の先生方をお呼びして、その実情等を聞く必要があると思うし、今回に限らず、このような慢性期救急の学会にもわれわれは出席をして、いろいろな提言、あるいは意見を述べたい。そういう場をもっともっと増やすべきではないかと考えている。2025年はすぐそこに来ている。待ったなしで、この議論は進めていくべきであろう。

                          (取材・執筆=新井裕充) 

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