「わたしの医療観」 岡田玲一郎氏
約半世紀にわたり海外や日本の医療を見続けてきた社会医療研究所所長の岡田玲一郎氏が12月8日、日本慢性期医療協会の役員らを前に、「わたしの医療観」と題して講演しました。岡田氏は、現代社会が抱える悩み、組織の在り方、病院経営、終末期の問題など幅広く取り上げ、ご自身の考えを述べました。
「尊厳死」については、「電車に飛び込もうが首をつろうが、その人にとっては尊厳死」とした上で、「地域連携事前指示書」の必要性を指摘。「あの特養はちゃんと看取りをしてくれるとか、ここは徹底的に延命治療をする所だというマップがあればいい」と述べました。
約1時間にわたる岡田氏の講演内容を以下にまとめました。所々カットして要約しましたので実際の発言と異なる箇所もございますが、ご容赦ください。
日本慢性期医療協会に寄せて
わたしの医療観
今日は何を話そうかなと思ってきたのですが、「わたしの医療観」、これしかないなと思って用意してきました。
昔の人の言葉ですが、「民、利器多くして国家ますます昏し 人に伎巧多くして、奇物ますます起こり」(老子)。便利になって、世の中がぶっ壊れていると思うのです。 42.195キロ、なぜ走るんですか? 車で走ったらすぐですよ。そこに人生の面白さがあると思うんです。
今日、ここに来る途中で考えていたのですが、「特定看護師」は医師定員とどう絡むんですか? 「特定看護師」について、僕は賛成なんですよ。
特に、慢性期医療では「特定看護師」が必要だと思うのですが、その人が1人いたら、医師定員はどうなるんですか? そこまで議論していますか?
一昨日、老年医学会で「PEG(胃瘻)の基準を設けよう」なんて話が出ました。そんなことで世の中が変わっていくのでしょうか。便利なことはいいことではあるんです。だけど、人間らしさというか、人間性というか。今度の震災でよく分かりました。洗濯機がなくても1週間生活できます。
ところで、「KY」という言葉を10年ぐらい前に聞きました。「それ、なんですか?」ときいたら、「空気読め」とか、「空気が読めない」と言う。それで、「なんで空気を読むの?」ときいたら、「嫌われたくない」って言うんですよ。浮きたくない。気遣う。結局、自分が自分でなくなる。
以前、北九州にあるお寺に書いてありました。「周りにばかり気を遣っていると自分が見えなくなる」と。こういうことは昔から言われているんでしょうね。これ、自己中心の気遣いですから。周りに気を遣っているようで、自分が嫌われたくない。
電車内で妊婦さんが前に立っていても見えない。見ているのは携帯電話かゲーム機です。震災後、東京でこういう人が増えました。自分にばかり気を遣っている。
社会の劣化。被災地もいい話ばかりじゃありません。先日、福祉関係の大学教授が話していました。「なぜ、あんなに外車が増えたのか」と。外国の高級車です。増えたことだけは事実でしょう。
考えられないような事件も増えています。無縁社会です。打つのが強い人間が減って、打たれ弱い人間が増えました。欝が増えてきました。しかも「現代型の欝」です。「現代型の欝」というのは「自己中心の鬱」です。自分以外は全部悪い。それぞれの病院、組織はこういう世の中で生きていかなくてはなりません。
2011年12月8日