「介護療養病床の機能を示す必要がある」  二木立氏が講演

協会の活動等

二木立氏(日本福祉大教授、次期学長)

 日本福祉大学教授(副学長、4月から学長)で、医療経済学者として知られる二木立氏が3月15日、日本慢性期医療協会の役員を対象に講演し、介護療養病床の廃止方針について、「死亡場所の確保面からも再検討を迫られる」と述べました。二木氏は、「介護療養病床の医療施設」と、同病床を転換した「介護療養型老健施設」の定員当たりの看取り率を比較した上で、「介護療養病床をすべて介護療養型老健に転換させると看取り場所が減る。介護療養病床の役割や機能を日本慢性期医療協会がしっかり示す必要がある」と述べました。二木氏の講演の要旨をお伝えします。
 

地域包括ケアシステムと今後の死亡場所
~ 慢性期医療機関への期待にも触れながら
 

[二木立氏(日本福祉大学教授・副学長、次期学長)]
 みなさん、こんにちは。私はパワーポイントを使いません。レジュメと、関連した自分の論文を配布するスタイルでお話しします。添付した3つの論文はすでに読まれた方もいるかもしれません。第1は『日本医事新報』3月9日号に掲載した、麻生さんの発言を論じた論文です。それ以外に2つ、「地域包括ケア」と「死亡場所」についての論文を添付しました。「死に場所」についてとんでもない誤解を招いている厚生労働省の2つのグラフもご紹介します。
 

■ 「死亡前医療費が高額」という神話
 

 先日、麻生さんが社会保障制度改革国民会議でとんでもない発言をしてくれたので、これについてまず一言します。彼の発言の一番大きな問題点は、「死亡前の医療費が高額」というデマを流したことです。死に方の問題については、さまざまな考え方があるでしょう。これは議論していいと思います。

 しかし、みなさんがどの新聞を読んでいるか知りませんが、全国紙では産経新聞以外、朝日、毎日、読売、日経は、麻生さんの発言のうち「勝手に死なせてくれ」という部分しか報道しませんでした。そうすると、最近は「平穏死」という言葉もありますから、「それは重要な問題提起じゃないか」なんてご意見もある。しかし、違います。その前段階で彼が何と言ったか。「死亡前に高額医療費が掛かる。1ヵ月に千数百万円、1,500万円掛かるということは厚生労働省も知っている。だから、これから医療費を抑制しようと思ったら、高額医療費を削減するしかない」という、とんでもないことを言っちゃったんです。

 しかし私の知る限り、この部分は産経新聞以外では報道されなかったので、「死亡前の医療の在り方についての重要な問題提起だ」といったピント外れなコメントが多く出たように思います。添付論文1には彼の発言の全文も引用してあります。これは共同通信が報道したものです。
 
 麻生発言以外にも、最近、「死亡前医療費が高額で、医療費増加の要因になっている」という趣旨の発言がいろんなところで繰り返されています。しかし、実態はどうでしょうか。個人レベルで死亡前医療費はどうなっているのか。総医療費、マクロのレベルでどうなっているのか。既存の調査データを整理してみました。「死亡前医療費」の定義はいろいろあり、「死亡前1年間の医療費」を指す定義もあります。でも、1年なんてほとんど無意味ですよね。1年後、みなさんのうち何人かが亡くなるかもしれない(会場、笑い)。私も含めて、1年後に死んでいる人もいるかもしれない。

 だから「死亡前」とは、せいぜい1ヵ月ぐらいじゃないですか。そういう視点で見ますと、私、驚きました。健保連によると、1000万円以上の高額レセプト179件のうち、当月死亡は8.4%にすぎません。年齢別に見ると、60~74歳はわずか7.3%です。一般には、「高額医療費の人はすぐに亡くなる」、「お年寄りが多い」、「だから無駄だ」って思いがちですが、全然違うのです。

 日医総研によると、「入院期間別の死亡前30日以内1人1日当たり入院医療費も高額ではない」のです。この調査でなかなか良いのは入院期間別に出していることです。1日当たりの入院医療費が、入院直後に高いのは常識で分かりますね。しかし、入院後1カ月以内に亡くなる場合は、入院日数は数日にすぎず、医療費総額は大した額ではないんです。他方、入院期間が長くなればなるほど手厚い医療をする必要はなく、逓減制で下がっていきます。半年から1年経っちゃうと、死亡患者とそれ以外の患者の差はなくなります。要するに、個人のレベルで見て、死亡前にべらぼうに医療費が掛かるというケースは、若い人の急性疾患ならあるでしょう。だけど、お年寄りの慢性疾患で、そういうことはあまりない。
 
 それから、総医療費レベルでみた「死亡前医療費」については、推計が2つあります。1つは厚生労働省の外部団体の医療経済研究機構が出したものです。この場合は、歯科は除きます。死なないから。医科の医療費に限定すると、全年齢で死亡前1ヵ月の医療費は医療費総額のわずか3.4%にすぎません。なおかつ、この3.4%には急性死亡の医療費も入っています。心筋梗塞で亡くなった、脳卒中で亡くなったというケースです。だから、一般に死亡前医療費とか終末期医療費でイメージされるような、「慢性疾患があって、がんの末期等で亡くなる」という人の医療費は、恐らく2%とか、そんな程度ではないでしょうか。

 医療経済研究機構の報告書をまとめた方は、「死亡直前の医療費抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない」と認め、終末期ケアが医療費の高騰につながる可能性を否定しました。ですから、学問的・研究的には、この問題は終わっているんです。だけど、不勉強な政治家やジャーナリストが、壊れたレコードみたいに同じことを繰り返すんです。
 
 私は、終末期の在り方そのものはいろいろ議論していいと思います。しかし、「それと金の問題を絡めるんじゃないよ」と言いたい。手前味噌ですが、私は1992年に、『90年代の医療と診療報酬』という本を勁草書房から出版し、それに「90年代の在宅ケアを考える」という論文を収録しました。この本はまだ流通していますから、もし興味があったら買ってください。その論文で、90年代における在宅ケアの理念的問題を2つ挙げ、その1つとして「単なる延命医療の再検討」について問題提起しました。これは一部から批判されましたが、私はこういう見直しは元祖に近いほうです。「費用の問題と理念問題を結びつけちゃいけない」というだけでなく、「両者は全然関係ないよ」ということを強調したい。
 

■ 「地域包括ケアシステム」について
 

 ここまでは前置きです。これからが本題です。以下、2つの柱、「地域包括ケアシステム」と「死に場所」についてお話しします。まず、「地域包括ケアシステムを正確に理解することが必要である」ということについて、ポイントだけお話しします。「正確に理解する」と書いたのはつまり、「誤解がすごく多い」ということです。

 4点言います。1つ目、「地域包括ケアシステムは単なる介護保険制度改革ではなく、医療制度改革と一体」ということです。このことは、日本慢性期医療協会の幹部のみなさんにとってはもう常識だと思います。前政権の「社会保障・税一体改革大綱」(2012年2月閣議決定)の「医療・介護等」改革は、「医療サービス提供体制の制度改革」と「地域包括ケアシステムの構築」が2本柱ですから。私がここで強調したいのは、「地域包括ケアシステム」と「医療提供制度の改革」は政権交代前後で全く変わらないということです。

 しばしば、安倍政権の医療政策について「よく分からない」とか、「まだはっきりしない」とか言っている人がいますが、不勉強極まりないですね。医療提供制度と地域包括ケアシステムに関しては何も変わらないんです。なぜか? 極めて簡単です。民主党政権の医療提供制度改革も地域包括ケアシステムも、民主党独自のものではなくて、その前の政権、福田・麻生政権の時代から始まっているんです。それが民主党政権に変わっても粛々と実施された。だから、元の自民党政権に戻っても変えようがない。だから、それぞれの医療機関が粛々と自己改革するしかないということになるわけです。
 
 2つ目、地域包括ケアシステムの「実態は『システム』ではなく『ネットワーク』、主たる対象は都市部」ということです。これは私が最も強調したいことです。「地域包括ケアシステム」という言葉が良くない。「システム」なんて言葉を使うと、日本語の語感で、「上からつくるもの」とか「ガッチリ固定したもの」っていうイメージがあります。しかし、地域包括ケアシステムの実態はシステムではありません。ネットワークです。なおかつ、主たる対象は大都市部です。だから、地域包括ケアシステムの具体的な在り方は地域によって異なります。
 
 ここで大事なことは、「誰が地域包括ケアの中心を担うのかも、地域により異なる」ということです。「在宅介護支援センターが中心になる」とか、「市町村が中心になる」とか、「医師会が中心になる」とか、「老健が中心になる」とか、いろいろ言われていますが、全部嘘です。それぞれの地域で全然違うんです。早い者勝ちです。それぞれの地域で力がある組織や人がリーダーシップを取ってやるしかないんです。
 
 私だけが言うと説得力がないと思って、添付論文では武田俊彦さん、それから古都賢一さんの発言を引用しましたが、もっと素晴らしい発言を見つけました。それは、原勝則老健局長の全国厚生労働関係部局長会議での説明です。年に1回、厚労省が都道府県の担当者に訓示をします。そこでこう説明しています。「『地域包括ケアはこうすればよい』というものがあるわけではなく、地域のことを最もよく知る市区町村が地域の自主性や主体性、特性に基づき、作り上げていくことが必要である」、「医療・介護・生活支援といったそれぞれの要素が必要なことは、どの地域でも変わらないことだと思うが、誰が中心を担うのか、どのような連携体制を図るのか、これは地域によって違ってくる」(『週刊社会保障』3月4日号:22ページ)。

 私が知っている範囲では、厚生労働省の高官が「中心はない」と認めたのは、これが初めてです。私は以前から、こう言っていました。「それぞれの地域で、医師会でも病院でもイニシアチブを取ればいいんですよ」と。原勝則さんはものすごく優秀で率直な方です。「週刊社会保障」3月4日号に詳しい講演録が載っていますので、ぜひお読みください。
 
 それから、「主たる対象は都市部である」ということです。今後、高齢化が進みます。その場合には65歳以上よりも75歳以上の後期高齢者がカギになるのですが、彼らの増加は、首都圏を中心とした大都市部で集中的に起こるんです。大雑把に言って、2010年から2025年までの15年間で、75歳以上の高齢者は全国平均で5割増えます。東京周辺の千葉、埼玉、神奈川では2倍に増えます。東京は6割しか増えませんが、人口が桁違いです。しかも首都圏は、お年寄りがものすごく増えるだけでなく、人口当たりの病院・病床数や施設数がべらぼうに少ないのです。だから、ものすごい需給ギャップが起こり、このままだったら「死亡難民」が起きちゃいます。しかし、今の財政状況を考えると病院病床を増やすことはできないし、施設もそんなには増やせない。だから、前段階の地域包括ケアで何とか食い止めたいという思いが厚労省にはあるのです。

 3つ目です。「厚労省は地域包括システムの医療の位置づけを軌道修正:病院・医療の役割を拡大」ということです。もっとはっきり言うと、病院や医療の役割を大きくしたということです。「地域包括ケアシステム」って言うと、いまだに2010年に出された報告書を読んで、「これがおかしい、あれがおかしい」と批判している人がいます。研究者にもいますが、ピント外れです。厚生労働省は方針をいくらでも変えます。そういう点で、すごく柔軟です。
 
 確かに、2010年の段階では地域包括ケアシステムは診療所レベルの医療を念頭に置いており、病院なんか全然関係ないんです。しかし、その後2年経ち、厚労省幹部も「病院抜きでは無理だ」ということを自覚しました。香取照幸という、事務官の中で一番頭が良く、なおかつ一番率直に発言する、しかしどんなに率直に発言しても絶対に問題にされない稀有な方が、次のようにはっきりと言いました。
 
 「これまでは有床診のような20床くらいの小規模なサービスを考えていたが、もう少し規模の大きいものを考えないといけない」、「入院機能を持った病院を組み込むことが必要」(『日本医事新報』2012年7月7日号:22ページ)。極めてリアルですね。ここで念頭に置いているのは、巨大病院ではもちろんありません。みなさんの大半がそうである地域密着型の中小病院です。

 そもそも、地域包括ケアシステムの元祖は、公立みつぎ総合病院です。病院を核とした地域包括ケアシステムが原型であることは間違いありませんが、その後、病院抜きのものも出てきたんです。公立みつぎ総合病院はどんな病院かと言うと、典型的な公立の複合体です。同じ敷地内に病院も老健も特養があり、さまざまな在宅サービスもいっぱいあるのです。

 4つ目、「地域包括ケアシステムは『保健・医療・福祉複合体』への新たな追い風になる」ということです。保険局の前医療課長の鈴木康裕さんは2012年度診療報酬改定後に、こう言っています。「私は、有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅のような集住系の施設に入ってもらい、そこに医療や介護サービスを付けて対応するしか方法がないと思っている。(中略)各医療法人が土地や建物、医療・介護サービスなどを提供することで、質や効率性を高めていくことが求められる」。これは、ストレートな複合体化のススメでしょう。
 
 なぜ、こういう発言をしたのか。私はこう考えています。今後、急増する死亡者を病院ですべて看取るのは困難ですが、既存の老人福祉施設も財政制約上、大幅には増やせない。とはいえ、自宅での看取りを大幅に増やすことは困難なので、サ高住や有料老人ホームでの看取りを促進したい。ただし、「粗悪なもの」が急増すると社会問題になるので、良心的な医療機関を母体にするものを増やしたいと。こういう思惑や危機意識があると思います。つまり、現在の「地域包括ケアシステム」は、中小病院や施設も含めた概念に広がっているのです。そこで、みなさんの出番になるわけです。
 

■ 今後の死亡場所について
 

 本日のテーマの2つ目の柱である「今後の死亡場所」について述べます。私は地域包括ケアを含めて地域ケアを推進することに賛成です。しかし、それをやっても今後の死亡急増時代に、「自宅死亡割合」は増加しません。厚生労働省の「在宅死促進策」にもかかわらず、「自宅死亡割合」は横ばいで、増加したのは「施設死」です。まずこの点についてお話しします。
 
 厚労省が本格的に在宅医療を推進し始めたのは2000年以降です。もう10年以上の歴史がありますが、「自宅死亡割合」は横ばいです。配布資料の「在宅死亡率の推移」という図をご覧下さい。これはひどい図です。厚労省はこれをどこで出したのか。最近では、2012年度診療報酬改定の資料として、中央社会保険医療協議会などで出したんです。
 
 この図だけを見ると、在宅死亡率はずっと下がってきたけれど、平成16、17年(2005年)を底にして、また増えつつあるように見えますね。しかし、これは嘘です。この「在宅」には、特養が入っているのです。ひどいですね。「在宅死」の割合を「自宅」と「老人ホーム」に分解すると、「自宅」での死亡割合は、2005年の12.2%から2011年の12.5%で、ほとんど横ばいです。これに対して「老人ホーム」は2.1%から4.0%と、ほぼ倍になったんです。だから、在宅死亡率が上がったというのは、特養等の老人ホームでの死亡が増えたためなんです。

 2000年以降も自宅死亡の割合はあまり変わらないように見えますが、実はものすごい地域差があって、かつての常識が通用しないんです。首都圏や関西圏、それ以外の大都市では、2000年ごろから増加に転じています。特に東京都区部は、2000年の12.9%から2011年に17.5%に上昇しています。今、東京都は自宅死亡率が全国第2位です。それに対し、2000年に介護保険が始まった頃、「在宅ケアや在宅看取りの先進的な県」と評されていた長野、新潟、山形などではガタ減りです。特に長野県は、2000年時点で自宅死亡割合が19.8%でしたが、その後どんどん下がって、今は13.6%で東京より低くなっています。

 それから、「親子の同居割合が高い県ほど自宅死亡割合が高い」とのかつての常識はもはや消滅しました。昔の常識では、お子さんと同居しているお年寄りは、家族に看取られるから自宅死亡割合が高い、つまり「3世帯同居の多い地域は自宅看取りが多い」というイメージがありましたね。1990年代まではその通りでした。だけど、この10年間でガラッと変わりまして、3世帯同居率と自宅死亡率の相関係数はいまやゼロです。

 データを紹介します。これは強烈です。山形県の方、ここにいらっしゃいますか? 山形県は、今でもお年寄りとお子さんの同居率割合が一貫して高い。日本一です。50%を超えています。しかし、自宅死亡率は急激に下がり、今では全国平均を下回っています。逆に、東京都を見てみましょう。当たり前ですが、東京は子どもとの同居率が低い。それは昔も現在も変わらないのに、自宅死亡割合がどんどん上がっている。

 これは「東京は在宅ケアが普及しているから」って言う人がいる。確かに、その通りです。移動距離が短くて済みますからね。移動にすごく時間が掛かる地方と違って、東京は訪問診療でも訪問看護でもヘルパーでもみんな黒字ですよ…………と思ったら甘かった。実は、安藤高朗さんから貴重なデータを教えて頂きました。この10年間で東京都の自宅死亡率が急増しましたが、そのうちのなんと4割が孤独死です。ですから、都市部における自宅割合の急増は、相当割り引いて考えたほうがいい。
 
 誰にも看取られずに死んでしまうことについて、私はそれが悪いなどと言うつもりはありません。私が言いたいのは、「自宅での看取りの美化は危険で、非現実的である」ということです。「自宅での看取り」って聞くと、「家族に看取られながら安らかに死んでいく」という美しいイメージがありますが、違うんです。これから間違いなく孤独死が増えます。独居とか夫婦2人暮らしのお年寄りが増えますから。ですから、在宅死がそんなに綺麗な、美しいものではないということを言いたい。
 
 では、自宅死について厚労省はどう考えているか。実は厚労省も、「自宅死亡割合を高めることは困難である」と認識しています。そんなことは厚労省もよく知っている。では、厚労省はどういう表現を使うか? 「居宅生活の限界点を高める」──。うまい表現ですねえ(会場、笑い)。みなさん、この意味は分かりますか? できるだけ在宅ケアを続けるけれど、ギリギリになったら、「本人や家族の希望で病院や施設に入ってください」っていうことです。

 「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」のグラフをご覧ください。一般には、2030年には死亡場所の「その他」が47万人もいることが注目されます。しかし、このグラフで最も重要なことは、自宅での死亡割合が今後とも1割程度でほとんど変わらないということです。これはすごくリアルな認識です。正しいです。だから、「サ高住や有料老人ホームを増やす」と、こういう話になるわけです。

 今後、自宅死亡割合が増えないという判断は、私は正しいと思います。①「終末期医療に関する調査」、②死亡(看取り)場所と介護家族の満足度、③濃厚な在宅ケアの採算ベース──の3点から理由を説明します。まず、「終末期医療に関する調査」(2003年)によると、「自宅で最期まで療養したい」という人は1~2割しかいない。具合が悪くなったら在宅で療養したいという人は確かに6割いますが、「痛くて我慢できなくても最期まで自宅」というような人は1割程度です。
 
 2つ目の理由は、日本福祉大の全国調査で明らかになったことで、看取りの場所と介護家族の満足度は全然比例しないということです。みなさん、「自宅で看取ったほうが、遺族の満足度が高い」と、なんとなく思うでしょう。違うんです。介護する家族は、「入院させようか」と悩んだり、自宅で亡くなった時には「入院していたら助かったかもしれない」と後悔したり、いろいろ考えます。ですから、自宅は決して「究極の死亡場所」ではなく、むしろ死に至るプロセスのケアが大事なのです。物理的に、「自宅で看取る」ということを前提にしてはいけないんです。

 3つ目の理由です。私が専門にしている医療経済学的な面で言いますと、24時間対応の濃厚な在宅ケアが事業者の採算ベースに乗るのは大都市だけです。いわゆる寝たきりの人に関して言えば、在宅ケアは施設ケアよりも費用が掛かる。これは国際的に確認された、学問的・政策的常識です。厚生労働省もこれを率直に認めています。

 本日のお話の最後です。今後、「死亡難民」を発生させないために医療機関と社会福祉法人の頑張りが必要で、慢性期医療施設の役割が大きいということです。先ほどのグラフ、「死亡場所別、死亡者数の年次推移と将来推計」をもう一度ご覧ください。死亡場所の「その他」の47万人に対する反応は、2つに分かれます。

 このグラフを見て、不勉強で情緒的なジャーナリストは、「死亡難民が47万人も発生するから心配だ!」と騒ぎます。その一方で企業系の人は、「おっ、これはビジネスチャンス! 47万人もサ高住や有料老人ホームに入る!」と喜びます。確かに、「自宅での死亡割合が12%」という数字はリアルです。しかし、「病院での死亡がさほど増えない」というのは嘘です。この20年間、病院・病床数が減っていますが、病院死は増えているじゃないですか。今後、平均在院日数がますます短縮されますので、病院での死亡数が相当増える可能性があります。特養や老健での死亡も相当増えるでしょう。

 いま、一番問題なのは大都市部の貧乏な人です。厚生年金を持っている人は、かなりサ高住で対応できます。あるいは自宅でもいけます。しかし、そうではない貧しい人がたくさんいます。失礼な言い方になりますが、この方々を医療法人がみるのは無理です。先ほど、「社会福祉法人の頑張りが必要だ」と言ったのは、そういう意味です。もしかしたらみなさん、社会福祉法人を持っていますよね? そういうところはぜひ、崇高な理念でやってもらわないと駄目です(会場、笑い)。

 それから最後に、介護療養病床がどうなるかについて述べます。介護療養病床の2017年度末廃止方針は、死亡場所の確保面からも再検討を迫られると思います。なぜか。「介護療養病床」と、それを転換した「介護療養型老健」では、定員当たりの看取り率が大きく違うからです。少なく見積もって2倍、大きく見積もって5倍の差がある。ですから、介護療養病床をすべて介護療養型老健に転換させると、看取りの場所が減っちゃう。厚生労働省にとって絶対に避けなければならないのは、「死亡難民」を出すことです。「介護難民」とか「リハビリ難民」の発生で、大きな社会問題になったでしょ。「死亡難民」が出たら、それとは桁違いに大変なことになっちゃいます。

 自民党の総選挙公約を示します。これは池端幸彦さんに教えてもらいました。「介護保険法改正により平成30年まで延長となった介護型療養施設のあり方に関しては、同施設の必要性を重視し、見直しを行います」(「J-ファイル2012 総合政策集」47ページ)。自民党って賢いですね。小泉さんの時に、「介護療養病床を廃止する」って決めたんですよ。それを民主党政権が5年延期したら、今度は「同施設の必要性を重視し、見直しを行います」と言う。下衆の勘ぐりかもしれませんが、私は「武久会長が裏から政治力を発揮した」と思っています(会場、笑い)。

 ただし、単純に、現在のまま延長するのは、政治的にも無理だし、国民の理解を得られません。ですから、廃止時期をさらに延期する場合、あるいは廃止方針をやめることを望むなら、「介護療養病床にはこういう役割や機能がある」ということを日本慢性期医療協会がしっかり示す必要があると思います。そういう意味で、みなさんの役割は非常に大きいと思います。以上で私の話を終わります。

                          (取材・執筆=新井裕充) 

 
 
[添付論文]
 ○二木立「『麻生発言』で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?」『日本医事新報』2013年3月9日号(4637号):30-31頁。
 ○二木立「地域包括ケアシステムと医療・医療機関の関係を正確に理解する」『文化連情 報』2013年3月号(420号):12-16頁。
 ○二木立「21世紀初頭の都道府県・大都市の『自宅死亡割合』の推移-今後の『自宅死亡割合』の変化を予想するための基礎作業」『文化連情報』2013年2月号(419号):16-27頁。
 
 
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