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【第1回】 慢性期医療リレーインタビュー  梅村聡氏

Posted By 日本慢性期医療協会 On 2012年1月13日 @ 7:28 AM In インタビュー | No Comments

 日慢協ブログでは本年から、医療界をリードする方々のお考えをお伝えする「慢性期医療リレーインタビュー」を開始いたします。第1回は、医師で参議院議員の梅村聡先生です。
 

■ 医師を目指した動機
 

 人間というのは誰しも、生まれて初めての記憶があると思います。3歳とか、2歳の時のこととか……。僕の一番早い記憶というのは、実は1歳半なんですよ。

 どういう場面かと言うとね、マスクをした人が僕の全身に何かスプレーを吹きかけているんです。シューッと。それを後で親にきいたら、僕が1歳半の時に台所でみそ汁をかぶりましてね、上半身を大やけどしたんです。それで救急病院に運ばれて処置をしてもらった。実はそれが一番最初の記憶です。

 それを親から聞いたのは小学校に入るころですけれども、僕はそのころ野口英世の伝記を読んでいたんです。彼も手をやけどして医者の道、研究者の道を進みましたが、それと自分を重ねてしまったんです。それが医師を志した一番大きな理由でした。

 それから僕は、小さいころから小児ぜんそくをもっていました。幼稚園の時は1年のうちの3分の1ぐらい欠席していましてね、ずーっと病院にお世話になっていたということもありました。

 今回、僕は「蘭学医・関寛斎―平成に学ぶ医の魂」という本を書いたのですが、蘭学の時代にこういう医者もいたんですね。関寛斎は私の母方の5代前の祖先にあたる人なのです。そういうことで、僕は小さいころから医者になるというモチベーションが周りに散りばめられていたんです。

 うちの母方は糖尿病の家系で、僕の祖母は糖尿病の合併症で47歳の時に亡くなっているんです。曾おばあちゃんも若くして糖尿病を発症していました。中学、高校と上がっていって進路を選ぶときに、そういうこともいろいろありながら、医師の世界に来ることになったんです。

 ただ、僕は血を見たら倒れる人間だったんですよ(笑)。そのことに僕はずっと気づかずに「医学部に行くんだ、行くんだ」と言って、高校3年生の冬休みに、「そういえば僕は血を見たら倒れるんだ」と、どうしようかと思っていたら、教師をしていた母親が教え子の医学生に電話して相談したんです。「うちの子は血を見たら倒れるんだけど大丈夫か」と。

 その医学生は、「僕の周りで血を見て嫌になって退学した学生は1人もいないので大丈夫ですよ」と答えた。それで安心して、医学部に進学したんです。

 ところがね、大学4年生の実習の時です。初めて病院に実習に行った時、おばあさんの膝から水を抜く場面があったんですよ。もちろん先生がやるんですよ。それを横で見ていたら……、血が出てくるじゃないですか。それを見て僕は気分が悪くなってね、病院のベッドで寝ていたんですよ(笑)。

 この話は「医師を目指した動機」とは関係ないかもしれませんが、そういうことがいろいろ重なりながら、この世界に来ました。

 高校生の時は他の道もいろいろ考えましたけれども……。僕は高校生の時からね……、親父にもよく言われたんですが、その時代に一番良いと言われる職業は必ず中年になった時に良い職業ではなくなっている。例えば、僕の父の世代は石炭鉱業とか繊維ですよね。そういうのが良いと言われていた。だけど、ものすごい斜陽産業になりましたよね。

 逆に、うちの親父は教育学部に行っていたんですけれども、卒論書かずに卒業したから就職先がなかったんですよ。仕方なく製薬会社に勤めたら意外とそこが伸びていったという話を聞いて、お金とかね、何が得か損かはあまり考えずに医師という仕事を選んだんですよね。

 だから小さいころから、やけどとか野口英世とか、ぜんそくとか、そんなことがあって医師の世界に来ました。
 

■ 参議院議員としての医療にかける思い
 

 僕は政治家になろうなんて全然思っていなかった。松下政経塾などに通ったわけでもないし、家族に政治家がいるわけでもないし、どちらかというとノンポリでした。政治家が元々ノンポリだっていうのもなんだか変な話ですけれども(笑)。

 きっかけになったのは、福島県立大野病院事件というのがありましてね、医療行為そのものに業務上過失致死傷罪というか、刑事責任を問うということが2006年ごろに起こりましてね、こんなことを続けていたら大変なことになると……。

 もちろんね、故意にやったとか何かを隠蔽したとか、そういうのは処罰すべきでしょうけど、医療行為そのものに刑事責任を問うというのはすごい世界だと思いました。医療崩壊というのはいろんな原因があるんでしょうけれども、僕はこの部分が一番大きいと思った。

 医療というのはメンタリティーなんですね。はっきり言えば、「ありがとう」って言ってもらったほうが給料を何倍ももらうよりも実はモチベーションを保てるし、医療の世界で頑張ろうと思うんです。しかし、そこに検察とか刑事が踏み込んでくるというのはとんでもない話です。

 議員になる前、そういう話をね、僕はたまたま民主党の議員さんにしたことがあるんです。その話をした中に、山本孝史さんという国会議員さんがいました。この方はがんでお亡くなりになられたんですけれども、その方の後釜というわけではないですが、その方がご病気で選挙に出られないということで、僕はこの世界に来ることになったんです。

 ちょうど、このインタビューをしているのが……、今日は12月22日なんですが、昨日、実は診療報酬の改定率についてプラスにするかマイナスにするかを議論していて、夜に改定率が決定しました。当初はほとんどの省庁から、財務省をはじめ、マイナス改定だと言われていました。

 僕もね、医者という立場を離れて議員という立場で考えたら、「マイナスにすべきだ」という理屈もわからんこともないですよ。これだけ税収が下がって、デフレで物価も下がっているのに、なぜ医療費だけプラス改定にするのか。ま、結局はプラス改定になったんですけれども……。

 僕はやっぱり、そこは国益だと。医療を守るというのは国益なんですよね。例えば、自衛隊を持っている。防衛省がある。日本は数十年間、戦争もしていない。だけど国や国民の生命、財産などを守るために自衛隊というものに我々は敬意を払って、そこに十分な予算を付けて、その代わり国民の命を守ってもらう。これが自衛隊ですよ。

 医療は、「命の自衛隊」と言うんですかね、「命の国防」というのが僕は医療だと思っているんです。ですから、「儲かっている」とか、「儲かっていない」とか言うこと自体がものすごく下世話な話でね、そういうことで今回はやっぱりプラス改定にすべきだと主張したんです。

 「医療は産業」という見方もあるけれど、僕は自衛隊に近いものとして、国益を守るために、医療という問題に取り組んでいる、そう思っています。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 慢性期医療について僕は小さいころから接することがありました。今年、92歳の祖母を亡くしました。祖父は僕が5歳の時、昭和55年、がんで亡くなっているんです。肺がんでした。63歳でした。

 5歳の時、祖父が入院している急性期の市民病院に、両親と説明を聴きに行ったんです。そうしたら、医師から「がんなので、そんなに長くはもたない」という説明を受けたんです。親は僕が5歳だから油断していたんでしょうね。そばで僕に先生の話を聞かせていました。

 僕はね、人の話を口づてでパッと伝えるのが得意だったんです。それで、おじいちゃんのベッドサイドで、「おじいちゃん、先生が『がんや』と言ってたぞ、『もうあんまり長くない』と言っていたぞ」と伝えたんです。

 そうしたら、うちの両親が慌ててね、「そんなこと言ってないやないの!」と言うんです。でも、僕は「言ってたよ、お母さんも聴いてたでしょ」と言い返しまして……。当時はがんの病名告知なんてしないですから、それでバレたわけですよ。

 ところが、おじいちゃんはすごく喜びました。なぜ喜んだかと言うと、「これで点滴をしなくていいんだ」と。「好きなものを食べて、薬も飲まなくてよくて、点滴も外れて、それが一番嬉しい」と、こう言うわけですよ。

 しかし、当時は慢性期とか緩和とかいう考え方がないですから、とにかく病院の看護師さんたちはみんなで脅すわけです。「点滴をしなさい」「治療しましょう」と。おじいちゃんが「家に帰りたい」と言っても、「家に帰ってしんどくなったって痛み止めもないし、なんにもないですよ」って言うんです。僕はそれを聞いていて、「なんやこの人たちは」と思ってね。僕はまだ幼稚園でしたけど。おじいちゃんは点滴も外れて好きな物も食べられると喜んでいるのに、医師と看護師たちは入れ替わり立ち替わり脅しに来るわけですよ。

 僕はおじいちゃんに病名を伝えたこともあって、共同意識があったんですね。「おじいちゃんは帰りたいのに、なんでみんなはいじめるんだ」と言った。そうしたら、うちの両親も先生もね、この共同戦線に負けて、「しゃあないなあー」って言って、一緒にね、僕とじいちゃんと寝台車に乗って家に帰ったんです。

 僕はずーっと責任を感じていました。おじいちゃんにそんなことを言ってしまったからね。家に帰ったら、本当に点滴も何もないわけです。夏の暑い時期でした。僕は毎日ね、幼稚園から帰ったらかき氷を食べさせたんです。毎日、かき氷を食べさせていた。

 ある日、幼稚園から帰って、かき氷を食べさせようとしたら、寝ているんです。「今日もかき氷を買ってきたよ」と言って、肩をトントンと叩いたら冷たいわけです。おばあちゃんに、「おじいちゃんが冷たい」と言ったら、「それはね、たぶん死んでるんだ」と、おばあちゃんは料理をしながらポツリと言うわけです。

 で、先にお葬式屋さんが来たんです。お経が終わってからお医者さんがやってきて、「ご臨終です」と……。僕は子どもながらに、順番が逆とちゃうかなと思いました。そんな体験があります。これが昭和55年の医療だったり、看取りだったり、慢性期医療だったりしていたわけです。

 僕はね、今から考えると複雑な思いがあってね、「なんで先生や看護師さんはあんなに脅したりしたのか」とね。家に帰ったら、脱水ですよ。あれは脱水で亡くなったんですよ。なんぼ、かき氷を食べさせてても。僕は今でも覚えている。おじいちゃんが寝ていてね、夏ですから腕が出ていて、動脈がね、脈を打っているのを今でも覚えています。

 昭和55年というのは、ちょうど在宅死と病院死の率が50%、50%で入れ替わる時期が昭和55年なんですよ。僕はそのころから、「急性期病院の人がずっと手放さないってどうなのかなあ」ということをずーっと思っていたんですよ。

 6月の日慢協の学会でも話したんですけれど、先日おばあちゃんが亡くなって、お墓を開けたらね、30年前のじいちゃんの骨壺がちょこんとあったんです。ほんで、「あー、暑い日も寒い日もちょこんと骨でおったんやなあ」って、おじいちゃんのことを思い出した。

 今年、おばあちゃんがどんな亡くなり方をしたかと言うと、最期は一般病床のある病院のICUで亡くなったんですけれど、そこにいたのは数日ですよ。それまでは有料老人ホームにいた。4月に脳梗塞になって、脳神経外科にすぐ運ばれて助けてもらって、回復期病棟でリハビリをして、また施設に戻って、また肺炎を起こして病院に移った。こういう連携の中で亡くなったんですね。

 亡くなったのは悲しいことだけど、連携というのができている。最後の病院でも、僕は「苦しみだけを取ってください」と言った。家族が言えば、そういう医療をやってくれた。だから、やっぱりその人の自己決定権というのも大事にされてきているし、それから、在宅で何が何でも最期まで看取るんだというのは今の日本の文化に合わない。

 80%以上が病院で亡くなって、自宅で亡くなるのが1割ぐらいというのは極めて妥当な話だと思いますよ。ただ、ずーっと社会的入院をして亡くなるということではなくて、最期の数日、1週間は病院というものを使う。看取り数は、最終的には8割が病院で亡くなっているんだけど、それまではいろんな医療職が連携する。

 レスキューで慢性期病院に入院するのもいいし、軽快すれば施設に行ったり自宅に帰ったりしていい。選択肢をたくさんつくっていけるということが、慢性期医療にかけられた使命じゃないかなと思う。病院というのが、その1つのパーツで、そこがやっぱりしっかりしておかないとね、国民にとってもみじめな医療や介護、看取りになるんじゃないのかなと思っているんです。

 それから、僕は急性期病院に勤めていましたから、あんまり大きな声では言えないのですが、正直言って、「この人たちは急性期病院に入院し続ける人なのかなあ」という人が入院していた。それで、本当に必要な急性期の患者さんをお断りしたりね……。

 例えば、休日などに満床になっていたら救急車をなかなか受け入れられないですよね。これが医療全体にとって良いことなのかなあと……。もちろん、お一人おひとりの患者さんは慢性期の状態になっていても、どこかが空かんといかんので、出て行ってくれとは言えないですけれども、そういう状況を急性期側の医師として見ていましたので、そういう医療ってどうなのかな、という思いがあった。

 これはやっぱりね、急性期と慢性期のアンバランスからきているんじゃないかなって、そういうふうに勤務医時代に感じていました。そんなことも含めて、僕の両親も団塊の世代なんですが、この方々をどう治療していくか。慢性期医療の比重はやっぱり大きくなっていかざるを得ないと思っています。
 
梅村聡・参院議員
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 自分自身の反省でもあるのですが、医学部で勉強して医療現場に出たときに、どうしてもね、「急性期のほうが上だ」っていう意識があるんですよ。慢性期は……、まあ、言葉は悪いんですが、「ちょっと劣っている」とか、「楽をしている」とか、「のんびりしている」とか、そういうイメージが広がっていると思うんです。

 これはなかなか……、僕も研修医のときは分からなくてね、そう思ってたんですが、だけど本来、慢性期のほうが奥が深いんですよね。一手、ニ手で解決できる話ではない。

 例えば1人の患者さんがいたときに、「この人を医学的にどうするか」っていう問題と、もう1つは「社会的にどうしてあげるのか」という問題がある。例えば、どういう介護保険のサービスを使うのがベストなのか、あるいはこの人は単身者なのか、三世代なのか、お嫁さんと姑さんの関係はどうなのかとか。

 1つ例を挙げるとね、急性期の病院でおばあちゃんの所に行ってね、おばあちゃんに「もうすぐ家に帰れるよ」と言った時に、「イヤや」と言ったとしますね。「イヤや」と言った時に、その「イヤや」は何かを考えなければいけない。

 「私はまだ治ってへんから、もうちょっとおらしてくれ」というイヤなのか。それとも、ここの環境のほうが他の施設に行くよりもいいから「イヤや」と言っているのか。あるいは家に帰ったらまた嫁にいびられるから「イヤや」と言っているのか。家が寒いからイヤなのか。

 何がイヤなのか、ここまでを考えていくのがやっぱり医療なんですよね。治すだけだったら、それはマシーンだし、コンピューターに症状と検査データを入れたら、大体の病名というのは9割ぐらい当たるわけですから。

 これはやっぱり自分自身の反省でもあるんですけどね、医者はマシーンであってはならない。やっぱりそういうことを多角的に、立体的にとらえられるから医師は先生と呼ばれる。病気を治すから先生と呼ばれるのではないんですよね。退院後の患者さんがどうすればいいのか、年金の問題なども含めて判断してくれるから、皆さんは「先生」と呼ばれているんです。

 治すのは……、はっきり言ったら薬が治してくれているんですよ、ほとんどの病気は。たいていは処方箋を書いているだけなんです。だから、治療の部分だけを大きくとらえて研修したり働いたりするのはあとで後悔するんじゃないかなと思っています。


■ 日本慢性期医療協会への期待

 

 いろんな病院団体、いろんな職種の団体があると思います。先ほどの話にもちょっとかぶるんですが、厚生労働省がいつも出してくる絵、これね、ピラミッドを描いてね、必ず一番上に「高度急性期」って書いてあるんですよ。僕はあれを見てね、いつも「ふざけるな」って思っていてね。あれこそヒエラルキー、官僚の思考回路なんですよ。ピラミッドで表すこと自体が僕はどうかと思いますけれども……。

第7回社会保障改革に関する集中検討会議厚生労働省提出資料

 やっぱり、キーワードは連携なんですよ。患者さんは、あのピラミッドの上から順番に下に降りてくるわけじゃありません。真ん中から入っていく場合もある。あのピラミッドが日本の官僚制度の思考回路なんですよ。

 僕が絵を描くときはいつも、真ん中に「国民」って書いて、その周りに高度急性期もあれば、居宅型の施設もあれば、療養病床もあり、リハビリ病棟もある。こういう絵にしたって構わないわけですよ。ピラミッドにしたからって、何かがビジュアルに分かるという話ではないですからね。

 なぜ、あのピラミッドを描くかと言うとですね、下に行けば行くほど数が多くなるわけですよ。つまり、逆説的ですけれど、あのピラミッドは慢性期医療がものすごく大きな比重を占めているということを隠したいんですよ(笑)。逆に言えば、それだけどんどん慢性期医療の役割が増えてきていて、量的にも質的にも重くなってきているんですよね。

 僕は、慢性期医療を担う病院が全て完璧だとは思いません。ちょっと言い方が過激になりますけれども、努力をしなくてもそれなりにやっていけるという面もあると思っています。だけど、それを続けていけば必ず、真ん中にいる国民からの支持を失います。昔の「老人病院」という言われ方に戻ってしまう。

 実は、一番バージョンアップできる、伸びしろが大きいのは慢性期医療の団体だと思うんですよ。高度急性期病院等は、技術革新などは期待できますが、量的には伸びしろに限界があります。数自体がこれから絞られてきますしね。そう考えると、慢性期医療というのは伸びしろが大きいし、これから国民の要求も高くなると思います。特に、団塊の世代の要求が非常に高くなってくることを考えると、慢性期医療は非常に伸びしろが大きい分野です。

 私は慢性期医療というのをやったことがないんです。当直でちょっと入院患者さんの点滴を、とかそういうのはありますが、トータルで慢性期医療というのをやったことがありませんから、ぜひそういう国会議員をちゃんと指導していただければ、政策的にいい慢性期医療ができるのかなと。

 もう1つ言えば、厚生労働省もちょっと指導していただければですね、医療全体のバージョンアップが非常にできるんじゃないかな、そう思っています。

 今回、診療報酬の改定率をプラスにするかマイナスにするかをめぐってものすごく言われたのは、「なぜ医者の給料を上げるんだ」と、こればっかり言われるわけです。僕らは別に、医者の給料を上げようなんて言ってないわけですよ。少なくとも、患者さんに対する懇切丁寧な説明などができるような人員配置にしましょうということです。

 例えば、労働基準法を守れるようにしましょうとか、患者さんに十分な説明をするには医療者をどれだけ雇用しなければいけないか。それを逆算していったときに、今の診療報酬ではやっていけないという話をしているのに、「仕分け」という所では、勤務医と開業医の給料の話を出してね……。あれも正確ではないんですけれども。

 ですから、日慢協がまず教育しなければいけないのは、仕分け人かもしれません。医療者の中には「仕分け人が悪い」という言い方をする人もいますが、仕分け人は「この説明が国民にウケルんだ」と思って仕分けしているんです。「この仕分けでは国民にばかにされる」と思ったら、そのような仕分けはなくなるんです。

 だから、医療団体もですね、国民に対してメッセージを出していく、あるいは国民の皆さんに知っていただく、知名度を上げていく、そういうことが大事なんでしょうね。新たにできた「日慢協ブログ」には、実はそういう役割があるのかなって思います。

 昔の急性期の先生はいまだに「老人病院」という言い方をするんですよ。昔の印象が強烈で、それをいまだに引きずっているんです。ですからやっぱり、「良質な慢性期医療」とか「新生慢性期医療」というものを理解してもらえれば、巡りめぐって国民にとっても利益になるんじゃないかなと思います。

                           (取材・執筆=新井裕充)
 

【プロフィール】

 1975年(昭和50年)2月13日、大阪府堺市に生まれ、大阪市淀川区十三で育つ。
 大阪市立神津小学校、大阪教育大学付属池田中学校、大阪教育大学付属高等学校池田校舎を卒業。
 2001年(平成13年)大阪大学医学部を卒業後、阪大病院にて研修。
 その後、箕面市立病院、阪大病院で診療に従事。日本内科学会認定内科医。
 2007年(平成19年)7月29日施行の参議院議員選挙に大阪選挙区より立候補、128万票余りを頂き初当選。

 趣味は水泳と登山。ホノルルマラソンを3時間59分35秒で完走。

 大阪府池田市在住。妻と長女、長男との4人暮らし。

 (主な役職)

 ○国会内 

  参議院厚生労働委員会 理事
  参議院議院運営委員会 委員
  参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会 委員
  参議院国民生活・経済・社会保障に関する調査会 委員

  ○民主党内
 
  民主党 大阪府連幹事長代理
  民主党 大阪府参議院選挙区第2総支部長
    民主党 国会対策委員会 副委員長(厚生労働担当)
  民主党 企業団体対策委員会 委員長代理
  民主党 厚生労働部門会議 副座長
  民主党「適切な医療費を考える議員連盟」事務局長

  ○超党派議員連盟
   
  ストップザ結核パートナーシップ議員連盟 会長
  適切な医療を実現する医師国会議員連盟 事務局長
  国会がん患者と家族の会 事務局長
 



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