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「わたしの医療観」  岡田玲一郎氏

Posted By 日本慢性期医療協会 On 2011年12月8日 @ 11:23 PM In 官公庁・関係団体等 | No Comments

 約半世紀にわたり海外や日本の医療を見続けてきた社会医療研究所所長の岡田玲一郎氏が12月8日、日本慢性期医療協会の役員らを前に、「わたしの医療観」と題して講演しました。岡田氏は、現代社会が抱える悩み、組織の在り方、病院経営、終末期の問題など幅広く取り上げ、ご自身の考えを述べました。

 「尊厳死」については、「電車に飛び込もうが首をつろうが、その人にとっては尊厳死」とした上で、「地域連携事前指示書」の必要性を指摘。「あの特養はちゃんと看取りをしてくれるとか、ここは徹底的に延命治療をする所だというマップがあればいい」と述べました。

 約1時間にわたる岡田氏の講演内容を以下にまとめました。所々カットして要約しましたので実際の発言と異なる箇所もございますが、ご容赦ください。
 

日本慢性期医療協会に寄せて
わたしの医療観

 

 今日は何を話そうかなと思ってきたのですが、「わたしの医療観」、これしかないなと思って用意してきました。

 昔の人の言葉ですが、「民、利器多くして国家ますます昏し 人に伎巧多くして、奇物ますます起こり」(老子)。便利になって、世の中がぶっ壊れていると思うのです。 42.195キロ、なぜ走るんですか? 車で走ったらすぐですよ。そこに人生の面白さがあると思うんです。

 今日、ここに来る途中で考えていたのですが、「特定看護師」は医師定員とどう絡むんですか? 「特定看護師」について、僕は賛成なんですよ。

 特に、慢性期医療では「特定看護師」が必要だと思うのですが、その人が1人いたら、医師定員はどうなるんですか? そこまで議論していますか? 

 一昨日、老年医学会で「PEG(胃瘻)の基準を設けよう」なんて話が出ました。そんなことで世の中が変わっていくのでしょうか。便利なことはいいことではあるんです。だけど、人間らしさというか、人間性というか。今度の震災でよく分かりました。洗濯機がなくても1週間生活できます。

 ところで、「KY」という言葉を10年ぐらい前に聞きました。「それ、なんですか?」ときいたら、「空気読め」とか、「空気が読めない」と言う。それで、「なんで空気を読むの?」ときいたら、「嫌われたくない」って言うんですよ。浮きたくない。気遣う。結局、自分が自分でなくなる。

 以前、北九州にあるお寺に書いてありました。「周りにばかり気を遣っていると自分が見えなくなる」と。こういうことは昔から言われているんでしょうね。これ、自己中心の気遣いですから。周りに気を遣っているようで、自分が嫌われたくない。

 電車内で妊婦さんが前に立っていても見えない。見ているのは携帯電話かゲーム機です。震災後、東京でこういう人が増えました。自分にばかり気を遣っている。

 社会の劣化。被災地もいい話ばかりじゃありません。先日、福祉関係の大学教授が話していました。「なぜ、あんなに外車が増えたのか」と。外国の高級車です。増えたことだけは事実でしょう。

 考えられないような事件も増えています。無縁社会です。打つのが強い人間が減って、打たれ弱い人間が増えました。欝が増えてきました。しかも「現代型の欝」です。「現代型の欝」というのは「自己中心の鬱」です。自分以外は全部悪い。それぞれの病院、組織はこういう世の中で生きていかなくてはなりません。
 

 

 
次期改定は「信賞必罰」 
 

 今日、ここに職員の方もいらっしゃっているようですが、病院は職員次第です。今、「ゆとり教育」ではなくて「ぬるま湯教育」です。生徒に嫌われたくない先生が増えているらしいです。

 ここに病院管理職の方もいらっしゃっていると思いますが、「部下に嫌われたくない」という、そんな上司が増えているそうです。「嫌われてもいい」という根性のある管理職がいる病院は強くなります。一種の愛情ですよね。

 今までやったことのない仕事を与えると、「やったことがないので~」と言う職員がいる。これを放置している。「やったことがないからやってみる」という職員もいます。この辺りに、病院のパワーの差が出てくるのではないかと思います。「やったことがないからやってみる」という職員が半分いたら、めちゃくちゃ強い病院になります。すべての仕事は、初めてから始まるんです。

 医療とは、治す、癒す、スピリチュアルです。医療も人生もビジネスも、「損か得か」より、「善か悪か」と言われますが、「損か得か」はあっていいと思います。ただし、「病院にとって損か得か」はやらないほうがいい。今の診療報酬は、「病院にとって損か得か」をやると駄目です。「患者にとって損か得か」です。患者さんはよく知っています。病院経営に秘策はありません。

 次期改定は「信賞必罰改定」になるでしょう。賞すべき功績のある者は必ず賞し、罪を犯した者は必ず罰する。いかに効率よく生産性を上げるか、そして医療資源の節約。薬を一杯出して儲ける時代ではないでしょう。検査もそうですね。

 在院日数と看護師、在院日数と機能です。7対1でも在院日数が19日では駄目です。平均在院日数がどんどん短くなっています。白内障の入院期間が13日という大学病院なんて駄目でしょう。眼科の都合です。手術の件数が少ないからベッドが空く。ベッドを空けておくと外科や内科が取りに来るので一杯にさせておくという大学病院の行動です。

 ご存知のように、急性期病院は機能分化、加えて療養病床も機能分化です。「急性期に対応できる療養病床」と、「急性期に対応できない療養病床」に分かれるような気がします。「上か下か」という話ではありません。「急性期に対応できない療養病床」も必要です。

 最近ようやく、「一般病床は急性期とは限らない」ということがはっきりしてきましたね。一般病床とは、非療養病床のことです。救命救急センターも変わってきました。既得権、独占だったのは過去の話です。厚生労働省は、「強い診療科による連携」という方向性です。県民にとってはこれが一番ハッピーです。すべての診療科をカバーするのは日本でも米国でも不可能だと思います。

 「お金になるからやる」というのはあっていい。休日でもやる。ただし、休日加算を取るためではなく、休日に診なければならない患者さんがいるからやる。例えば、急性期病院のリハビリのスタッフは「リハの必要があれば休日でもやる」と言います。すごく骨があります。
 

 

 
役割分担はしばしば役割分割
 

 来年4月から診療報酬が変わりますが、出てきた点数を見て2年間寝てたらどんどん遅れます。事後対応より事前対応が必要です。事前に対応している病院は、来年4月にほとんどの点数が取れるでしょう。そこからまた2年間走り続けます。

 病棟薬局はアメリカでは常識です。看護師の業務が減るんです。これ(スライド写真)は、ピクシス(pyxis)という機械です。オーダーが出ると、看護師が自分のパスワードを入れる。すると、その患者さんに出された薬の引き出しだけがピッと開く。閉めると下の薬局に情報が下りて、詰め替える。これ、もう15~16年前からです。なかなかこれが日本に入ってこない。これは老人ホームにもあります。盗難防止、記録漏れ、在庫管理などに役立ちます。

 最近、アメリカで「LTAC」(Long Term Acute Care、長期急性期医療)の病院が出てきました。ものすごい勢いで広がっています。アメリカでは、「短期急性期病院」の平均在院日数は5日です。しかし、5日で急性期が終わるわけがない。そこで、LTACが出てきた。ここが、この日本慢性期医療協会にとって大事なところです。

 アメリカでは、STAC(短期急性期医療)の平均在院日数は5日、LTACは25日です。急性期が30日だとすると、日本でSTACが10日になったら、残りの20日をやる病院が必要になります。日本でも、LTAC病院がこれから増えるでしょう。

 救命救急センターはどんどん平均在院日数を減らして10日を切ろうとしています。そうすると、20日をどこが診るのか。1つの基準をつくっていけばいいと思います。今年、この病院に行ったら、LTAC病院が2年で5割も増えたと話していました。猛烈な勢いです。「なぜ5割も増えたの?」とききましたら、「老人が増えた」と答えました。僕も老人ですけど。来月、79です。

 老人の救急患者への対応は亜急性期病床でいいのでしょうか。「亜急性期」の定義、これを厚生労働省がはっきりさせてくれればいいんです。今、老人に認識されています。「あの病院は早く出される」と。そうすると、受ける病院がなければいけない。

 役割分担とは、それぞれが仕事を担うことですが、役割分担はしばしば役割分割になります。なかなかチームにならない。口では「役割分担」と言いますが、分割したがる人がいるんです。
 

 

 
「延命治療」か、「延命医療」か
 

 2007年のデータですが、国民の半数は自宅で死にたくないと言うんです。「どこで死ぬんですか」ときいたら、「病院で死ぬんです」と言う。病院は治すために来る所で、死ぬために来る所ではありません。

 「延命治療をしないことに対する国民の賛否の状況」で、日本では7割が賛成しています。僕は、この「延命治療」という言葉に抵抗があります。延命って治療ですか? 治りませんよね。「延命医療」しないことを希望する人へのケアはどうしたらいいのでしょうか。

 地域で、事前指示書のマップを作ればいいと思います。「地域連携終末期医療」です。救命救急センターや救急病院は、救急治療する所ですから延命します。

 もう20年以上になりますか、私に大きな影響を与えた本で、「いつ死なせるか ― ハーマン病院倫理委員会の六カ月」という本があります。20年以上前のアメリカの悩みが、いま日本でじわじわ出ている。

 愛知県西尾市の特別養護老人ホームで「せんねん村」という所があります。「レット・ミー・ディサイド」で有名です。とうとう昨年、全員が「せんねん村」で死にました。誰も病院に行きませんでした。この近くで延命治療しないことを希望する人がどこに行くかというと、結局は「ここだ」と。

 私の経験で言えば、「延命治療しないでOK」という家族は良い家族ですね。「とにかく延ばしてくれ、年金が止まる」という家族は汚い。いるんですよ。「年金が止まるからできるだけ長生きさせてくれ」という家族。それが世の中でしょう。でも、スパッとした家族のほうが病院職員も楽です。

 先ほどもチラッと言いましたが、医療用語では「延命治療」ですが、「延命医療」ではありませんか。人工呼吸器を付けるとか、「延命治療」もあります。でも、「延命医療」もあっていいんじゃないか、というのが私の意見です。「延命治療」(Cure)か、「延命医療」(Care)か、それを選択なさるのは患者さんとご家族です。何を選択するかは自由ですが、日常の中で家族とコンセンサスを取るべきです。

 延命治療が必要なのは、若い人や中年の人です。蘇生することはあります。でも、多臓器不全の人に必要でしょうか。多臓器不全にPEGを入れるか。僕はバルーンカテーテルを入れたまま死にたくはありません。PEGも嫌ですね。私は94年に事前指示書を作りました。97年に手術しました。

 ここに女性の人もいますが、なぜ女性は夫のことを嫌うんですか? うちの女房は、「あんたが家にいるとムシャクシャする!」って言います。なんちゅうことを言うんだ。俺は女房がいないとムシャクシャする。10ヶ月ぐらい地方に出ていて、電話するとルンルン声です。それで、「給料はちゃんと入れてください」と言う。僕は自宅で死にたい。

 「尊厳死」とは何か。それぞれの人が決めた死に方です。電車に飛び込もうが、首をつろうが、それは尊厳死です。その人にとっては。しかし、「日本尊厳死協会」はなぜ年間2000円も会費を取るの? なんで夫婦割引なの? そのうち、親子割引をつくるんじゃないか。「尊厳死」って、そんなものでしょうか。

 患者さんが自己決定をするために、入院時に「事前指示書」(レット・ミー・ディサイド)が必要だと思うかについて、79%が必要だと答えています。医療現場の皆さんはやっぱり悩まれている。何らかのツールがあればいい。

 やっぱり、「地域連携事前指示書」が必要です。要するにマップです。「あの特養はちゃんと看取りをしてくれる」とか、「ここは徹底的に延命治療をする所だ」とか。

 お医者さんは命を救うことが義務ですから、身体が動きます。先生方は違うと思いますが、大学から来た当直の若いお医者さんは、「人工呼吸器を入れない」ってカルテにも書いてあるのに入れるでしょ。いくつもそういう話を聞いています。

 でも、その当直の先生を責められないじゃないですか。ある三次救急の病院では、装着しようとする時に説明するソーシャルワーカーがいます。一番大切なことは遺族ケアです。嘆き悲しむのは遺族です。(取材・文=新井裕充) 
                   


 



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