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慢性期リハビリテーションの重要性と展望 ── 第22回日本慢性期医療学会

Posted By araihiro On 2014年12月28日 @ 6:46 PM In 会員・現場の声,協会の活動等,役員メッセージ | No Comments

 日本慢性期医療協会が11月20、21日に熊本市内で開催した第22回日本慢性期医療学会(学会長=末永英文・医療法人財団聖十字会理事長)では、5つのシンポジウムと4つのパネルディスカッションが行われました。このうち、学会2日目(21日)のパネルディスカッション4「慢性期リハビリテーションの重要性と展望」の模様をお伝えいたします。
 
 このパネルディスカッションは慢性期リハビリテーション協会(会長=武久洋三・日本慢性期医療協会会長)が企画。座長を同協会副会長の橋本康子氏(千里リハビリテーション病院理事長)が務め、熊本リハビリテーション病院副院長の山鹿眞紀夫氏らが今後の慢性期リハビリテーションについて語り合いました。以下は参加者の発言要旨です。
 

■ 急性期医療の後始末をしないといけない
 
[座長(橋本康子氏)]
 「慢性期リハビリテーション」について、私たちは「急性期以降のすべてのステージ」と考えている。すなわち、「回復期」はもちろん、今まで「維持期」といわれていた「生活期」、それから「終末期」、「認知障害リハ」「障害リハ」など、そういったものをすべて含めて「慢性期リハビリテーション」と考えている。そうした慢性期リハについて本日は皆さんと話したい。ではまず、武久先生にお話しいただく。
 
[武久洋三氏(日慢協会長)]
 リハビリテーションの現状について、現場がどう思っているか。患者はどう思っているか。ベストなリハビリテーションの提供体制になっているのか。私は、現在よりも良い提供体制があると考えている。本日は、リハビリテーションについての提言もしたいと思っている。

武久洋三会長 リハビリテーションとは、失われた機能を個人の身体や生活環境の現状、将来ともに自分らしく適合できるように援助を行うこと。あくまでも患者個人が行うものであって、リハの専門医や療法士らが「自分が患者を治してやる」などと思い上がるなと言いたい。しかし、自分が治すと思っている。また患者も自分がやるものだと思っておらず、リハの療法士やリハ医が治してくれるものだという意識が強い。しかし、やはり自分自身で良くなっていこうという意識がないとなかなか難しい。

 今年3月で、いわゆる「維持期リハ」が終了する予定だったが、今回の改定で無期限に認められた。これは、昨年夏から活動してきた慢性期リハビリテーション協会の成果だと思っている。回復期リハビリテーションについて「急性期か慢性期か」と問われれば、回復期は決して急性期ではない。すなわち慢性期リハの中へ入る。回復期リハと狭い意味での慢性期リハ、それから介護期と生活期と、ずっと続けてリハビリをしないといけない。回復期リハ6ヵ月は長すぎると思われる。

 急性期リハの不十分なところを慢性期リハが補っている。急性期病院は臓器別の専門医が多いので、ターゲットとなる病気を治すことが一番重要になる。例えば、脳梗塞や心筋梗塞の患者さんに、血液が固まらないような薬を大量に出す先生と、そうではない先生がいる。臓器別専門医の間でなかなか境界線が難しいという現状がある。私にも経験がある。血小板抑制剤のようなものを3種類も4種類も長く飲んでいた患者さんが、目の前で大出血をして亡くなったという経験があるので非常に怖いと思っている。

 一方、低栄養の褥瘡は急性期病院からもたらされているものが多い。われわれ慢性期病院は急性期病院から患者さんを受け入れているので、どの急性期病院が優秀かを知っている。きちんとしている病院と、後始末をほとんどわれわれに任せてしまう病院がある。紹介状には、特にカリウムが高いとかナトリウムが低いとかBUNが高いとか、そういうことを全く書いていない場合が非常に多いので、意識が非常に低いのではないかと思うこともある。急性期医療がすべてベストで慢性期医療が劣っているということはない。急性期医療の後始末をしないといけないことも多い。
 

■ リハビリ提供体制の抜本的な改革を

 すべての患者にとって、リハビリという治療方法は必須のものになった。リハビリ部門を特別扱いする時代は過ぎた。急性期病院から紹介される患者さんの中には、低栄養や貧血など身体環境が破壊された状態の人が少なくない。その状態で歩く訓練をしろといっても、「腹が減っては戦ができぬ」ということになる。こういう状況をまず変えなければいけない。

 われわれは、現在のリハビリテーション提供体制を抜本的に改革すべきと考え、以下のような提案をしている。(1)出来高から包括への全面転換、(2)疾患別リハビリの廃止、(3)算定日数制限の撤廃、(4)9時5時リハビリから24時間リハビリへ、(5)嚥下障害のリハビリ、膀胱直腸障害リハビリの優先──。このようなことは今まであまり言われていなかったので、あえて言っている。

 1単位を取るために汲々としているリハビリから、1人ひとりの患者さんのための自由なリハビリをしてはどうか。20分絶対主義から、より短いリハビリや集団リハビリ等、療法士の自由裁量を拡大したほうがいいのではないか。単位に関わらず集中リハをして自主訓練を促し、短期で成果を得るということが必要ではないかと思っている。疾患別リハも同じ国家資格者が同じ20分間のリハビリを行うのに、疾患によって差を付けることになんらかの意味があるのか。

 リスクの高い、技術的に困難なリハビリの点数が低いのは、どういう理由かがよく分からない。神経損傷のない廃用性症候群は、神経損傷のある脳卒中よりも早く十分にリハビリをすれば社会復帰は早いと思う。患者が脳卒中になるか廃用性症候群になるかは選べない。たまたま廃用性症候群になったら非常に気の毒で、リハビリを受けられないこともあり得る。日本の診療報酬は、重度で複雑で治療に困難を伴う症例に高く設定されている。ところが、脳血管リハだけがこれに反しているのはいかなる理由か。

 人間は動物なので、一生涯、動き続けられるようにするためにリハビリが必要だ。リハビリが包括化になれば、症状改善の可能性がある限り、日数に関係なくリハビリをすることができる。まずは自主訓練が必須であると思っている。
 

■ 「総合目的のリハビリ」をつくり上げていく

 「9時5時リハビリから24時間リハビリへ」ということも提案したい。患者は夕方5時から翌朝6時までじっと寝ているわけではない。夜中にトイレに行きたくなって、転倒して事故になることがある。人間が動く間は当然リハビリが必要だと思っている。昼間だけリハビリをすればいいという非常識が常識化している異常がある。

 一方、今改定で新設された地域包括ケア病棟は、リハビリテーションが「1日2単位以上」とされ、包括になった。2単位さえやっていれば、あとは集団リハやIADLリハ、ADLリハなどを5分刻みでやってもいい。現在、19分30秒では1銭にもならないという非常におかしな制度になっている。地域包括ケア病棟では、2単位が包括だから2単位だけすればいいという病院と、4単位、6単位する病院がある。当然、アウトカムに大きな差が出てくる。地域の中で評価される。

 嚥下リハビリや膀胱直腸障害のリハビリは優先的に行わなければならない。食べることや排泄することは人間性の根源である。おむつをして経管栄養をしている人が歩行練習に熱心になれるか。これらを先に治してやらないといけない。嚥下障害リハビリや膀胱直腸リハビリに多くの時間を取っていく必要がある。

 早いうちに集中的にリハをする必要がある。今は9単位しかできないわけだが、24時間あるのだから、寝る時間が8時間ならば16時間残っている。病状にもよるが、16時間リハビリをするのが適正だと思っている。10時間リハビリをしたら30単位になる。現在、9単位まで抑えられている。しかし、最初の1ヵ月間は集中的にもっと多くできるようにしてほしい。そのためにはリハビリの包括化が必要である。6ヵ月間、9単位をずるずるやる方法は正しくないのではないか。

 リハビリをするうえで必要な視点は、患者さんが自宅に帰ったときに在宅でどのように生活するかということ。ご自宅での生活は人それぞれ違うので、患者さんの意向に合わせなければいけない。残念ながら、患者のホームワークに影響されることもある。自宅でできる機能、自宅できない機能などをきちんと明らかにする。例えば、糖尿病は本人がいろいろ苦労しながら治していく。同様に、リハビリも自分自身の問題。病気を治すのは自分自身、患者自身である。

 例えば、ピアノの練習ではまず右手だけで練習し、徐々に弾けるようになってから左手にして、それから両方を合わせていく。このような形で、「総合目的のリハビリ」というものを徐々につくり上げていくような企画力や創造力を持つ療法士が必要だと思う。その療法士に対してリハ計画書、リハ指示書を出す医師の「指示の出し方」が非常に重要になる。
 

■ リハビリ力の有無によって病院の評価が決まる

 われわれ医療者は、少しでも良くなる見込みがあれば、一生懸命に努力して治療する。「高齢者に医療をやるのはもったいない」と考える人もいるが、医学は不老長寿やがん克服を目指して進歩してきた。その恩恵にあずかることなく高齢者は死んでくれという考え方はおかしい。ターミナルと高齢者が医療を受けることとはまた別であるから、ターミナルということの中に看取りというのが入って、慢性期はトリアージなのかということになってくる。良くなる見込みがあれば治療するのがわれわれの使命である。

 私は、「総合リハビリテーション療法士」の必要性を主張している。例えば訪問リハビリで、「今日はPTが訪問して明日はOT、明後日はST」なんてことはおかしい。OTはPTやSTについて勉強し、またSTもOTやPTのことを勉強する必要がある。ある程度リハビリが終了してから在宅に帰るわけだから、総合的な機能を果たす職種が必要ではないか。そして、途中から「どうも嚥下の状態がまた悪くなったな」ということになれば、「ではSTさん、お願いします」とつないでいく。これが正しいやり方ではないか。

 これからの慢性期医療は、急性期医療が徐々に制限されていく中で展開する必要がある。それはリハビリ力の強化である。改善の見込みのある選ばれた人だけをリハビリする時代はもう終わった。病状が非常に重い人でもきちんとリハビリして、病状が回復すると共に日常生活に帰っていけるようにすべきである。リハビリテーションは生涯リハビリであり、チームでリハビリを行っていくことが非常に重要となる。これからは、リハビリ力の有無によって病院の評価が決まる時代になると思うので、そういうことを私から提案させていただく。[→ 続きはこちら]
 


 

 

■「リハビリテーション力」を国民に理解してもらう

[座長(橋本康子氏)]
 ありがとうございました。武久先生は所用で退席予定のため、この後のディスカッションには参加できない。そこで今、質問や意見があればお願いしたい。

[会場から]
 三重県内の病院で理学療法士をしている。武久先生が「生涯リハビリテーション」とおっしゃった。実際、ターミナルになると訪問看護に切り替えられてしまうことがあるが、一部の往診医は「最期までリハビリが必要だ」と言って逆に強く押していただいてリハを入れたケースもあった。お亡くなりになるまでリハビリテーションを提供していくために、いま療法士に必要なことがあればご助言いただきたい。

[武久氏]
 「リハビリテーション力」を国民に理解してもらう必要がある。マッサージをしたり手足を動かしたりするのがリハビリであると考えて、作業療法的なことをやると、「これはリハビリではない」と思う患者がいる。しかし、人間の一生は限られている。60歳で亡くなる方も90歳まで元気な方もいるが、それぞれの人が最期、亡くなる前の時に体がガチガチで全く動けない状態で、天を向きながら息絶えるというのはあまりに悲しい。チーム医療としてリハビリは必須であり、今後も在宅リハビリをどんどん頑張っていただきたい。
 
[座長]
 ありがとうございました。

[武久氏]
 私は、リハ専門医やリハに関わっている医者、PT・OT・STの味方である。あなた方ができるだけやりやすいように変えていったほうがいいと思う。ガチガチに縛られた体制の中で極めて限られたリハビリをするのではなく必要なリハが自由にできるように、リハビリを良い方向に持っていってもらいたい。

[座長]
 続いて、山鹿眞紀夫先生から「慢性期リハビリテーションの重要性と展望」についてお話しいただきたい。
 

■ 地域包括ケアはリハビリの支えがなければ無理
 

[山鹿眞紀夫氏(熊本リハビリテーション病院副院長)]
 まず、「リハビリテーションとは」ということについて改めて考えてみたい。リハビリテーションという言葉は、狭い意味では「機能訓練」を指して使われている場合もあり多義的だが、ここでお話ししたいリハビリテーションは広い意味でのリハビリテーション。先ず、これまで提案されてきたリハビリテーションの概念・定義について考えていきたい。

山鹿眞紀夫氏 「慢性期リハビリテーション」とは何か。確かに機能訓練は非常に重要だと思うが、これにあまりにも偏重していたのではないか。もう少し社会参加も含めて考えていくべきではないか。現在、各地域で進められている地域包括ケアシステムは、リハビリテーションの支えが非常に重要になる。

 近年、リハビリテーションという言葉は非常にポピュラーになったが、私が卒業した頃は医療法では「理学療法」であったし、リハビリテーションの和訳としては「更生医療」という言葉が使われていた。この「更生」という言葉が、誤ったイメージを与えたのではないか。本来、「全人間的復権」という意味がリハビリテーションに与えられるべきであると思う。

 「包括ケア」を英語に訳すと「integrated care」、まさに「統合」という意味で、これは今に始まったことではない。昔からの概念がようやく今、社会づくりの中で進められている。まさに「地域リハビリテーション」の考え方。1982年に国連は「障害者に関する世界的行動計画」において、各個人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくことなどを求めている。
 

■ 訪問リハや通所リハだけが慢性期リハか

 先ほどの話は広い意味でのリハビリテーション論だが、「リハビリテーション医学」の中で考えると、保険制度による「リハビリテーション医療」を区別して考える必要がある。病期で区分すると、まず急性期があって回復期や慢性期、維持期、生活期がある。この「慢性期、維持期、生活期」の部分は、医療制度としては通所リハ、訪問リハ、療養病床でのリハになる。しかし、通所リハだけが慢性期・生活期のリハなのか。訪問リハだけが慢性期・生活期のリハなのか。それだけが慢性期・生活期のリハなのかということを考えなければいけない。保険制度の観点からのみリハビリテーションをとらえていないかがポイントとなる。

 急性期から回復までは医療保険で、その短い時期は身体機能の改善を目指した機能訓練という部分がメインになる。一方、慢性期・生活期を担う介護保険の部分では、生活機能の維持向上がメインになる。保険制度で切り分けると両者は目的が違う。そうすると、医療保険のリハビリを介護保険でやり続けていないかが問題になる。繰り返しになるが、訪問リハや通所リハで機能面へのアプローチに偏っていなかっただろうか。そして訪問リハ・通所リハによるアプローチだけが本当に慢性期のリハなのかというとちょっと違うと思う。

 介護保険における給付サービスでは、お世話のサービスばかりが横行しているような気がする。もっと自立へのサービスを強めていく必要があり、リハビリテーションが関与して行かないといけない。介護保険が発足するにあたり、高齢者リハビリテーション研究会が作られ、研究会の報告書が出された。その中で、リハビリテーションの理念として「リハビリテーションというのは単なる機能訓練ではなく、全人間的復権を理念として日常生活の活動を高めて、家庭、社会への参加を促し、自立を促す」とされ、また、高齢者のリハビリテーションに求められるものとして、「生活機能の向上を目的として、利用者本人が望んでいる生活を支えていくこと」と述べられ、方向性はあくまでも本人が決める点が強調されている。これは10年前の話だが、改めて報告書を読むと、この10年間であまり変わっていないなというのが正直なところだ。そこで、2025年に向けて地域包括ケアシステムを整備していくため、厚生労働省は今年の9月から10月にかけて「高齢者の地域におけるリハビリテーションの新たな在り方検討会」を開催した。とりあえず考え方の大枠はまとまり、来年の介護報酬改定に反映されるだろう。
 

■ 「機能回復」偏重から「社会参加」へと動いていく

 高齢者の地域におけるリハビリテーションの新たな在り方検討会では、「生活行為向上リハビリテーション」が提案された。これは、非常に画期的な変化だろうと思っている。やはり、これまでの心身機能に関するアプローチだけではなく、この活動参加という部分についてもう少ししっかりと目を向けていくべきだという流れが打ち出されている。医療保険の部分では、どうしても機能回復面、心身機能へのアプローチが主体になってくる。しかし、生活期においても、この部分をずっと引っ張ってやってきたような感がある。生活期になったらむしろADLからIADLに取り組む。そして社会参加という部分に対し、リハビリでもしっかりアプローチしていく。機能回復偏重から社会参加へと、リハ職も動いていく必要がある。

 当院では、「とにかくみんなでやろう」ということで、集団での起立訓練を取り組んでいる。時間になるとみんな集まって、集団で声をかけながら各々やれる範囲で起立訓練を行う。FIMやBIでの効果があるだけでなく、声量が上がり呼吸状態が良くなったり、覚醒レベルが安定し反応性が良くなったりもある。個々での起立訓練よりも、集団でやるようになって付帯効果もみられている。

 「居る場所、行く場所、座る場所」とよく使われるが、むしろ「座る場所」というよりは「過ごす場所」だと思う。とにかく、行く場所、過ごす場所がないと外へ出ていけないので、コミュニティーの場をつくる。そういう活動こそが地域リハビリテーションの活動そのものであり、今後はこうした活動もリハ職は積極的に進めていく必要がある。例えば、週に定期的に個人で運動をやっている人と、グループ活動に参加して体操教室やスポーツクラブなどに通っている人を比べると、1人よりもグループでやるほうが良い結果がみられている。転倒率や認知症発症率などでも明らかな差があるという報告も出されている。つまりグループの中でやる事に意味がある。1人でやるよりも、みんなでやることが非常に重要である。
 

■ 連携から協働へ、コラボレーションの時代

 地域包括ケアはニーズに応じた住宅があるのが基本となっており、どのような障害があっても、その人らしく住み慣れた場所で暮らすこととされている。これはまさに地域リハビリテーションそのものだろう。独居や老老介護、孤独死などが増える中で、慢性期から維持期、生活期のリハ、介護期のリハ、終末期のリハなどが非常に重要になる。

 最近、互助やインフォーマルな部分が強調されている。地域包括ケアがうまく機能するためには、地域リハビリテーションが下支えする必要がある。通所リハや訪問リハもそうだが、リハビリは単なる医療行為だけではないので、リハの専門職種だけではなく、広い意味でのリハビリ・マインドを持った人たちが支えていく必要があるだろう。医療保険や介護保険におけるサービスだけでは足りない。私たちはもっと自助の部分を積極的にサポートしていかなければいけない。インフォーマルな部分を積極的にサポートする。もちろん公助の部分、例えば地域支援事業なども積極的にサポートしていく。

 今年6月に研修でオランダを見学した。自分の送りたい生活をしていくためのケア体制や仕組みを見てきた。そして、制度などの違いはあるものの、ボランティアの関わりが強く印象に残った。リハビリテーションは、狭義では「リハビリテーション医療」を意味すると考えられがちだが、診療報酬や介護報酬の対象にはなっていないリハビリテーション、専門職種によらないリハビリテーションがある。これらをすべて含めたものが「広義のリハビリテーション」であり、リハ・マインドを持った人々によるリハビリテーションをもっと充実させる必要がある。

 各地域で連携パスの取り組みが進んで久しい。今後、急性期は恐らく2週間前後になり、急性期~亜急性期・回復期の医療も更に短縮されるかもしれない。しかし、本来この後の人生のほうがはるかに長い。急性期を経過した後の長い生活を幅広く担うためには、地域リハビリテーション体制が整備され、生活期におけるリハビリテーション体制ができてこないと無理だろう。「連携」とは、同じ目的を持って連絡を取り、協力し合って行うことであり、「連携」はまさに「協働」である。「地域連携パス」のような書面をやり取りするだけでは決してうまく進まないことはよくご存じだろう。もうそういう紙のやり取りではなく、協働、コラボレーションの時代なのだろうと思う。

 急性期段階における早期リハビリテーションが徹底され、維持期や在宅を含めた連携、協働に進んでいかなければいけない。急性期や回復期のリハビリテーションは極めて短期間。むしろその後の人生がはるかに長い。人生を支える慢性期や生活期のリハビリテーションは、地域包括ケア時代においてますます重要になってくる。そうした意味でのリハビリテーションが多くの人々に理解されるように、私たちは頑張っていかなければいけない。
 

■ リハビリテーションに「卒業」はあるか

[座長]
 ありがとうございました。では、パネラーとして木戸先生にも入っていただき、ディスカッションを始めたい。退院すると患者の環境が変わるわけだが、変わった後の環境はあまり見られていない。そこで継続したリハビリが、有効なリハビリがきちんと実施できているか。「連携」といっても、そのあたりのことでさえ、うまく連携が取れていないのではないか。山鹿先生のおっしゃるように、「協働」を重視する考え方も必要であると思う。

 例えば、セラピストの方とケアマネジャーの方、訪問看護・介護の方々が一緒になって、退院した直後はそのグループでフォローしていくということができれば、もう少しスムーズに進むのではないか。連携は、単に申し送りをすることだけではなく、協働というか、一緒にその場で働くということも必要ではないかと改めて思った。

木戸保秀氏

 
[木戸保秀氏(松山リハビリテーション病院院長)]
 共通の言語や共通の知識・経験などがないと、協働は難しい。例えば生活環境の問題。段差が一つある。杖1つの使い方もいろいろある。個々人の経験知によって対応方法が違ってくる。従って、そういう部分をフェース・トゥ・フェースできちんと伝え、そういう知識や経験を共有していく。

 そのためには、スタッフの育成や教育が大切である。セラピストが増えている中で、各事業所や病院での教育に苦労されていると思う。そういう部分を、慢性期リハビリテーション協会などが中心となって進め、セラピストだけではなく介護士やケアマネ、看護師らに対する慢性期リハビリテーションの教育を徹底していければいい。
 
[座長]
 ありがとうございました。ほかにご意見やご質問は。
 
[会場から]
 福島県内の病院で理学療法士をしている。リハビリテーションに「卒業」、すなわち終わりはあるのか。2025年問題やマンパワーなどの問題で、訪問や通所などでのフォローといいう形でも、だんだん終了していかなくてはいけないケースも今後出てくると危惧している。自立して、リハビリテーションを卒業できる患者さんは非常に少ないが、卒業させなければいけない状況が今後出てくると考えている。リハビリテーションの終了、卒業ということに関してアドバイスを頂きたい。
 
[山鹿氏]
 すべての患者さんがリハビリテーションを卒業できることは決してない。今後、今まで通りのスキームの中に新たに卒業を目指すような部分がつくられると思うが、「20分やらないといけない」とか、「20分以上はできない」ということはおかしいので、新たな枠組みをつくるのだと思う。今までが全くガラガラポンになって、一切できなくなることはないと見ている。
 
[木戸氏]
 「リハビリの終了」とは何か。例えば「期間」なのか、あるいは「到達した」という意味なのか。到達した後も継続されるリハビリテーションがある。それが医療によるものなのか介護保険によるものなのか。私は、そういう制度的なものに振り回されずに、患者のニーズに応じたリハビリテーションがあると考えている。

 例えば、排泄の問題。病院ではトイレに一人で行けるようになったとする。しかし、自宅に帰ったらどうか。環境の変化に応じて、そこに新たなリハビリが生まれてくる。日本慢性期医療協会の武久会長は「24時間リハ」を主張している。家族やヘルパーらが、すでに24時間リハをやっている。個々人の生活に応じた中で、リハを担う者がどういうことを継続してやっていくかという課題に応えることが必要である。そこに関わってやっていくことが訪問リハの役割であり、訓練士の新たな仕事になっていくと思う。
 
[座長]
 ありがとうございました。「リハビリテーションの終了」という問題はなかなか大きな問題だと思う。がん患者さんのターミナルだけではなく、あらゆる疾患に終末期はある。そのあたりまで考えていくと、どこが始まりでどこが終わりなのか、奥が深い問題であり、今後も考えていかなければいけないと思う。
 
[木戸氏]
 最近、がん患者さんのリハビリのニーズもだんだん増えてきている。どこまでリハビリを提供し続けていくのか。亡くなるまでリハビリを受けたいという希望がある。少しでも生きていたいという希望につながるのがリハビリである。あるいは、「家族に負担をかけたくない」とか、「できるだけ自分でトイレに行きたい」という希望もある。リハビリをすることによって、気が紛れて痛みを和らげたり、気持ちを癒したりする効果も期待できる。リハビリによって患者さんの苦しみを救うことができる。

 そのように考えると、あらゆる疾患がリハビリの対象になる。それは特に慢性期において強調できる。例えば、認知機能が低下して生活に支障をきたしたとき、まず誰に相談するか。ドクターよりも前に、身近で関わっている看護師やケアマネが考えられるが、その患者さんの認知機能低下を最も理解できるのは作業療法士やSTである場合もある。とすれば、認知機能に対するリハビリのアプローチも可能だろう。さらに高次脳機能障害や発達障害、精神面に関わる問題に早く気付ける、相談に乗れるような立ち位置になっていくことも、これからのリハビリの役割ではないか。

[座長]
 ありがとうございました。慢性期リハビリテーションの範囲は幅広く、多岐にわたっている。急性期以降、亡くなるまでと、すごく期間が長い。そこには認知症リハ、障害者リハ、終末期リハもある。嚥下リハもある。従って、一概に「慢性期リハビリテーションはこうすればいい」ということは言えない。

 しかし、日本は超高齢化で、2025年、2035年と大きな波がくる。高齢者は増えるが人口は減り、若い人も減っていく。そうした中で、いかに人間の尊厳を守りながら、いつまでも希望を持ち続けられる社会をつくっていけるか。慢性期リハビリテーションは非常に範囲が広いので明確な結果が出せなかったが、現在のリハビリテーション医療に対して問題提起をさせていただくという意味はあったと思う。本日はありがとうございました。
 



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