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【第36回】 慢性期医療リレーインタビュー 賀勢泰子氏

Posted By araihiro On 2014年2月28日 @ 12:53 PM In インタビュー,会員・現場の声 | No Comments

 徳島県の東北端に位置し、鳴門海峡を隔てて本州と結ぶ四国の東玄関をなす鳴門市は人口約6万人で、高齢化が急速に進んでいます。海沿いに立つ鳴門山上病院は、長年にわたり高齢者ケアに取り組み、「わたしも受けたいケア、わたしも利用したい施設。わたしたちは、それを目指します」の理念の下、地域のニーズに応えるケアネットワークを展開しています。同院の診療協力部長で薬剤師の賀勢泰子氏に、高齢社会を支える病院薬剤師の役割などについてお話を聞きました。
 

■ 薬剤師を目指した動機
 

 薬剤師になろうと思ったのは高校生の時です。商社勤務の叔父が、外国で撮影した写真を見せてくれました。その中にはアメリカの薬局の写真もあって、アメリカの薬剤師の話もしてくれました。叔父は、「アメリカでは薬剤師がすごく尊敬される職種になっているし、女性でも専門職として生きていける。自立した人生を歩むことができる」と言いました。進路を決めかねている時でしたので、「すごく素敵だな」と思って、薬剤師になりたいと思ったのが動機です。

 その時、母は「いいんじゃない」って賛成してくれたのですが、父はすごく子煩悩で、私を遠くに離したくなかったようでした。父から「薬学部に行くのはいいが、四国から出るな」と言われました。当時は、四国と本州をつなぐ橋がなかったので、主な交通手段は連絡船です。その昔、連絡船が衝突して沈んで、修学旅行の生徒がたくさん亡くなったという痛ましい事故が起きましたので、父は「陸つながりならどうにか歩いて帰ってこられるが、島を出ちゃうと危ない。地震が来たりしたらどうするんだ」と心配しました。

 父は、「四国にある大学の薬学部だったら行ってもいい」と言ってくれたので徳島大学の薬学部一本に絞って勉強しました。高校の先生は、「すべり止めのためにいろんな大学を受けなくちゃいけない」っておっしゃったのですが、父は「四国以外の大学を受けたってダメだ」と聞き入れません。私は「徳島大学しかない」と思う一方、「落ちたらどうするんだろう」と不安でどうなることかと思いましたが、直前に詰め込んで、夢が叶いました。こうして念願の薬学部に入学したものの、振り返ってみれば部活で弓道に熱を上げ、学生生活を楽しむ日々、もっと勉学に励んでおけば良かったと反省しています。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 最初の就職先は急性期の病院でしたが、あまり患者さんに接することはなく、大勢の薬剤師の中の1人でした。朝から晩まで、処方箋調剤ばかりしている昔ながらの薬剤師でした。その後、結婚を機に転居し、現在の病院で慢性期医療に関わるようになりました。当院は、高齢者の理想郷を目指すという理念でつくられた病院です。当時はまだ、高齢者に特化した病院は少なかったと思います。私にとって当院が、慢性期医療に関わるスタートになりました。

 当初は、さほど専門的なことをしているという意識はありませんでしたが、医師や看護師の相談をうけ病棟に上がるようになっていろいろな発見がありました。ある種の薬では処方箋通りに正しく調剤した薬が有害事象を起こす。常用量で調剤しているにもかかわらず飲んでいただいたら意識喪失をする、有害事象が起きる。薬を減量したらちゃんと意識も戻ってきて、普通に食事がとれるようになる。逆に、安静第一で点滴ばかりずっと続けて寝たきりだった人を起こして、経口摂取に移行する努力を続けリハビリを強化すると、笑顔が出て食欲も出てくる。急性期で正しいと思ってやっていたことを、そのまま続けていくのではなく、高齢者に合った対応をする必要があるということを知ったのは衝撃的でした。

 薬剤師が病棟に出ることで学ぶことは非常に大きいと思います。薬の力で病気を治し、患者さんを元気にしたいのに、薬によって患者さんに有害事象を起こすこともある。病棟薬剤師には、それを防ぐ役割がある。慢性期医療の現場にいると、そういうことに気付くことが多く、また気付かないことで失敗したことも多々あります。そんな経験を積み重ねて、安全な医薬品を患者さんに提供し、薬剤師がチームの輪の中で、みんなと手を取り合って患者さんと関わっていく必要があります。先生方から教わること、多くのスタッフから教わること患者さんの情報を共有することを通じて、「知らなかった」と気付くこともあります。患者さんや家族の方と手をつなぎ合うような関係で、慢性期医療が行われることが私の願いです。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 私は慢性期病院で薬剤師をしていますので、病院薬剤師の立場からお話ししたいと思います。現在、病院薬剤師は入院のことだけ見ていればいい、在宅は薬局薬剤師だという切り分けみたいな意識があります。実際、病院薬剤師も病棟の患者さんしか関与できていません。しかし、退院後のフォローが十分でないために、再び病院に戻ってきたり、在宅で状態が悪くなったりしている患者さんがいます。在宅に戻った後に、きちんとフォローしてあげる薬剤師がいないならば、病院から在宅に出て行って、フォローしてあげる必要があると思います。
 
 在宅医療に積極的に取り組む薬局がある地域ならば、在宅支援薬局の薬剤師(保険薬剤師)がフォローしてあげられますが、そういう薬局が不足している場合には、地域の基幹病院がフォローする、病院薬剤師が出向いて行く、あるいは期間限定でも連携するようなシステムがあったほうがいいのではないでしょうか。病院と薬局がすみ分けるのではなく、連携していくことが求められていると思います。入院中の状態をよく把握している薬剤師が保険薬剤師と協働し、つないでいく。保険薬剤師にとっても、病棟薬剤業務のノウハウや経験ある薬剤師は頼りになる存在ですし、患者さんにとっても、今まで病院で見てくれていた薬剤師が来てくれるのはすごく安心です。病院薬剤師の仕事は、患者さんが退院したら終わりではなく、継続して関わっていくことが、これからの病院薬剤師の役割ではないかと考えています。
 
 当院のある地域は田舎ですので、保険薬局さんに「在宅に戻った患者さんのフォローに行ってもらえませんか?」とコンタクトを取るのですが、広いエリアの中に住宅が点在していますので、薬局さんから在宅患者さんのご自宅まで20キロも距離があって、「ちょっと遠くて行けませんね」と言われることがあります。
 
 当院は海の近くの美しい場所にありますが、漁業、農業を主とする過疎地でもあり、近くにスーパーマーケットはありませんし、薬局も何もないような所です。鳴門市以外でも、病院から患者さん宅まで何キロも離れている地域はあると思います。ドクターに頼まれれば、20キロでも30キロでも訪問に行く保険薬剤師がいるかもしれませんが、「在宅患者さんをフォローしたい」という薬剤師の気持ちだけでは、個人プレーにしかなりません。そういう問題は、鳴門市だけではなくて、いろいろな所で抱えているのではないかと思います。地域包括ケアシステムの構築が求められている時代ですから、病院の薬剤師が在宅に出向いていくシステムを整えていくことが、今後は必要ではないかと思います。

 とはいえ、病棟業務だけでも手一杯なのに、さらに在宅まで関与するようにと言われても無理だという気持ちは、多くの病院薬剤師にあると思います。でも、ちょっと発想を変えて、在宅のニーズがあるのだから、病棟だけでなく在宅に関わる病院薬剤師を充実させていくという考え方もあると思います。かつては、病院薬剤師が多くて薬局薬剤師は少なかったのですが、現在は両者の比率が逆転しています。病院薬剤師が、急性期の大病院やドラッグストアに引き抜かれているような状況もあります。しかし、急性期医療から回復期、慢性期医療の連携と在宅包括ケアのニーズが急増する今後を考えると、その流れはおかしいと思います。
 
 ですから、病棟薬剤師は病棟のことだけをやっていなさいという考えではなく、入院から在宅まで、切れ目なく患者さんをフォローしていくことを考え、病院薬剤師が在宅まで積極的に出て行けるようになればいいと思います。診療報酬上もそのような流れを後押ししていただき、在宅に関わる仲間がたくさん集まるようになればいいと思います。「保険薬剤師はこういう点数で動いて、病院薬剤師がこんな点数ですよ」という垣根をなくし、オール薬剤師の業務を評価していく。必要ならば病院からも在宅へ出て行けるし、保険薬局からも出て行ける。そういう方向にそろそろ近づいているのではないかと思っています。
 

■ 若手スタッフへのメッセージ
 

 若い方には、先入観を持たずにいろんな事にチャレンジしてもらいたいと思います。学校卒業して知識を得ても、まだスタートラインに立ったばかり。そこがもうゴールだと思わずに、臨床の場に出てからが新たなスタートラインだという気持ちを持って、いろんな事に関わってほしい。経験や知識を組み立てて、患者さんのために役立てられるような医療者を目指してほしいと思います。
 
 最近の若い人たちは専門志向が強いような気がしますが、まずはベースを固めてほしい。ジェネラリストとして患者さんと向き合い、薬物療法にも対応できるだけのベースをつくってから専門領域に進んでほしいと思います。いきなり専門に行きたがる傾向がありますが、実は損失になるのではないかと心配です。専門領域に限られいろいろな経験ができなくなるからです。
 
 慢性期医療に関わる薬剤師は、特に幅広い知識を持つ必要があります。高齢者は、多くの疾患を抱えています。海外の老年専門医は、長年の幅広い経験があり、ベースがあってはじめてその資格が取得できると聞いたことがありますが、本当にそのとおりだと思います。ですから、いきなり専門に進むのではなく、まずはジェネラリストとしてのベース、つまり多方面の知識をきちんと持って、いろんな経験をして、その上に専門を積み重ねたほうがいいのではないかと思います。
 
 それから、患者さんに寄り添って仕事をする喜びを感じてほしい。何をやるにしても、「こんな事ができてよかったな」、「自分にとってプラスになる経験ができたんだな」というふうに考えてほしい。「なぜ、こんな事をやらなくちゃいけないんだろう」と考えるのではなく、自分がやれる事、いま取り組んでいる事の中で自分は何を勉強できるのか、仕事の意味を考えながら関わっていけば、必ずうれしい事や喜びが出てくると思います。無駄な事は何もないし、今やっている事は、今すぐにではないかもしれないけれど、きっと自分の役に立つはずだと思って仕事をしてほしい。もうひとつ、何事もひとりの力でできるものではなく、目に見える形、見えない形でまわりのスタッフや患者さんご家族のみなさまに支えてもらって仕事が成り立っていることを忘れないで欲しいと思います。いつも、感謝の想いで前向きに仕事に向き合っていれば、すべて喜びにつながってくると思います。
 
 
■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 多くの人たちに対して、「慢性期医療とはこうあるべきだ」ということを常に情報発信してほしいと思います。現在、協会では各種の研修や学会などを開催し、様々な領域で認定制度を発足させるなど慢性期医療の質を高める取り組みを進めていますので、これからもぜひ続けていってほしいと思います。
 
 私も様々な学会に参加させていただいていますが、学会に行って感じるのは、すごくレベルが高い病院もあれば、これから取り組み始めたばかりの病院もあります。日本慢性期医療協会は、そういう様々な病院を導くようなリーダーシップを発揮していただき、各職種を応援していってほしいと思います。
 
 日本慢性期医療協会では、平成22年に「慢性期医療認定病院」認定制度も発足させ、すでに36病院(平成25年12月現在)が認定を受けています。機能評価を積極的に受けて、自院の業務を見直し、次のステップに進むことも必要です。慢性期医療の質向上を目指す多くの慢性期病院をこれからもリードして、日本の慢性期医療をどんどん良くしてほしいと期待します。人生を終わらせる時に、「生きていて良かった、こういう国に生まれて良かった」と思えるような医療を提供できるように、そういう未来をつくってほしいと思っています。                  (聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】
 
 昭和49年3月  徳島大学薬学部 薬学科卒業
 昭和49年4月  住友別子病院 入職
 昭和52年4月  医療法人久仁会 鳴門山上病院 入職
 
 <役職等>
 医療法人久仁会鳴門山上病院 理事 診療協力部・管理部 部長

 <その他>
 日本慢性期医療協会 研修委員会 委員
 日本慢性期医療協会 チーム医療推進委員会 委員
 
 (社)日本病院薬剤師会 理事 療養病床委員会 委員長
 徳島県病院薬剤師会 理事 副会長
 徳島県草の根研究会 代表
 簡易懸濁法研究会  幹事
 日本病院薬剤師会認定指導薬剤師


 



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