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【第30回】 慢性期医療リレーインタビュー 富家隆樹氏

Posted By araihiro On 2013年8月6日 @ 4:12 AM In インタビュー,役員メッセージ | No Comments

 11月14(木)、15日(金)の両日、日本慢性期医療協会(日慢協、武久洋三会長)は東京・台場の「ホテル グランパシフィック LE DAIBA」で、「第21回日本慢性期医療学会」と「第3回アジア慢性期医療学会」を同時開催します。テーマは「日本の医療、慢性期からの再出発」。大会長を務めるのは医療法人社団富家会・富家病院の理事長・院長で、日慢協常任理事・事務局次長の富家隆樹氏です。これからの慢性期医療はどうあるべきか、東京大会に向けた抱負などを語っていただきました。
 

■ 医師そして外科医を目指した動機
 

 富家病院は母が開設しました。その当時、昭和50年代は女性が社会進出するには障壁が高い時代でした。さらに医療業界は障壁が高かったのですが、女性でありながら医師でもない三重から上京した人間が病院を設立しました。今思っても想像を絶する苦労だったと思います。子どもだった私にもその苦労は充分すぎるほど伝わってきました。無理をしすぎたのでしょうか、平成16年に59歳という若さで他界しました。私が医師という職業を目指したのは母の影響が大きいと思います。
 
 医学部に進んで6年生になり、国家試験の準備に入った時に気分転換にと手に取った山崎豊子の「白い巨塔」が私の進路を決めました。財前五郎がすごく格好良く見えて、私は「外科医になろう」と決意しました。手術という限られた時間に集中して、その人の命を救うという医師の姿に憧れたのです。
 
 そうして外科医の道に進みましたが、心の片隅に「いつか病院を継がなければいけない」という思いがあり、とにかく早く技術を身に付けようと必死でした。当時、外科研修医の初手術は急性虫垂炎と決まっていました。当時では緊急の手術です。同期は9人いましたが、患者さんの数は変わらないので、いつ自分に順番が回ってくるか分かりません。救急車を待つために週末は病院で過ごす日々を送りました。土曜日はたいてい夕方の5時に帰れるのですが、私は帰りません。当直の研修医がもし緊急手術に入ったら、次の緊急手術は私に回ってくるかもしれません。日曜日も午前中に包交(包帯交換)に来て帰っていいのに、夕方まで医局にいました。しかし結局、2年間で1件ぐらいしか手術ができませんでしたが、他の手術に助手で入らせてもらったり処置などをさせてもらえたりしました。
 

■ 「ずっと長く付き合う医療がいい」
 

 研修医時代を過ごした大学病院で、ある指導医の先生はこう言いました。「外科医というのは、自分が切った傷口は覚えているが、患者の顔なんか覚えていない」と。その先生は良い意味でそうおっしゃっていたのですが、私はそうとらえませんでした。ちょっと不適切な言い方かもしれませんが、大学病院の外科病棟はまるでベルトコンベアに乗った工業製品のように次から次へと流れてきて、患者さんの顔も覚えないまま、とにかく治療して退院させるという作業です。そんな中で私は次第に、「ずっと長く付き合う医療がいい」と思うようになっていきました。
 
 母の病院はいわゆる「老人病院」でした。今では介護施設に入所するような方も入院していた記憶があります。
 当時の大学病院の上司にひどいことを言われました。「お前の病院は死んでもいいやつばっかり入っているんだろう?」と。それがすごく悔しかった。死んでもいい患者さんが入院しているわけがない。でも、当時の「老人病院」は、社会的入院の問題や新聞などで「姥捨て山」みたいに書かれることがありました。でも、私たちがやっている慢性期医療はそんなふうにばかにされる医療ではない。社会になくてはならない医療のはずだと思いました。
 
 病院を継いだとき、まず考えたのは「当院でしか診られない患者さんを診ていこう」ということでした。医療度が高くて施設ではなく病院でしか看ることの出来ない患者をしっかり診ていこうと思いました。そうした取り組みが現在につながり、「重度の慢性期医療」を目指しています。当院は現在202床で、慢性期に特化したベッド構成になっています。療養病棟89床、特殊疾患病棟56床、回復期病棟28床、障害者病棟29床です。入院患者さんの医療の内訳は、気管切開92人、胃ろう124人、人工呼吸器23人、人工透析78人と、これを見ても重度の方を積極的に診ている病院であることが分かります。
 

■ 「ナラティブホスピタル」という病院
 

 慢性期医療に携わって思うのは、急性期病院よりも患者さんとのかかわり合いの度合いが強いということでした。そんなかかわりをより強くしようと思い、5年前より、「ナラティブホスピタル」に向けた取り組みを始めました。「ナラティブ」とは英語で「物語」という意味です。1人の患者さんをみていくうえで、病歴だけではなく今までの人生の物語、今を生きている人生の物語を知ることが大切だと考えました。佐藤伸彦先生が書いた「家庭のような病院を 人生の最終章をあったかい空間で」という本を教典のようにして活動しています。「ナラティブノート」を患者さんのベッドの枕元に置いて、家族だけでなく医者やナースも書けるようにしています。「今日はいい天気なのでちょっと散歩に行ってきました」とご家族が書くこともあるし、「今日は熱が下がって、良いお顔をしていますね」と看護師さんが書くこともあります。それから、病院の階段に患者さんの写真がたくさん飾ってあります。私たちは「物語の階段」と呼んでいます。退院しても、お亡くなりになってもずっと飾ってあります。これをどんどん増やしていって、最後は階段の壁が見えないぐらいに写真で埋め尽くせたらいいなと思っています。
 

■ 慢性期医療は「川下」ではなくて「大海」
 

 一昔と違って、どんな高度急性期病院でも、高齢者がいない日はありません。入院患者の平均年齢が60代、70代になってきているのに「うちは老人は診ない」「高齢者医療はやらないんだ」と言っている病院は皆無です。20年前にあり得なかったパラダイムシフトがすでに起こっています。
 
 また、「川上、川下」という言葉がしばしば使われます。急性期が「川上」で、慢性期が「川下」だという意味ですが、急性期が細い川や上流の渓流だとすれば、「慢性期は海だ」と言う先生がいらっしゃいます。私もそう思います。海というのは浅い所もあれば深い所もある。荒れている所もあれば平穏な所もある。川魚よりも豊富な種類の魚がたくさん住んでいて、それを海が育てている場所です。これからそういう慢性期医療を確立していかなければいけない。そして慢性期医療という海を広げていきたい。さらに慢性期医療は、高度先進専門医療の側面もあります。社会、経済、文化をはじめ幅広く知識や技術がないと対応できない医療です。どうしたら苦痛なく長生きができるのか、いかにして充実した最期を迎えられるのかを日々悩み、追究することは、1つの専門領域です。
 
 武久洋三会長がおっしゃっているように、「良質な慢性期医療がなければ日本の医療は成り立たない」という言葉の通りで、それを広めていかなければいけない。それこそが日慢協の役割ではないかと思います。
 
 日慢協の素晴らしい点は、護送船団方式の団体ではないことです。「みんなで生き残っていこう」という団体ではなく、「こうならないと生き残れない、こう生きていこう」という目標を掲げ、その高みをみんなで目指しているところが私は好きです。条件闘争をするだけの会ではなく、中医協に意見だけを言う会でもなく、厚生労働省に文句を言う会でもなく、会員病院が協力してデータを集め中央に提言していけるような団体で、慢性期医療から日本の未来の医療をあるべき姿を提言していくような団体で会って欲しいですし、それを目指したい。誰かがやってくれるのではなく私たち会員の一人ひとりがそうしていかなければいけないと思っています。若い世代をどんどん育てて、現在の日慢協の勢いを今後もさらに加速させていきたいとも思います。
 

■ 東京大会にかける想い
 

 第21回日本慢性期医療学会の東京大会で大会長を務めさせていただきます。11月の14、15日まで、あと残すところ100日ぐらいになりました。今、非常にドキドキしています。お台場の「ホテル グランパシフィック LE DAIBA」は、全国から集まるには東京都内でも立地のいい場所で、羽田空港から20分ぐらいで到着する場所にあります。
 
 私が初めて日慢協の学会に参加したのは平成13年の第9回沖縄大会です。当時の看護師長らと3人で行きました。物見遊山で出かけたのですが、頭を殴られたようなショックを受けました。みんなが発表している演題の1つひとつがすごく輝いていて、宝石のようにきらきらしていました。「うちと同じような病院なのに、こんなことをやっているのか」「そういう分野を追求しているのか」という発見がたくさんありました。そして、「僕は今まで何をやっていたんだ」と、「追いつかなきゃいけない、追い越さなきゃいけない」と心に決めました。帰路で師長たちに、「来年、1題でもいいから出そう」と熱く語ったのを覚えています。
 
 その後、だんだん演題数を出せるようになり、日慢協の常任理事にさせていただきました。ここまでに私と富家病院を育ててもらった日慢協の学会で、大会長をさせていただくというのは、私の大きな夢が1つ叶うという思いです。ですから、私自身、非常に楽しみに、嬉しい気持ちでさせていただきます。 多くの方々に来ていただいて、一般演題を含めた全ての演題が「宝石のように輝いてるね」と感じてくれるようなセッションにしたい。日本全国の病院や施設が取り組んできたこと、すなわち現場の声こそが主役です。ですから、大きなシンポジウムをできるだけ少なくして、一般演題を多くします。その一般演題の全部がシンポジウムであり全部がミニセッションであると思ってもらいたいです。参加者一人ひとりが輝ける場所に東京大会をしたいと思います。そして慢性期医療の旗のもとには多くの人が集まるという力を内外に知っていただける大会にしたいです。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】

 平成3年  帝京大学医学部卒業
       帝京大学第二外科入局
 平成9年  アメリカセントルイスメルビル大学大学院
       経営修士課程留学
 平成11年  医療法人社団富家会富家病院院長就任
 平成16年    同 理事長就任

 


 



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