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【第19回】 慢性期医療リレーインタビュー 藤﨑剛斎氏

Posted By 日本慢性期医療協会 On 2012年12月17日 @ 12:36 AM In インタビュー,役員メッセージ | No Comments

 「今後、急性期で生き残ろうとする病院は、平均在院日数が長引くような患者さんをなるべく取らないようにするでしょう。認知症や終末期の問題など、急性期病院では解決できない課題がたくさんあります」──。鹿児島県の医療法人美﨑会・国分中央病院理事長の藤﨑剛斎先生は、急性期機能を持つ慢性期病院の役割を重視。「急性期病院を出ても治療が終了したわけではないので、われわれが頑張って急性期病院をバックアップする。慢性期医療は今、すごくやりがいがある」と話します。
 

■ 医師を目指した動機
 

 父が開業医でしたので、医者になるのは当たり前だと思っていました。特別な動機というのはありません。私は昭和40年生まれですので、当時はやはり「プロ野球の選手になりたい」という人が多かったですよね。あとは何でしょうか。「おまわりさんになりたい」とか「消防士さんになりたい」とか、分かりやすい職業が多かったと思います。その中には当然、「お医者さんになりたい」というのもあって、私はそれでした。

 幼少時は大阪府貝塚市という大阪の中では割とのんびりした地域で過ごしておりましたが、医師である父はそれなりに地元で名前が知られていましたし、近所の方々も当然、私が父の後を継いで医者になるものだと思っていたようです。そんな大した家でもないのですが、幼いころから両親に「医者になれ」と言われていました。しかも、医者の良い姿しか私に見せないんですよ。実際には早朝から夜遅くまでノンストップの激務だったようですが、そういうしんどい姿を一切見せなかった。

 昭和40年ごろといえば、医者は「ブルジョア」とまでは言いませんが、そんな感じで見られていたところがあります。今もそうでしょうかね。開業している先生は高級車を乗り回して、毎日毎日、高級レストランで食事しているようなイメージ、ありません? でも実際には違いますよね。当時、私の父もそうでした。本当に大変だったと思いますが、そういう医者の大変な面を私に見せずに、地域の方々から尊敬され、慕われるような姿ばかり見せられました。

 中学校は、私立の進学校に進みまして、当時の同級生の半分ぐらいは医者になりました。環境って怖いですね。私も当然医者になるものだと思いこんでいました。他にもいろいろな職業があるのに、「医者という選択肢しかない」という、そんな感じでしたし、周囲からも、「医者の息子は医者になるのが当然だろう」と言われていました。ですから、「こういう体験があったから、命の尊さを実感して医者になったんです」といった動機はありません。もっと極端な言い方をしますと、「何もしなくても勝手になれる」なんて思っていました(笑)。

 大学受験でも医学部一直線でした。文系の科目が嫌いだったことも関係しているかもしれません。特に歴史のテストが嫌いでした。何年に何があったとか、そんなものを覚えてどうするんだと思いましたね。NHKの大河ドラマなどを観ていますと、人と人との関係性などが描かれていて「歴史って面白いな」と思いますが、試験のための歴史は違いますよね。ほんと、だいっ嫌いでした。なんで数字を丸暗記しなきゃあかんのかと。

 受験用の国語も嫌いでした。「主人公はこの時どのように思いましたか。1~5の中から選びなさい」とか、そんなの大きなお世話でしょう。そんなものは読者の勝手じゃないですか。その問題を著者に解かせたら、模範解答とは違う答えを出すかもしれません。答えにならないものを「これが答えです」なんてやろうとするからおかしくなるんです。その点、数学は面白かったですね。理詰めでいけますから。1つの定義なり公式から展開して考えますので、勉強としての面白味は全然違いました。そんなこともありまして、医学部に進んだわけです。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 あまり明確な目的もなく医者になりましたが、なってからが大変でした。医師免許を取ったとはいえ、特別な技術があるわけでもないですので、修行の毎日です。医学の知識ばかりあっても、また手術だけ抜群にうまくても、臨床の世界ってそういうものではないですよね。人の生き死にというものに深く関わる。患者さんと向かい合う。研究ばかりやっていればいいのではなく、人との関わり合いと言いますか、さまざまな関係性の中で進めていく必要があります。患者さんの人生、ご家族の暮らしをすべて背負い込むことはできないけれども、全く関わりを持たないでいいということはない。そういう、いろいろな目に見えないしんどさがありますよね。

 私は大学で初期研修を終えた後、京都市内のいわゆる「野戦病院」に行きました。専門は循環器内科です。ですから、最初から慢性期医療に携わったのではなく、はじめは急性期病院です。というか、みんな最初は急性期ですよね。医者になってすぐに慢性期病院に行くということはありえないですよ。私も卒後はしばらく救急医療に携わっていました。

 私はずっと勤務医として急性期医療に関わっていくつもりでしたが、家庭の事情などもありまして、父の病院を継ぐことになりました。首に縄を付けられて、「戻ってこい」という感じですね。「おまえ、今までたくさん親不孝したやないか、親孝行せい」という感じで地元に戻ることになりました。父の病院は195床の療養型病院です。介護型の療養病床が60床で、残りはすべて医療型の療養病床でした。

 父の病院に戻って、まず愕然としましたね。何というか、カルチャーショックというか、びっくりしましたよ。そもそも、介護療養病床というのが何なのか分からなかった。医療療養との違いが分からなかった。大学病院や救急病院では、「この病棟は介護病棟なので治療はしない」ということはありません。しかし、まず父の病院でびっくりしたのは、介護病棟に住んでいる……、あ、「住んでいる」じゃないですね(笑)。いや、当時は本当に住んでいましたよ。でもちょっとまずいので言い直しますと、介護病棟に入院していたおばあちゃんが肺炎になりました。そのため、私が治療しようとしましたら、看護師から「先生、ここでは治療しちゃダメなんです」と言われました。「治療するなら医療療養病床に移してください」と言うのです。

 当時、療養型の病院はひどい所がたくさんあったと思います。さまざまな誤解を受けるのは当然です。誤解されてもおかしくないような病院がたくさんあったと思います。このインタビューでお話しできないようなダーティーな部分って、いっぱいあったんじゃないでしょうか。まさに武久会長が指摘する「老人収容所」ですよね。手間のかからない楽な患者だけを受け入れる病院です。患者さんは、朝昼晩と病院で食事をして、午後は入院仲間と買い物に行って、夕方になると病院に帰ってくる、みたいな(笑)。ほんと、そうですよ。ひどかった。

 父の病院は決してそうではありませんでしたが、私が勤めていた大学病院や救急病院とは明らかに違う世界でした。私が院長として戻ってから、「これはいかん、ダメだ」と思って改革に乗り出しました。かかりつけの患者さんのご指名で、たまに救急車が入ってくるのですが、担当医が「うちは救急病院じゃないから帰ってくれ」と追い返すんです。病院の前に救急車が止まっているんですよ。そんなのあるかと、これはひどいんじゃないかと。それで、いろいろと改革しました。

 まず、14床を一般病床にして、救急車を受け入れるようにしました。緊急対応できる病院にするため、設備投資もしました。そもそも一人用のモニターが病棟に1つしかないんですから。それも、昔のインベーダーゲームみたいな古いモニターです。60床の病棟で一人用のモニターが1つ、「これはおかしいんやないか」と言ってモニターも揃えました。そうしたら、病院がつぶれかけました(笑)。金をかけ過ぎた。

 当時の私は、大学病院や救急病院で見てきたような医療が「医療」だと思いこんでいましたから、父の病院があまりにも自分の目指す医療と違っていた。患者さんが急変したので人工呼吸器を使おうとすると、ナースサイドから「あんな年寄りに呼吸器を使ってどうするのよ」という反発が出るわけです。つまり、治療すると怒られるわけです。今はもう違いますが、当時の療養病院にはそういう面がありました。

 とにかく人工呼吸器が1台しかないので、「この1台を使ったら、次はどうするの?」と看護師に尋ねました。そうしたら、「レンタルします」と言う。「どこから?」ときくと、「鹿児島市内の病院から」と言うのです。車で1時間かかるような場所にある病院です。鹿児島市内になければ福岡市内の病院から借りると言う。車を飛ばしても4~5時間かかります。それまでの間はどうするのか。「アンビューバッグです」と言う。そんなこともありまして、現在は人工呼吸器が12台あります。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 父の病院を継いだ時、最初は急性期病院を目指しました。一般病床を14床つくって、さらに28床に増やし、一般救急病院にしようと考えました。しかし、これはなかなか難しかった。医師や看護師をたくさん集めなければできません。
 そうした中、医療療養病棟に「医療区分」が導入され、「療養病院でもちゃんとした医療をしましょうよ」という方向に変わってきました。「慢性期の病院でも医療ができる」「十分にやりがいがある」と思うようになりました。

 近年、急性期病院の平均在院日数が短縮されていますから、急性期病院を退院しても治療が終了したわけではない。医療ニーズの高い患者さんがこれからどんどん増えますので、われわれが頑張って急性期病院をバックアップしなければならない。そういう意味で、慢性期医療は今、すごくやりがいがあります。高度な急性期医療は提供できませんが、それでもやりがいは十分に感じられる。

 認知症や終末期の問題など、急性期病院では解決できない課題がたくさんあります。国は「在宅へ」と言いますが、急性期病院からいきなり在宅に戻るのはやはり困難であり、在宅で治療を継続するには家族の協力が必要です。ですから、在宅医療は1つの選択肢でしかない。在宅で看取りまでするにはいろいろな条件が必要です。
 今、こういう時代に、在宅でずっと介護を続ける気持ちがあって、経済的な余裕があって、マンパワーもあるような家族ってそう多くはなかなかいないと思います。では最終的にどこが面倒を見るのかと言えば、慢性期病院あるいは有料老人ホーム、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)などになるんじゃないでしょうか。その中でも、急性期機能を持った慢性期病院に期待される役割はとても多いと思います。

 急性期で生き残ろうとする病院は、平均在院日数が長引くような患者さんをなるべく取らないようにするでしょう。交通外傷や緊急手術の患者さんは受け入れますが、寝たきりの高齢者が肺炎を起こしたとか、慢性疾患がちょっと悪化したとか、おなかがちょっと痛いとか、内科的な管理で診られるような患者さんは慢性期病院が積極的に受け入れていかないといけないようになっていくと思います。そうした中で、慢性期病院の重要性はますます高まり、すごくやりがいを感じられる医療であると思います。

 少し前は、急性期病院のお医者さんの中から「老人ホームのような病院ね」と言われることもありましたが、最近はちょっと変わってきましたね。慢性期病院には相当広い知識が求められます。急性期病院では、循環器の先生は循環器だけ、消化器の先生は消化器だけという傾向がありますが、慢性期病院ではそうはいきません。

 例えば、「私は循環器が専門なので、『おなかが痛い』と言われても分かりません」とは言えませんよね。全部診ないといけない。ある程度あたりを付けた上で、「うちでは無理だから急性期病院で詳しく判断してもらおう」というのならいいのですが、何もせずに「専門ではないので分かりません」というのは通用しません。「耳鳴りがするのよ」とか、「うんちが10日も出ないのよ」とか、お年寄りは頭のてっぺんから足のつま先まで、何かしら悪いところがありますから、幅広く勉強しないと対応できない。そういう意味でも、慢性期医療はとてもやりがいがあります。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 この質問は難しいですね。医療の世界に限らず、日本全体、お金がないじゃないですか。何をするにもお金が必要ですよね。ところが、10年前、20年前に研修医だった方々が当時、病院経営というものを学んできたかと言うと、決してそんなことはないと思います。しかし、今後は「経営」ということを厳しく言われるでしょうから、自分が望んだ通りの医療ができるかどうかは分かりません。そういう意味で、非常に難しいですね。

 まずは医者としての専門性、スペシャリティーの部分を最低でも10数年かけて磨いていくことは必要だと思います。ただ、1つだけ言いたいのは、「慢性期だからいい加減なことをしている」とか、「慢性期の医者は楽をしている」とか、そういうふうに考えてほしくはない。「慢性期医療があるから急性期医療を伸ばしていける」という考えを、どこか頭の片隅に置いてほしいと思います。

 医者になって最初は急性期医療から入りますが、大半の医者は慢性期医療に携わるようになると思います。ですから、慢性期医療に入ってからカルチャーショックを感じるのではなく、若いうちから慢性期医療に少しでも関わるようにしてほしいと思います。1日30分でも1時間でもいいので、慢性期医療に関する本を読んだり、慢性期病院を実際に見たり、そんなことをしてほしいと思います。

 私は、初期研修のローテーション科目の中に、慢性期医療を入れるべきだと思っています。これは若い医師に対するメッセージというよりも行政に対するものかもしれませんが、若い間に慢性期病院を回るような仕組みを導入してほしいと思います。「慢性期病院を1か月」「リハビリ病院を1か月」とか、そういう研修が必要だと思います。しっかりした慢性期病院が最近どんどん増えていますので、実際に見てもらったらいいなと思います。

 当院にも大学病院から若い医師が来ますが、「大学病院みたいに医療機器が揃っていない」「ナースが少ない」などと言われることがあります。それは当たり前ですよ。慢性期病院には慢性期病院にしかできない役割を果たしているわけですから、大学病院や救急病院のモノサシで見られても困ります。そういうことを若い間に知ってもらいたい。口でいろいろ説明するよりも、とにかく現場を見てもらえば伝わると思います。

 最近、「胃ろうは悪」みたいに言われることがありますが、胃ろうをしながら嚥下(えんげ)のリハビリをした結果、胃ろうを外して口から食べられるようになったという患者さんもたくさんいます。気管切開もそうです。
 確かに、脳卒中で完全に植物状態になった人に気管切開してしまうと、一生そのままになってしまいますが、一時的に気管切開しても最終的には外れたという人もたくさんいます。脳卒中後のリハビリで少しずつ回復していったり、急性期病院で入院中にできてしまった褥瘡を治したりするのは当たり前ですから、若い人たちに「まずは見なさい」と言いたいです。

 テレビドラマなどで「救命救急24時」なんてやれば観るんでしょうが、「認知症ドクターX」とか「褥瘡専門医24時」なんて観ますか? 観ないですよ、「慢性期病棟24時」なんて放映しても「なんだよ、それ」ってことになりませんか(笑)。ですから、実際に慢性期医療の現場を見ていただく必要があると思います。スーパーローテートに慢性期医療を入れたらいいと思います。

 優れた慢性期病院は全国にたくさんありますから、どんどん見学させればいいと思います。当院に大学病院から研修医が来ますが、最初は面食らっています。「この患者さんはすぐにリハビリしないと廃用症候群になって寝たきりになるぞ」と教えると、「えっ、そうなんですか?」という反応です。例えば、認知症の患者さんなんて、どう対応したらいいのか分からないんだと思います。

 若い先生方は、慢性期病院に対してマイナスのイメージしか持っていないのかもしれません。急性期病院で経営のことを考えている部長クラスなら、慢性期病院が後方支援しないと急性期病院の在院日数が長期化してベッドが回らず、必然的に経営を圧迫してしまうことを理解してくれていると思います。
 しかし、若い先生の中には、いまだにダーティーなイメージを持っているかもしれません。「老人を詰め込めるだけ詰め込んで」というイメージ。いや、全然詰め込んでいませんよ。4人部屋です。先日、当院の職員が急性期病院に入院しましたら、なんと11人部屋でした。びっくりしました。ですから、若い先生にはとにかく「慢性期病院を見てほしい」これが私からのメッセージです。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 私は日慢協の会員ですから、自分たちが何かを考えて、それぞれがアクションを起こさなきゃいけないと思います。他の業界でもいろいろな団体があると思いますが、会員になったらそれだけですぐに商売がうまくいくということはありません。「会費を払っているからうちの病院の経営を良くしてください」ということを考えがちですが、そういう意味での「期待」は持っていません。基本姿勢は、会員が自分たちで考えて積極的に動くことだと思います。

 慢性期病院の中には、まだまだ本来の役割を果たせていない病院もたくさんあります。そういう病院もあるということをきちんと認めた上で、誤解を解消していくような活動、質を上げていくような取組みも必要だと思っています。「適切ではなかった」という部分を真摯に認めた上で、現在の活動や今後の方針をもっと広めていく、世間に認知してもらうことが必要だと思います。そういう意味では、慢性期医療のイメージは以前よりは良くなってきていると感じますので、この勢いを止めてはいけないと思っています。

 具体的に、「診療報酬を上げてくれ」とか、「制度をこう変えてほしい」という気持ちよりも、慢性期医療の認知度をもっと高め、今の勢いを止めないようにしたいと思っています。慢性期医療の質を全体的に高めていくという役割に大いに期待したいと思いますし、そのために私も積極的に日慢協で活動していきたいと思っています。

                          (取材・執筆=新井裕充) 
 

【プロフィール】
 
 平成11年3月 関西医科大学卒業
  同 年5月  関西医科大学付属病院にて内科ローテーション開始
 平成12年5月 関西医科大学第二内科入局
 平成13年6月 京都九条病院 循環器科
 平成14年10月 国分中央病院 院 長
 平成15年4月 医療法人美﨑会 理事長
  現在に至る
 



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