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【第14回】 慢性期医療リレーインタビュー 桑名斉氏

Posted By 日本慢性期医療協会 On 2012年10月29日 @ 1:54 AM In インタビュー,役員メッセージ | No Comments

 「認知症にもいろいろなパターンがあって、歩き回る人、大声を出す人、何も話せない人など、さまざまです。ほかの病気であっても同様、こうした多様性に何とかして寄り添っていくのが慢性期医療であり、醍醐味でしょう」─。日本慢性期医療協会の常任理事で信愛病院理事長の桑名斉先生は、慢性期医療の多様性や個別性を重視し、「患者さんが大切にしている文化を知り、人生、ナラティブに寄り添い、最期まで関わることができる」と話します。
 

■ 医師を目指した動機
 

 祖父も父も医師でした。東北の寒村で診療所をやっていましたので、「自分は跡継ぎ」という使命感が幼いころからありました。兄弟は妹と私の2人ですので、当然医師になるものだと周囲も期待していましたし、私もそうでした。ですから、医師を目指した理由は単純で、「跡を継ぐためには医学部に入るしかない」と思っていました。

 ただし、高校2年まではオーケストラの指揮者になりたいと思っていたのですが、いざ受験が間近に迫ったころ、父親から「音楽でメシを食うのは大変だぞ。音楽は医者になってからもできる」と諭されました。医師になることは親の希望でもあり、周囲も「あいつは跡継ぎだ」という目で見ていたようです。
 そこで、とりあえず医者になって、それから音楽ができればいいかと思い直し、焦って勉強して、やっと日大医学部に入学しました。医学の道を志すというような強い動機があったわけではありません。

 ところが医学部に入って2年目、秋田で開業している親が東京に移り住みました。そのため、跡を継ぐ目的がなくなったので、卒後しばらくは大学で肝臓の研究に没頭しました。実験や研究は好きだったのですが、論文を書くことが苦手でした。データを出して論文にすることが研究者としての業績になるわけですが、「論文が苦手では研究を続けても意味がない」と分かったので、大学をやめて地域医療の場に出たのです。
 

■ 慢性期医療に携わって思うこと
 

 外科系にも興味があったのですが、ものすごく汗っかきでゴム手袋の中がすぐにグシャグシャになるため、これじゃ長時間の手術などは無理だろうと思い、消化器内科を選択しました。

 大学で臨床、教育、研究などを経験したのち、信愛病院に勤務しました。それ以来、現在までずっと老人医療に携わっております。当時はバリバリの急性期医療が主流で、老人医療はマイナーという時代でしたので、「これが医療なのかな」と思った時期もあります。しかし、お年寄りと関わっているうちに、「老人医療も大切な分野」という想いに至ったのです。老人医療は、私の性格にも合っていたのか、救急車がどんどん来る急性期病院に比べてゆったりしたテンポで医療ができる点が良いと感じました。

 また、大学での肝臓の研究テーマは肝硬変に関するものでした。それはどうあがいても治せない病態であり、結局は肝不全あるいはがんを合併して死んでいくケースがほとんどですから、そうした方々をたくさん診る中で、最後のステージである「死」を考える大きなきっかけであったわけです。そして、病気を治療する一方で、「死にそうな人を何とか癒す方法はないものか」というような分野にも興味を持ちました。このことも慢性期医療を志すきっかけになったのかもしれません。

 老人病院に勤めていますと、完全な治癒を望めない患者さんのほうが圧倒的に多いわけです。命を救う医療、急性期の医療はもちろん大切ですが、もはや治らない人たちへの医療も同様に重要ではないかと思います。長いスパンで患者さんの病気や人生に寄り添うことは、すごく忍耐が必要ですが、治る喜びとは別の満足感がある分野です。患者さんが暮らしている地域ごとに、それぞれの文化があり、それぞれの人生、ナラティブがある。これこそが慢性期医療の視点として必要ではないでしょうか。

 最近、慢性期医療は急性期後の受け皿としての意義が重視されてきています。その一方で、認知症のケアやがんの緩和ケアのように、治らないけれども最期までお付き合いをするという意味の慢性期医療もあります。当院では、お亡くなりになった患者さんを風呂に入れて清める「湯灌」(ゆかん)を、希望するご家族がいれば一緒に行います。ご家族と故人との関係性を大切にできますので、とても喜ばれます。家族の方々と、「一緒にお家に帰りましょうね」と言いながら着替えのお手伝いをさせてもらいます。このような場面にまで関わっていけることは、私たちの大きな喜びであります。
 

■ これからの慢性期医療はどうあるべきか
 

 かつて、1人の患者さんから、「自分は若いころ、あまり良い事をせず、他人に迷惑ばかり掛けていたので、苦痛を緩和しないでほしい」といわれたことがあります。その患者さんは、「苦しみもがいて死にたい。それが私の人生だ」と求めるのです。その時、私たちは何も返せませんでした。それまでは、「苦痛を緩和してあげるのが、その人にとって一番良い事だ」と当然のように信じていたわけです。しかし、患者さんの中には、非常にまれではあるけれど、「七転八倒して死ぬのが自分の死に方だ」という人もいるのです。

 いろいろ悩んだ結果、患者さんの望み通りにすることにしました。その患者さんには、「もし私たちにお手伝いできることがありましたら、いつでも言ってください」と伝え、鎮痛剤は使わなかったので、最期は、顔をしかめながら亡くなりました。
 もちろん、これでよかったのかどうか、未だにさまざまな想いが残っております。

 このように、一口に「慢性期医療」といっても、非常に多様性があります。だからこそやりがいがあるのだと思います。例えば、認知症にもいろいろなパターンがあって、歩き回る人、大声を出す人、何も話せない人など、さまざまです。ほかの病気であっても同様、こうした多様性に何とかして寄り添っていくのが慢性期医療であり、醍醐味でしょう。

 当協会では、高度急性期病院の受け皿としての慢性期病院の役割に着目し、慢性期医療の質向上などに努めています。それは非常に大切なことで、一定の処置や治療行為は慢性期病院でも重要です。人工呼吸器を付けていることが幸せだと思う患者さんがいるかもしれませんし、逆に付けない方が幸せと思う患者さんの背中をさすっているだけ、どちらも医療だと思います。その患者さん1人ひとりに合わせた医療があります。多様性、個別性がある。患者さんがどんな人生、ナラティブがあるのか、それらを大切にすることが必要です。
 
 がん患者のために「緩和ケア」という言い方があります。「がんのさまざまな痛みを緩和する」という意味で「緩和ケア」と呼びますが、がんではない患者さんや高齢者に対しても「緩和ケア」があってしかるべきです。すべての患者さんや高齢者が「辛くない」と感じるような、そしてできることならば「幸せだな」と感じられるような慢性期医療を目指すことが私たちの使命だと思っています。

 少し恰好よくいい過ぎたかもしれません。実際の現場はとても大変な状況で、「満足感」とか「納得」とかいっている余裕がない中で、慌ただしくやっているのが現実です。それでも、心は常に患者さんの幸せを見つめていたいと思っています。自分の愛する人を「ここなら入院させたい」、患者さんに「この病院に来てよかった」といわれたら本望でしょう。
 

■ 若手医師へのメッセージ
 

 若いお医者さんに送るメッセージなどはおこがましいですが、あえていうならば、「救命救急における死」と「老人の死」の両方を体験してほしいです。両極を見るということを、ぜひ経験してほしいと思います。

 救急車で来た患者さんを助けるのも、治らずに苦しみながら亡くなる患者さんに寄り添うことも医療です。認知症で自分が分からなくなって、天井を見つめながら亡くなっていく患者さんもいます。こうしたさまざまな医療をきちんと見てほしいと思います。

 救命救急センターで助かった人が、その後にどのような人生をたどるかということに目を向けることは非常に重要です。パッチワークのように、救命救急のパッチと、ターミナルのパッチと、その間にあるいろいろなパッチがそれぞれに繋がって、1つのシームレスなものになるからです。
 

■ 日本慢性期医療協会への期待
 

 病院団体として組織的な活動ができるという大きなメリットがありますが、協会の中には同じ志を持つ人も、そうでない人もいます。そして、異なる意見を持つ人たちが一緒に議論をしていくことはとても大切だと感じます。
 
 自分が実践している医療が世の中に受け入れられるものなのか、協会の皆さんと議論すれば、たいていのことは分かります。自分の思い込みだけでは、とても危うい部分もありますから、自分の考えが偏らないようにするためにとても助かっております。

 例えば、当院で取り組んでいる音楽療法や動物療法などを協会の皆さんに紹介したとき、もし何も意見がなければ、「誰も興味がないな」と思います。しかし、会員から「やってみたい」と興味を持たれれば、「やっていることは間違いではないんだ」という判断をすることができます。これはほんの一例で、協会での研究や議論は広い分野にわたりますので、有益な判断材料を得ることができます。今後も、委員会や研修会などでの議論に大いに期待しています。

 また、日本慢性期医療協会は、医療保険や介護保険などの制度改善に大きく関わっていますので、私たちの医療や介護を主張していく重要な存在です。自分たちの考え方を国や国民に理解してもらえるように努力していく必要があると思います。

 個人的には、「介護保険委員会」「終末期医療委員会」に所属していますので、これらの委員会を通じて活動するつもりです。終末期の「痛みを取り除く」ということは、がんに限ったことではありませんから、がんの緩和ケアと同じような発想で高齢者の緩和ケアがあって然るべきだと思います。高齢者の緩和ケアを制度化できたら良いと考えます。「高齢者のターミナルケア病棟」や「高齢者の緩和ケア病棟」などを診療報酬上で評価されることを目指し、今後検討していきたいと思います。

 高齢者が苦痛の中で、「生まれてこなければよかった」と思うのではなく、「自分の人生はこれでよかった」と思えるような、たとえ家族がいなくても「ああ、よかったな」と思える瞬間があればいい。患者さんが大切にしている文化を知り、人生、ナラティブに寄り添い、最期まで関わることができるのが慢性期医療の醍醐味であると信じています。(聞き手・新井裕充)
 

【プロフィール】

[略歴](平成24年10月1日現在)

 昭和45年 日本大学医学部卒業、日本大学付属病院勤務
 昭和60年 社会福祉法人信愛報恩会信愛病院入職
 平成5年   同病院院長
 平成7年  日本大学医療管理学部門兼任講師
 平成22年 社会福祉法人信愛報恩会理事長
 
[所属学会、所属団体および役職]

 日本内科学会、日本消化器病学会、日本消化器内視鏡学会、日本緩和医療学会、日本死の臨床研究会、老人の専門医療を考える会副会長、日本慢性期医療協会常任理事、東京都医師会地域福祉委員会委員、東京都病院協会常任理事・慢性期医療委員会委員長、東京都慢性期医療研究会幹事、清瀬市医師会顧問

[資格]

 日本内科学会認定内科医、日本消化器病学会認定消化器病専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本緩和医療学会暫定指導医、日本死の臨床研究会世話人、東京都認知症サポート医

[賞罰]

 平成18年東京都功労者表彰
 平成21年清瀬市民表彰
 



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